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洞窟

 それは大口を広げ、今か今かと獲物を待ち構えていた。

 何も知らずに迷い込めば、忽ちに喉奥へと続く闇に呑まれるであろう。

 そんな怪物を前に界斗達四人は立ち尽くしていた。その表情には恐怖や躊躇いが見られ、体は地面に縫い付けられてしまったかのように固く、動かずにいる。


 「あれー? どうしたのみんな」


 しかし、一人だけは違ったようだ。蒼い眼をした元気娘は、他の三人の顔を覗き込むと不思議そうな表情を浮かべた。


 「早く行こうよ。さあ、さあ!」


 そう言いながら手を広げて急かすが、誰も反応を示さずに、ただ目の前の深い闇を見つめていた。

 どうしてここにいるのだろう。そんな思いが界斗の中で湧き上がる。

 界斗は、アオの顔を一瞥してから、聞かれないように静かに唾を飲み込んだ。



 探検だ。そう言いだしたアオが向かったのは、またもや山であった。

 草木が鬱蒼とする山道を、界斗を除いた三人は歩き慣れた様子でスイスイと進んでいく。道と言うには、あまりにも細く、凸凹としており、見た目は完全に獣道のソレであった。

 界斗は置いて行かれぬようひたすらに足を動かした。アオ達が何か楽しそうに会話をしていたが、加わる余裕は無かった。その様子を見たケイとマイの二人がからかう様な事を言っていたが、言い返す言葉も見つからず、息一つ乱れていない彼女らの体力にただただ感心してしまう。


 そうして十分以上は歩いていただろうか、草と木と土だけが存在していた景色が唐突に開け、目の前を歩いていた三人の足が止まる。

 界斗は呼吸を整えながら、三人が視線を向けている方向へと顔を向けると、そこには山壁の一部を不自然に抉り取ったかのようにできた一つの洞窟があった。ぽっかりと空いた穴は、異様な雰囲気を放っており、この洞窟だけが別の場所から持ってこられたのではないかと思えるほどに周囲から浮いていた。


 「今日はここ! この前一人で散歩してた時に見つけてさ。山の中に隠されし秘密の洞窟! ん~、ワクワクしてくるね」


 先頭に立つアオが振り返り、大げさな身振りを加えながら楽しそうに言う。

 秘密の洞窟。

 そんな心がときめきそうなフレーズではあったが、対する三人の表情は暗く、進んで入りたがるような者はいそうになかった。

 ロールプレイングゲームや冒険小説を嗜む界斗には、大好物と言えるシチュエーションではあるが、不思議と心が躍らず、寧ろ、不安感や恐怖感と言うネガティブな感情ばかりが湧いて出てくる。

 それはケイとマイも同じようで、二人ともアオとも視線を合わせず、バツの悪そうな表情で空を見つめていた。

 アオだけが「洞窟~、お宝~」と目を輝かせながら、はやる気持ちを抑えられず足踏みをしていたが、三人は洞窟の全てを拒み、全てを否定しようとするその雰囲気に完全に呑まれ、前へと進むことができなくなってしまっていたのだった。


 全く動く気配を見せない界斗達に、アオはじれったそうにしている。


 「ホントどうしたのさ~、ケイもマイもいつもは乗り気なのに」


 アオの言う通り、普段のケイとマイはどんな場所であろうと楽し気にアオの背に着いて行っていた。緑の匂いが立ち込める山の奥深くも。危険が隣り合わせの川道も。

 しかし、今の二人はまさに正反対であった。

 何かに怯えるような表情を浮かべ、身を寄せ合っている。見るだけでも嫌なのであろう。決して視線を洞窟の方へと向けようとはしなかった。

 それは、後ろにいる界斗も同じである。洞窟の闇が視界に入るだけで、心の奥から言いようのない不安感、不快感が湧き上がり、それ以上見ていたいとは思わなくなる。

 理由は解らない。自分はこんなにも怖がりだったのかと首を傾げたくなった。

 そんな異様な雰囲気を感じ取ったのであろう。アオはその場にしゃがみ込み、心配そうな表情で小さく怯える二人の顔を覗き込んだ。


 「……本当に嫌なの?」


 弱気そうな声であった。

 二人はおずおずと言った感じでアオを見るとゆっくりと口を開く。


 「……なんか、ここ、嫌だ……」

 「べ、別に私は怖いとかじゃないけど……こんなとこに入ってケイが怪我したら困るし……」


 張り合っているわけではないが、二人の声はアオに負けず弱弱しく、今にも消え入りそうな声であった。


 「どうしても?」

 「……うん」


 答えたのはケイ。相変わらず視線は地面へと向いている。


 「そっかー」


 そう言ってアオは手を頬にあて、悩む様な素振りを見せる。そうして、しばらくの間ケイとマイの顔を見つめていたかと思うと、唐突に立ち上がり、明るい表情でポンと手を優しく叩いた。

