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111. 父と娘

 応接室にマシュートとシオンが戻ってきたのはそれから三十分以上後のことだった。イチカは暇を持て余し過ぎて余計なことまで考え込み、二人が帰ってきた時にはかなりご機嫌斜めな状態になっていた。


「イチカ、待たせてすまなかったね。おや、機嫌が悪くなってしまったかな?」


 マシュートの優しい言葉にも反応せず、イチカはぼーっと窓の外を眺める。


「イチカ、遅くなって悪かったって。そうだ、今から宿に荷物を取りに行くから、その時に何かスイーツを買ってくるよ!な?だから機嫌直せよ!」


 シオンからの「スイーツ」という魔法の言葉にも反応しない。


「おい、イチカ、どうした・・・って、泣いてるのか?」


 マシュートはそれを聞いて、まるで最初からいなかったかのように静かに部屋から出ていった。シオンはそれに気づき密かに感謝しながらイチカに近づく。


「イチカ、ごめん、お前を放っておいて。色々抱えていたのに・・・先に話を聞くべきだったよな。ごめんな。」


 シオンが後ろから優しくイチカに寄り添う。だがイチカは静かに涙を流し続ける。


「イチカ?」

「シオン、私ね、ハルバート様と・・・キスしたの。二度も。」

「え?」


 イチカは振り向かない。いや、振り向けなかった。


「一度目は無理やりだった。二度目はショック状態だった。あなたが彼の弟だって聞いて。」

「イチカ、それは・・・」

「でもそんなこと言い訳にもならない。だって彼のキスを拒否できなかったんだもの。しょうちゃんそっくりのあの顔に迫られて、全然違う人だってわかっていても、どうにもならなくてそれを受け入れてしまった。もう、シオンにあの女の人のこと何も言えなくなっちゃった。ごめんね。」


 シオンはイチカの横に移動し、イチカの頬を優しく両手で包み込む。


「イチカ、こっちを見て。」

「・・・なに?」


 イチカは頬を少し膨らませながらシオンの方に少しだけ顔を向ける。それを見てシオンが面白そうに笑う。


「はは!なんだよその顔!・・・じゃあこれでおあいこって事で、この件はお互い忘れないか?」

「でも・・・」

「いいから!大丈夫、あの男はあとで半殺しにしておく。」

「無理でしょさすがに!」

「悪いけど俺の方が実力は上だよ?」

「最悪の兄弟喧嘩になりそう・・・」

「だなー。でもはなからそのつもり。いずれどこかでぶつからなきゃならない相手だから。」


 イチカはふふっと笑う。シオンが手を離した。


「やっと笑った。バカだなイチカ。そんなキス、いつか忘れさせるよ。」

「どこから来るのよその自信は!?」

「イチカの俺を見る目。」

「・・・」


 くだらないことを言い合えるこの時間が何よりも今のイチカには大切で、そしてシオンもまた同じように思っていてくれていると、その表情を見てそう感じる。


「ほら、だからもういいから。他に何か俺に言っておきたいことはないか?」

「早く服を着替えたい。」

「あー、そうだよなあ。今から宿に行ってくるからちょっと待っててくれ。」

「うん。ありがとう。」


 そうしてシオンはイチカの額にキスをすると、廊下にいたマシュートを呼んできてくれた後、自分は早々に宿へと出かけていった。



「イチカ、落ち着いたかい?」

「お父さん!うん、ごめんね。」

「いいんだ。それより、彼はいい青年だね。」

「うん。」

「大事な人なんだね。」

「・・・うん。」


 イチカのその言葉に、マシュートは穏やかに微笑んだ。


「わかった。イチカ、彼との人生を望むなら、がむしゃらにやってみなさい。お前には味方がいる。私も、ジャルデンも、彼も。どんどん頼っていいから、お前の望む未来を掴みなさい。いいね?」


 イチカはマシュートの娘への愛をひしひしと感じていた。そして何度も頷く。


(必ず、この世界で自由を勝ち取って生き抜く。シオンのために、父のために、この世界で出会ってきた全ての大切な人達のためここに生まれてきたのだと、今はそう感じるから)


 イチカは姿勢を正し、父にしっかりと向き合った。


「お父さん、ありがとう。」

「なんだ改まって!さあ、じゃあお前のこの一年の話を聞かせてくれ。たっぷり時間はあるんだから。」

「うん。」


 そうしてイチカはマシュートに、この一年で起きた出来事を一つずつ話していった。驚いたり笑われたり辛そうな顔をされたりしながらもマシュートは真剣にイチカの話を聞いてくれて、一年の間に積み上げてきた様々な想いを、この時間に整理していくことができた。


