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洞窟2



 「アオっ!」

 

 界斗が焦りを含ませた声で叫ぶ。

 しかし、声は闇に溶け込むように消えていき、その場には嫌な静けさだけが残った。界斗の背に冷たい汗が伝っていくのが解る。

 界斗に並ぶように立ったケイとマイも、直ぐに状況を察したらしく、声を張り上げてアオの名を呼んだ。

 

 「アオちゃーん!!」

 「返事してー!」


 普段は物静かのマイもこの時ばかりは精一杯に叫んだ。

 それでも闇の中から返事が返ってくることはなく、無情にも時間ばかりが過ぎていった。

 界斗はまた唾を飲み込んだ。

 アオがどうして消えてしまったのか。原因が解らないが、返事がない以上、このまま続けていても無駄であるように思えた。

 そうなると界斗達に残された選択肢はただ一つ―――この洞窟に入ることだけ。

 迷っていても仕方がなかった。


 「ケ、ケイ君たちはここで待ってて。俺だけで行ってくるよ」


 何が起こるかわからない。界斗はそう言って、一度だけ大きく息を吐くと、二人の返事も待たず、意を決して洞窟に足を踏み込んだ。

 (――――っ!?)

 その瞬間、言いようのない不安感、不快感が界斗を襲う。

 それは一歩、一歩と踏み出すごとに増していき、今すぐにも引き返したい気持ちにさせられる。

 はっきり言って異常だった。この光の差し込まぬ洞窟の奥には、侵入者を拒む強い意志が存在している。そんな思いを抱かせるほどの何かを界斗は感じていた。


 「アオさーん!」


 進みながら、自身を鼓舞する意味も込め、もう一度叫んでみた。

 返事は返ってこない。

 その代わりに湧き上がる不快感はさらに量を増していき、界斗の支えとなる光が消えていく。

 界斗は壁際に歩み寄り、異様に冷たい壁に手を触れた。

 視界が確保できない以上、こうして進む他ない。スマホが使えない事が悔やまられた。

 界斗は壁に手を触れながら、手探りの状態で闇の中を進んでいく。

 壁の冷たく固い感触。光の死に絶えた無音の闇。

 それらは否応にも界斗の歩みを遅らせていった。

 界斗は湧き上がる感情に耐えながらも、時折にアオの名を呼び、さらに奥へ奥へと進んでいく。

 だがしかし、不思議なことに返事はおろか、生き物の気配すら感じない。

 確かに界斗はアオがこの洞窟に入っていくところ――何かに引っ張られるかのように落ちていくところを見ている。

 界斗の歩みが遅くなってしまっているのは事実だが、変に思えた。

 洞窟は入口から若干の勾配があるにはあるが、たとえ転がっていったとしても、ずっと転がってしまうほどの急なものではない。それに道は整地されているはずもないので凹凸もある。必ずどこかで止まるはずだ。

 なのにも関わらずだ。

 この暗闇で見過ごしてしまったのだろうか。

 そんな考えが界斗の頭を過り、焦りを生ませる。

 一度来た道を戻ろうか。それともこのまま進もうか――。

 そう逡巡していると、不意に触れていた壁の感覚が消えた。

 急なことに界斗はバランスを崩し、転びそうになるが何とか足を踏みしめて耐える。

 界斗はホッと息を吐くと、右手で壁に触れようと試みる。手探りで確認してみると、途中から壁が消えているようであった。

 同じように足でも調べてみると、途中から地面の感覚が消え、どうやら洞窟の壁にぽっかりと横穴が開いていることが解った。

 もしかしていたら自分が落ちていたかもしれない。界斗はそう想像して、うすら寒さを覚える。


 (まさか、アオさんはここに……?)