 「じゃ、仕方ないねー。別のとこにしよっか」

 随分とあっさりとしたものだった。とても行きたそうに見えたが、勘違いだったのだろうか。

 界斗がそう聞くと、アオは、


 「まあ、ねえ。ホントは行きたいけど……みんなが嫌なら致し方なしっ、でしょ!」


 と少しだけ寂しそうに笑った。

 そうだね、と界斗も一人納得する。

 ちなみに界斗が行きたいかどうかと言う事は聞かれていない。

 お前に選択権はないという事なのか、ついて行くことは当然であるという事なのか。理由は解らなかったが、聞かないことにした。

 ケイが小さな声で「ごめんね」と言うと、アオが気遣っての事だろう、明るく「いいんだよ別に」と優しく頭を撫でていた。

 しかし、それでも洞窟に入ってみたい気持ちは変わらないらしく、チラチラと何度も視線を向けている。

 何がそんなにも彼女を惹きつけるのか。他の三人は不思議なほど怯えているのにも関わらず、アオは飄々としており、寧ろ心が躍って仕方がない様だ。

 その証拠に、洞窟を見る青い瞳がキラキラと輝きを放ち、半開きの口からは鋭い犬歯が覗かせている。


 「よし、じゃあ今日はいつものとこにしよっか。ならば早速移動移動!」


 アオはいつも通りを演じているのだろうが、見ている側からは、後ろ髪惹かれているのが丸解りであった。それは二人も同じらしく、黙ってはいるが、申し訳なさそうな表情でアオの顔を見ていた。

その瞬間、界斗の中で『何とかしてあげたい』という気持ちが湧き上がるが、気の利いた考えは中々思い浮かばない。何とか頭を捻り上げ、辛うじて「少し覗くくらいならいいのでは?」というなんとも中途半端な言葉が出てきた。

 しかし、そんな界斗の言葉も少しは意味があったらしく、アオは一瞬嬉しそうな笑みを浮かべると、それを隠すように表情を引き締め、「ま、まあカイトがそう言うなら……」と言って洞窟の方へと体を向ける。ケイとマイも少しだけ安堵したような表情をしており、界斗は良い言葉を掛けることができたと、一人満足げに頷いていた。


 「カイト」


 不意に名前を呼ばれる。

 見ると、アオがこちらを見て意味深な笑みを浮かべている。

 界斗の中で一つ、嫌な予想が立てられたが、それは見事に当たっていた。

 界斗は、弱弱しくもなんとか理由を立て、抵抗を試みるが、全てが無駄に終わり、アオと共に洞窟の前に立つこととなった。

 後で聞いた話だが、アオの持論としては、新しい発見や喜びは誰かと共有してこそ、らしい。だからこそ、こうして界斗を連れて行っているのだった。

 深い闇が界斗を迎えてくれる。

 洞窟の中は静かなもので、風の通る音すらも聞こえてこない。まるで、音すらも飲み込んでしまっているようであった。

 どうしてこんなにも恐ろしく感じるのだろう。

 どうしてこんなにも不快に感じるのだろう。

 どうしてこんなにも逃げ出したいと思うのだろう。

 疑問がぐるぐると渦巻き、脳を支配する。

 隣に立つアオの表情に不快そうな様子はなく、ショーウィンドウ越しに玩具を見つめる子供のような無邪気さしかなかった。

 やはり、彼女は肝の座り方が違うと再確認していると、アオが界斗を見て言った。


 「やっぱ、こういうのってワクワクしない? 奥に何かありそうだよね~。お宝とかお宝とか、お宝とか!」


 確かにダンジョンにはお宝は付き物であると界斗も思う。

 宝箱が置かれている様子を想像し、胸が躍るものがあったが、視界に意識を戻した瞬間にそんな思いも消えてしまう。

 界斗には不思議だった。

 何度も言うが、ここまで自分は闇と言うものに恐怖を覚えていただろうか。本能的に恐怖するものとは理解しているが、幼少期にトラウマになるような経験も無いのに、この湧き上がる恐怖感は少し過剰にも思えた。

 対するアオは、怯えた様子は無く、平然としている。寧ろ喜々として近づこうとしており、まさに正反対の反応と言えた。

 ただの考えすぎ、妄想。

 そう切り捨ててもよかったのだが、どうしても胸に引っかかるものがあり、何かわかることが無いかと、界斗はアオに顔を向け、観察を試みた。

 界斗達とアオとの違い。その答えは直ぐに思い浮かんだ。

 あまりにも明確で、決定的な違い。

 衝撃的で、夢のような――。

 気が付くとアオも界斗を見ていた。界斗の視線に気が付き、言葉を待っている。

 全てを吸い込んでしまいそうなほどに深い蒼色をした瞳。そこに界斗の顔が映っている。界斗を見る目は無邪気で、透き通るように無垢。


 (そう言えば、初めて会った時もこんな瞳が目に入ったっけ……)


 綺麗だな、なんて簡単な感想しか出てこない。

 そうして、そのままその瞳に意識が囚われてしまうかと思えた――――その時。


 瞳が不意に界斗の視界から消えた。


 一瞬何が起きたか解らなかった。

 界斗は状況に思考が追い付かず、固まったままであった。

 やっと声を上げることができたのは数秒後、ただ一言彼女の名前を小さく呟く。

 彼女が闇の中へと消えたことに気が付いたのがさらに数秒後、今度は大きく名前を叫んだ。

 返事は帰ってこない。声は全て闇に呑まれてしまう。

 背後から聞こえる困惑したような声。

 振り返ると二人が駆け寄ってくるのが見える。

 再び、目の前の闇を見つめる。

 界斗は先ほどの光景を思い浮かべていた。

 彼女の蒼い瞳を。

 彼女の無邪気な笑みを。

 彼女の――


 

 ――闇の中へと飲み込まれていく様を。

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