 そんな楽しい時間はあっという間に過ぎていき、一時間もしないうちにシオンが荷物を抱えて部屋に戻ってきた。



 イチカとシオンはそれぞれ別の風呂を使わせてもらい、身綺麗になった後各自の部屋に案内される。


 するとそこにはメイドらしき女性が二人ほど控えており、あれよあれよと言う間に何やら美しいドレス姿に着替えさせられてしまう。


 薄いピンク色のそのドレスは、素晴らしいレースをふんだんにあしらったフワッと裾に膨らみのある可愛らしいもので、こんな服似合うのかしらとドキドキしながらもイチカは少し嬉しくなる。


 その後化粧をしてもらい髪も整えられ、全てが終わって鏡を覗き込むと、そこには別人のようなイチカが映っていた。


「誰、これ。」


 どこの姫君かと思うほどに可愛らしく着飾った自分がそこにいる。だが不思議と嫌な気はしなかった。


(何だろう、今の容姿なら結構しっくりくるものね・・・)


 見たこともない自分の姿に驚きながらも喜んでいると、ノックの音に気がつき、ドアを開けた。


「イチカ、今ちょっといいか?・・・あ。」


 ドアの向こうには、いつもより少しだけ貴族らしい装いに身を包んだシオンが驚いた表情で立っていた。


「シオン、恥ずかしいからあんまり見ないで!柄にもない格好して私って、うわ!?」


 その言葉を最後まで言い切らないうちに、イチカはシオンの腕の中に閉じ込められてしまった。彼の後ろでドアがバタン、と音を立てて閉まる。


「イチカ、綺麗だ・・・」

「あ、ありがとう。着飾れば私もそれなりに見えるのかな?」

「何言ってる。元々綺麗なんだからこんなに綺麗になったら俺はどうしたらいいんだ。」


 イチカは顔が徐々に熱くなっていくのを感じていた。


「・・・どうしてそう恥ずかしいことをサラッと言えるのよ!」

「本当にそう思ったんだから恥ずかしくなんてない。ああ、可愛いな、俺のイチカ。」


 シオンはドレスの裾を上手に避けながらイチカを抱きしめ続ける。


「ねえ、もうわかったから離して!」

「嫌だ。もう少しだけ。」

「もう!」

「可愛い・・・」


 イチカは真っ赤になりながらシオンの温かい胸にそっと頬を寄せる。シオンがビクッと動くのをその頬で感じた。


「こら!またそうやって俺を煽る!」

「遊んでた割にはウブなこと言うのね?」

「イチカ・・・また俺をからかったな?いいのか?誕生日、どうなっても知らないぞ。」

「ふふ!あと一週間だね。」

「ああ。待ちきれない。」

「・・・もう!」


 そして二人はもう一つのノックの音が聞こえるまで、しばらくそうして二人だけの温もりの中にたゆたっていた。



 そのノックの主はマシュートで、イチカがドアを開けると「ファルシオン君、女性の部屋に二人っきりは駄目だよ?せめてドアは開けておきなさい。」と言いながらニコニコとした笑顔を見せた。


 青くなった顔でシオンは頭を下げ、じゃあまた後でと言ってそそくさと部屋を出ていく。


「イチカ、まだ早いよ?」

「あはは、ですよね。」

「まあイチカは結婚していたこともあるからそこまで心配はしていないが、今はまだ私の可愛い若い娘なんだから。きちんとしなさい。」

「・・・はい。」


 マシュートは微笑みながらイチカの肩に手を置いた。


「そうだ、そろそろ誕生日だね。イチカ、そのドレスは私から、昨年の分の誕生日プレゼントだよ。気に入ってくれたかい?」

「お父さんが!?こんな高価なもの・・・私てっきりお借りした物かと思ってた!」


 イチカが驚いた表情で自分のドレスを見つめる。


「これでも貴族の端くれだったんだ。逃げる時にジャルデンに資産をある程度預かってもらっていてね。ついでに増やしてくれてもいたらしい。だから今年の分も用意させている。当日を楽しみにしていてくれ。」

「そうだったんだ。でもこんな高い物、よかったのに・・・」


 マシュートは少しだけ悲しそうな顔でイチカを見て言った。


「これは本来お前が享受できたはずの物なんだ。だから気にしなくていい。それに隠れて暮らすような生活を強いてしまったことへのせめてものお詫びでもある。本当にすまなかった。これからは、お前が元の髪色に戻したとしても、どんな場所でも生きていけるように、一緒に方法を考えていこう。」

「お父さん・・・」

「そして、彼といつまでも一緒に生きていけるように。」

「・・・うん。」


 イチカは目に涙を溜めながらマシュートに抱きついた。マシュートもまた、温かくイチカを抱きしめ、背中をポンポンと優しく叩いてくれる。


「お父さん、今年の誕生日は、絶対に一緒に過ごそうね!」

「ああ。もちろん。」


 そうしてイチカは小さな子どもに戻ったような気持ちになりながら、父と娘のそのささやかなひと時を、噛みしめていた。


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