 頭に倒れて動かないアオの姿が思い浮かんだが、直ぐに界斗は首を振って、嫌な考えを振り払った。

 縁起のない事など考えるべきではない。理性はそう言っているが、心の隅に不安感が住み着いたまま逃げて行ってくれない。

 ともかくして、界斗は少しの間考えてから、引き返すことに決めた。

 洞窟内は闇に覆われており、視界は皆無と言っても間違いではない。例えこのまま進んだとしてもアオを見つけるどころか、界斗までもが遭難してしまう恐れがあった。


 (ごめん、直ぐにまた戻ってくるから)


 心の中で謝罪をする。

 それで気持ちが晴れるわけではないが、思わずにはいられない。

 必要なのは明かり。

 アオの家にランプがあったことを思い出し、道を戻ろうとした。

 壁に手を触れ、ゆっくりと入口の方へと体を向けると――


 「ひやあああああああ!!」


 ――唐突に大声が洞窟内に響き渡った。

 

 聞き覚えのある声であった。幼さの抜けぬ、甲高い声。

 声の主は走っているらしく、こちらに向かって急速に近づいてくる。

 何事かと界斗が身構え、目を凝らしていると――不意に見知った顔が二つ現れる。

 ケイとマイであった。

 しかし、顔の位置に違和感がある。立っているにしては低く、しゃがんでいるにしては少し高い。

 そう、まるで前傾姿勢で宙に浮いているような――。


 それは一瞬の出来事であった。


 宙に浮いた二人は、見事界斗の胸目がけて飛んでいき、衝突。

 界斗の肺からは一気に空気が吐き出され、衝撃を受けた体は自然と背後へ倒れていく。

 それは偶然であった。

 界斗がその場所に立っていたことも。ケイとマイに何かのトラブルがあって、洞窟の奥へと走り出したことも。石に躓き転んでしまったことも、全てが偶然であった。

 そう、界斗達が衝突した場所、角度が悪く、三人まとめて横穴へと落ちて行ってしまったとしても、それは全て――偶然なのである。


 そうして三人は闇の奥深くへと飲み込まれていった。

 衝撃を受けた界斗は、叫び声を上げることすらできなかったのであった。



 界斗はぼんやりとした意識の中、幼い頃の事を思い出していた。

 日差しで目玉焼きが焼けるんじゃないかってくらいに暑い夏の日の事。両親に連れられて隣町の大きなプールにやって来ていた。

 そのプールには凄く大きなウォータースライダーがあって、それがウリでもあった。

 界斗はそのウォータースライダーをえたく気に入り、両親にせがんで何度も滑っていた。

 何度も繰り返していると、人間は慣れてしまうものらしく、新たな刺激を求め始める。幼い界斗は、あろうことに普通は足から滑り降りるところを、頭から滑り降りようとしたのだった。

 その時の父の様子は今でも覚えている。

 界斗を責める気持ちと、心配する気持ちが入り混じった表情。

 幼いなりにそれが感じられ、叱る父の言葉に界斗は素直に従った。それ以降はふざけた滑り方をすることなく、普通にウォータースライダーを楽しんでいた。


 界斗は、それを今になって破ってしまっていた。

 界斗は今、ケイとマイを胸に抱えた状態で、『頭から』穴を滑り落ちているのだ。

 三人が入り込んだ穴は絶妙な勾配があり、凹凸のない道(道とは言えないかもしれないが)をしていた。その時の勢いは、この状況を作り出すに十分な速度を持っており、まさにウォータースライダーのように落ちているのだ。

 水がないので、どちらかと言えば洋画にありがちなダストシュートに近いが、たとえそれが水であろうが砂埃であろうが、界斗に待ち構えている展開からは、逃れることができないであろう。

