110. マシュートとの対話
翌朝、マシュートと共にほぼ夜明けに近い時間帯に家を出発し、彼の知り合いだと言う人の家に向かった。宿にも荷物を取りに行きたいところではあったが、そこは危ないから後でシオンがこっそり取りに行くと言うので、イチカは諦めてそのままの姿で先に進んでいく。
お祭りの日のまま少し洒落た靴を履いて歩いてきてしまったので、イチカは歩いているうちに靴擦れを起こし足を痛めていた。癒しの力を使ってこっそり治しながら進んでいたが、途中でそれをシオンに気づかれ、結局山を下るまでは恥ずかしながらシオンに背負われて移動することになってしまった。
何とか近くの村までたどり着いた三人は、そこでシオンが預かってもらっていた馬を返してもらい、イチカはその馬に乗って移動することになった。
追手の気配が無いかを探りながら移動していったが、結局何事もなく無事にコクレの町まで戻ってくることができた。
そしてマシュートの案内で到着したのは、厳重な警備で守られた、今までイチカが見た中で最も大きな屋敷だった。
「ここだよ。」
「お父さん・・・こんな大きいお屋敷の、いったい誰と知り合いなの!?」
「ここは、ジャルデン様のお屋敷ですね。」
「そうか、やはり君は知っているのか。」
「え?二人とも何の話をしてるの?」
イチカの疑問に二人は何も答えることなく、黙って門に近づいていく。不満顔のイチカの頭をポンと押さえ、シオンはマシュートに続いて屋敷の門をくぐった。
大きな門をくぐってしばらく歩き続けると、三階建ての白亜の豪邸がイチカの目に入る。
(何この豪邸?いやお城!?)
イチカの頭の中にはてなマークが浮かび続けていたが、前を歩く二人が何も話してくれないので、仕方なく黙ってついていくしかなかった。
そして、玄関の大きな白い両開きのドアが、静かに開いた。
「アースラール様、よくいらっしゃいました。お待ち申し上げておりました。おや、これはこれは・・・ご無沙汰しております。」
ドアを開いて現れたのは、この屋敷の執事と思われる男性だった。六十代前後に見える白い髪と髭が印象的なこの男性は、年齢にそぐわないキビキビとした動きを見せ、イチカを驚かせた。
「どうぞ、こちらでございます。」
そう言われて通されたのは、何十人もの人が余裕で入れそうなほど広い応接室だった。驚くほど広々としたその空間に置かれたいくつもの高級そうなソファーやテーブル、美しい壁紙や豪華な刺繍が縫い込まれたカーテン、素晴らしい絵画、そしてそれらをより華やかに見せる大きな窓・・・
イチカは目がチカチカするようなその部屋の中で、軽い眩暈すら感じるほどだった。
「主人はすぐ参りますので、もう少々お待ちくださいませ。」
そう言って執事がさがり、イチカはマシュートの隣に落ち着かない気分のまま腰掛けた。
「さて、彼が来るまで少し話を聞こうか。イチカ。」
マシュートにそう言われたイチカは、その前に、と逆に質問する。
「お父さん、アースラール、って言われてたけど、どう言うこと?」
「・・・そうだな、その話を先にするか。」
マシュートがその後話した内容はこうだった。
父マシュートの本名は、マシュトリク・アースラール、王国内では文官長という役職を持ち、貴族の一人として王城内で様々な政策の取りまとめをしていた。しかし妻が死の淵から蘇ったと噂され、準聖人として幽閉されることになるのを恐れ、逃げるようにして城を離れた。その時本名を捨て、今の名前で森の中で生きていくことになった、とのことだった。
「お父さん、どうしてそんな大事なこと話してくれなかったのよ!?」
「お前の十六歳の誕生日に話そうと思ってたんだが、追手が迫っていたんでね。」
「・・・」
イチカは渋々納得し、今度は自分のことを話し始めた。
「お父さん、私はこの一年あちこちの町をシオンと一緒に旅してきたの。彼は私の事情も全部知っていて、本当に色々なことがあったけど、それでもここまでずっと守ってくれた。だから今は大切な相棒なの。」
「そうだったのか。」
「それでね、仕事先である人と出会ったんだけど、その人が実は聖人を捕らえている中心人物だってことを、最近知って・・・その人にも私が聖人だと知られちゃったみたいなんだ。」
「イチカ・・・」
マシュートはイチカの手を握り、心配そうに見つめている。イチカは無理やり笑顔を作ってその手の上からもう片方の手を重ねた。
その時、ノックの音が聞こえ、先ほどの執事と、そしてこの屋敷の主人らしき男性が姿を現した。
「アースラール、やっと来たか!待っていたぞ!」
その男性はマシュート同じくらいの年齢の中肉中背の男性で、明るい茶色の髪には少し白いものが混じっていた。大きな声と明るい表情がイチカを少しほっとさせる。
「ジャルデン、久しぶりだな。会えて嬉しいよ。ああ、こちらは娘のイチカ・フィオレイナ・アースラールだ。」
イチカはこんな汚れた格好でと今更ながら恥ずかしくなったが、仕方なく丁寧に挨拶をしていく。
「ジャルデン様、イチカ・フィオレイナと申します。アースラール、は実は今初めて聞いたもので・・・馴染みがございません。どうぞイチカとお呼びください。」
ジャルデンは目を丸くすると大笑いしてから頷いた。
「はははは!そうですか、あなたがアースラールの!いやはやお会いできて嬉しいですな。私はこの辺り一帯の領主をしているミハエル・ジャルデンです。あなたのお父上とは古くからの友人でね。ああ、それと我が家は自分で言うのもなんだが、王国内でもグレイ家と引けを取らない力を持っている。彼らといえどもそう簡単に口出しも手出しもできないから、しばらく安心してここに滞在するといい。さあ、座ってくれたまえ。あ、それと・・・」
そう言うとジャルデンは次にシオンの方を向いて話し始めた。
「久しぶりだなファルシオン。まさか君がアースラールと一緒にここに来るとは思っていなかったよ。それにずいぶん元気が無いようだが?」
ジャルデンのその言葉にシオンがはあ、とため息をつく。
「お久しぶりです、ジャルデン様。いや、ちょっと色々ありまして・・・」
「ほう、歯切れが悪い君を見るのも久々だ。まあいい、とにかく事情はある程度アースラールから聞いている。後で部屋を案内させるから、三人ともしばらくここでゆっくり過ごすといい。私はこの後用があって出かけるが、後でミレイナも来ると言うから、夕食は一緒に食べよう。それじゃあ、また。」
そして彼はまた明るい笑顔を残したままその場を去っていった。するとマシュートがそれを見送った後イチカに近づく。
「イチカ、お前にお願いがあるんだ。」
真面目な顔でイチカを見つめる。
「彼と少し話があるんだ。ここで待っていてもらえるかい?」
「お父さん?」
イチカは途端に不安になってマシュートとシオンを交互に見る。シオンは笑顔でイチカに頷いた。
「イチカ、いいんだ。俺も話したいことがあるから。イチカには後でゆっくり時間を作って説明するよ。」
「・・・わかった。」
イチカはまた話に加われないことを少し悔しく感じていたが、どうしても入れない男同士の話があるんだろうと納得し、仕方なくソファーで寛ぎながら二人を待つことにした。
― ― ― ― ―
シオンはマシュートに連れられて庭に出る。
何度も訪れたことのあるその庭は、シオンの実家にあるものより少し狭いが、それでも十分に広大な土地が広がっている。その中でも木々が多く植えられている場所を二人で歩きながら、シオンはマシュートが話し始めるのを待っていた。
「ファルシオン君、その名を聞いて思い出したが、君はグレイ家の次男だね。君の顔を見て君のお父上の顔と重なったから何となくそうじゃないかと思っていたが、その名を聞いて納得したよ。それで、守護騎士の君がなぜイチカと一緒に旅をしているんだい?」