 それでも咄嗟に二人を抱えることができたのは、幸運だった。この状態であれば落下の衝撃から少しでも守ることができるのだから。

 いつか訪れるであろう衝撃に備え、界斗は腕に力を込め、目を瞑った。


 二人の恐怖の叫びを聞きながら、背中の痛みに耐えていると、やがて浮遊感が体を包む。

 そして、一秒にも満たない時間が過ぎ、界斗達は水面に叩きつけられた。

 激しい水音がしたかと思うと、全身を冷たさが包み込む。籠った音だけが耳に届き、息苦しさが襲う。

 気が付くと、胸の中の二人は空気を求め、必死に水面を目指していた。

 界斗も同じように行こうとしたが、体が鉛のように重く、言う事を聞いてくれなかった。

 このままでは、界斗の身にどんな結末が待ち受けているのかは明白だ。

 しかし、それでもいいと思う部分もあった。

 二人の命を守り、その末で自分の命を散らしてしまうのならば――と。

 新聞の片隅にでも載るのだろうかとそこまで考えて、そもそもこの世界に新聞はあるのかと疑問に思った。

 界斗の脳裏に様々な記憶が足早に通り過ぎていく。

 走馬燈と言うやつだろうか。映画のフィルムのように情景が映し出されていく。

 やがて、それはアオの笑顔のシーンで止まった。

 鋭い生物じみた歯を見せながら、眩しい笑顔を湛えている。


 (不思議な人だったなぁ……)


 界斗はここにいる目的も忘れ、一人満足げに微笑む。

 まるで人生に悔いなしと言った感じなのだが、それを断ち切るように界斗の腕に手が伸びる。

 その手は然りと腕を掴むと勢いよく水面へと向かって引き揚げた。


 「ぶはっ!」


 唐突に体を包む外気。

 界斗は何度か咳き込むとゆっくりと目を開けた。

 始めはぼんやりとした視界ではあったが、やがて回復していき目の前の四つの瞳に気が付いた。直ぐにそれがケイとマイの物であると解る。

 ケイは心配そうに、マイは対照的に少し呆れたような目をしていた。

 マイが小さな口を開く。


 「……大丈夫、ですか? その、足……つきますよね。思いっきり」


 言われて自分の状態に気が付いた。

 界斗は二人に引き上げられたらしく、体を陸に投げ出していた。

 それも上半身だけである。

 下半身はまだ水の中ではあったが、膝は完全に接地しており、膝立の状態であった。

 つまり、界斗は子供でも溺れるのが難しそうな場所で死を覚悟していたのだった。

 界斗は先程の自分を思い出し、顔が熱くなるのを抑えることができなかった。


 