シオンはストレートに聞かれたその質問に、迷いなく答えていく。
「はい。私は確かにグレイ家の次男ではありますが、守護騎士はもう三年前に辞めておりますし、家とも一方的ではありますが縁を切った身です。イチカさんとは・・・四年以上前にザインの町で出会っておりまして、その後再会してから、その、どうしても守りたいと、無理を言って彼女の側にずっとついておりました。」
マシュートはシオンの前を歩いて話を聞いていたが、そこで初めて立ち止まった。そして振り返る。
「なぜだね?」
「え?」
「なぜそんなにうちの子を守りたいと思ってくれたんだい?」
「それは・・・」
シオンはその言葉を、まだイチカにすら告げていないその大事な言葉をここで言うのが憚られて、その先を言えずにいた。
「娘のことを大切に思ってくれているのは今の話でわかった。だが君は元とはいえ守護騎士だ。イチカは聖人の力を持ち、君の兄はその存在を捕らえることに心血を注いでいる。どうしたってそんな君を、グレイ家の君を、娘の側に置くことを認めるわけにはいかない。」
その言葉を一番恐れていたシオンは、返す言葉を失くして押し黙る。
「だから君の覚悟を聞かせてくれ。君は娘のことを大事に思ってくれているんだろう?」
シオンは顔を上げ、真っ直ぐマシュートの目を見る。
「はい。誰よりも大切に思っています。」
「だがこのままではイチカは間違いなくハルバート・グレイに捕まるだろう。君は守ってくれたと言うが、君と出会わなければ、イチカは一人でひっそりとどこかの町で隠れ住んで暮らしていたかもしれなかったとは思わないかい?」
「・・・」
そのマシュートの言葉は、シオンの心にグサグサと鋭いナイフのように突き刺さっていく。
(そうだ。気付かないふりをしてきた、だけどそれはきっと真実だ。俺がしつこくイチカを相棒にと誘わなければ、彼女は今頃静かに、目立たず、穏やかに暮らせていたはずだ。だけど、それでも俺は・・・)
「アースラール様、俺は、いえ私は、イチカさんを本当に大切に思っております。出会った日から、ずっとイチカさんが私の心の中にいました。かけがえのない人なんです。彼女と出会ったからこそ私は、救われてここに生きていられるんです。どうしてももう、離れることはできません!どうか、どうか私に彼女の、イチカさんの側にいることをお許しください!!必ず守り抜きます。ですからどうか、お願いします!!」
それはシオンの心からのたった一つの願いであり、それ以外の言葉はもう何も思いつかなかった。
小さくため息をついたマシュートは、深く頭を下げた彼の肩にそっと手を置いた。
「君の思いはわかった。これまでイチカを守ってくれてありがとう。それにイチカを見ていればわかる。きっとあの子も君と同じ気持ちでいるんだろう。結婚はもういい、なんて言ってたあの子が、君とこうしてお互いを大切に思い合っているんだ。その縁を大切にしてほしいと私は思っているんだよ。」
「アースラール様・・・」
マシュートはシオンに微笑みを向けた。
「だがこれからはイチカを本当の意味で救い出すために、できることを一緒に考えていこう。もし君がイチカをこの恐ろしい運命から解放することができたなら、私も君達の未来を心から祝福するよ。」
シオンはその言葉を、繰り返し心に焼き付ける。
「はい。必ずイチカさんを守り抜きます。そして誰からも隠れることなく、逃げることもなく生きられるように、俺が何とかします。それが叶った時には・・・イチカさんとのこと、お認めいただけますか?」
マシュートは黙ってただ頷いた。
「ありがとうございます。必ず、やり遂げます。」
そして二人はそこから応接室まで戻る間一言も話をすることはなく、それぞれがイチカを想い、どうすべきかを真剣に考え続けながら歩いていった。