 「へっくしゅん!」


 洞窟内に界斗のくしゃみする音が響く。

 マイが避けるように身を捩ったのが見えたが、見ないふりをしつつ、界斗はこれからの事を考え始めていた。

 あれから界斗たちは平らな地面に感謝しながら、とりあえずは息を整えた。

 服が体に張り付いた感覚が気持ち悪かったが、乾かす手段がない以上我慢するほかなかった。

 問題と言えばそれだけで、界斗の体に不調を訴える部位は無かった。体の重さも消えている。

 ケイとマイを見ると、二人とも怪我はないようで安心した。体を張った甲斐があるというものだった。

 やがて辺りを見渡す余裕ができてくると、その事実に界斗は直ぐに気が付いた。


 ――明るいのだ。


 界斗達がいるのは、小さな池のようなものが一つあるだけの広まった空間。

 始めは意識していなかったが、こうして相手の顔を確認できるくらいに洞窟内が明るい。どこからか光が漏れているらしい。

 自分たちが落ちて来た場所を見ると、暗闇が奥深くまで広がっていることが確認でき、随分と長い距離を滑り落ちてきたことが解った。

 無傷なのが本当に幸運だと言えよう。


 「ねえ、カイト兄ちゃん。これからどうするの」


 ケイが不安そうな瞳を界斗に向ける。その隣に座るマイも、平然としているようでどこか落ち着きがない。

 それもそうだ。洞窟に足を踏み入れた時から感じている不安感は、今も界斗達を襲い続けているのだから。

 だからこそ、早くもアオも発見し、ここから脱出したい。

 だが、入口から大分離れてしまっている上、現在位置も解らないのだ。

 界斗もどうしていいのか解らなかった。

 でも何もせず、悪戯に二人の不安感を増大させても仕方ない。

 界斗は目的も定まらぬまま立ち上がり、二人の顔を見る。二人とも界斗に縋るような視線を向けていた。

 どうしたって、ここは界斗が何とかしなければならないタイミングだ。

 頼られる経験の少ない界斗には苦しい場面ではあったが、何とか頭を捻り、一縷の望みを賭けてある方向へと向いた。

 界斗の視線の先には、さらに奥へと続く道があった。道は曲がっており、その先を見ることはできないが、漏れ出ている光が確かな存在感を放っている。

 普通ならば光が差しこむ方向、それは出口だ。

 もしアオが同じように洞窟内をさまよっているのだとしたら、彼女もまた出口を探しているはず。

 だが、一つだけ問題点があるとすれば、その光がある方向は今まで以上に近寄りがたい何かを強く感じられるのであった。洞窟入るときよりもずっと強い。

 界斗の視線に気が付き、ケイとマイの表情には悲痛さが浮かび出た。


 「え、そっち……? そっちは……」

 「や、やめた方がいいんじゃない……」


 二人ともあからさまに嫌そうだ。

 だが、それ以外の選択肢が思いつかないのであろう、どこか諦めも感じられる。

 嫌なのは自分も同じだ。それに早くアオを見つけねば。

 界斗がそう伝えると、渋々と言った感じで立ち上がった。

 三人は歩き出す。

 まるで水の中にいるかのようにゆっくりと。水を吸った衣服の重さだけが理由ではない。それだけにその何かは強いのだ。

 もし、無事にアオを見つけることができたらどうしてやろうか。

 界斗はアオを懲らしめる方法を考えながら、光が強い方へと進んでいく。

 それはまるで、電灯に群がる羽虫のように思えて、少しだけ嫌な気分だった。



 それは不思議な光景であった。

 界斗達三人が踏み込んだ通路は、あちらこちらに小さな穴が開いており、そのそれぞれから微かな光が漏れ出していた。非常に幻想的で、クリスマスのイルミネーションのように綺麗なのだが、三人は皆一様に無言であった。

 胸の奥から湧き上がる不快感。それはこの通路に足を踏み入れた時から、勢いを増し、楽しく会話を交わすような気分にはなれなかった。


 「うう……」


 ケイが辛そうに呻いている。

 界斗も何とかしてあげたくて山々なのだが、原因が解らぬ以上どうしようもなかった。できることと言えば、こうして先導してあげることくらいである。

 それから、三人はどのくらい歩いていただろうか。道を二回、三回と曲がり、時には狭い道を屈んで進んだりもした。 

 不快感は相変わらず続いていたが、まだ耐えられる程度だ。

 そうして、いい加減に洞窟の壁が見飽きてきた頃。

 

 最初に()()を見つけたのはケイだった。

 不意にケイが立ち止まり、その様子を他の二人が訝しむ。


 「どうしたのケイ?」


 そう言ってマイがケイの顔を不思議そうに覗き込むが、ケイはどこかを見つめたまま動かない。

 どこか体に不調があるのではないか。そう思った界斗は、素早く駆け寄り、ケイに問うが返事が返ってこない。一体どうしたというのか。


 「ねえ、カイト兄ちゃん」


 不意にケイが口を開く。視線は相変わらず、宙を向いたままだ。

 「あれって――」

 ケイの言葉に、界斗とマイはケイの視線の先――自分達の頭上を見た。

 そして、見たことを凄く後悔した。

 そこにあったのは三つの目だ。丸く、血走った大きな瞳。魚のようにぎょろっとしており、見るものに不快感を与える。

 見覚えのあるそれは、確かにこちらを見つめている。

 そう、前にも界斗は見た。あの気持ちの悪い瞳を。

 あの、赤く輝く、化け物の瞳を。


 「――何?」


 声を張り上げようとするその瞬間、界斗は()()と目が合ってしまった。


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