外出
鈴木と村上が戻ると、交代で泊が食事をしにフロアを出た。
黙々と書類の整理をしていると、泊も戻ってきた。
村上は時折、首にかけている自分のIDカードの裏を確認した。
まとまった作業時間が過ぎ、村上が休憩も兼ねて自席に座ると五月雨が立ち上がった。
五月雨は、村上を通り過ぎ、榊原課長のところへ行った。
「外出してきます」
「五月雨さんがここを離れても……」
「大丈夫です。外出に村上さんを同行させますので」
周囲の社員が首を一斉に村上を向いた。
課長は机に手をついて、腰を上げた。
「それは村上くんが……」
「よろしいですね」
課長は席に座り直し、五月雨に頷いた。
五月雨は踵を返すと、村上の背中を叩いた。
「いくわよ」
「書類整理の業務が……」
慌ててバッグを持ち、鈴木や泊に頭を下げる。
「すみません」
五月雨が鈴木たちに振り返ると言った。
「外出から戻ったら、こき使ってやって」
フロアを出て二人はエレベーターを待っていると、五月雨の髪留めから不自然に音がした。
「五月雨さん……」
「わかっているわ。通用口の外で待っていて。すぐ済むと思う」
やってきたエレベーターに村上を乗せた。
五月雨は、非常階段を駆け上った。
「ここね」
廊下にいた男性社員が目に留まる。
五月雨は素早く近づいた。
「ちょっとあなた」
声に反応して男性社員は振り返った。
五月雨は社員の襟元を引っ張った。
鼻と鼻がくっつきそうなくらい顔が近づく。
「生活に乱れがあるみたいね。注意なさい」
村上や榊原にしたように、その一瞬で相手の胸ポケットに紙を仕込んだ。
五月雨は気を逸らすためにすぐにポン、と突き放した。
五月雨は非常階段へ戻るため、踵を返した。
「君、うちの社員?」
五月雨は背中越しにその声を聞くと、軽く手を上げた。
急いで階段を下りると、通用口を出た。
待っていた村上と合流し、二人は駅までの道を歩いていた。
「どこにいくんですか?」
「関係者の話を聞きにいくのよ」
「関係者って、大渕さんとか真壁さんとか?」
五月雨は頷いた。
「この感じだと、起こっているのはセクハラ事件だけじゃないわね」
「この感じ、って、僕には何も分からないですが」
「そりゃそうよね」
五月雨は駅の改札を抜けていく。
「説明してくれないんですか?」
「こんなに周りに大勢いるところで?」
「そ、そりゃそうですね」
二人は電車に乗り本社から西側に向かい、郊外の住宅街へと出た。
人通りの少ない道を歩きながら、再び話を始めた。
「『旭陵ホールディングス』に勤めるとこんなところに住宅が買えるのね」
「いや、そんな単純なもんじゃないと思いますけど」
「そう。じゃあ、給料そんなに満足してないんだ。課長たちもそうだってことかな?」
五月雨は、何か考えを巡らせているようだった。
「あの、それよりセクハラ案件だけじゃないってのは」
「まあ、忘れてもらえる?」
「そりゃないですよ」
二人は、大渕典孝の家に着いた。
「ちょっと駅から歩くけど、立派な家ですね。ちょっと待ってください。大渕さんなら会社にいるんじゃ?」
「いえ、ここにいるわ。大渕さんは今日テレワークだって聞いてる」
五月雨はインターホンを押した。
そして体を入れ替え、村上をインターホンの前に押し出す。
「!」
「……はい」
「えっと、僕、旭陵ホールディングスの、えっと『資料保全課』の、えっと村上です」
インターホンの通話中を示す照明が切れてしまった。
「全く、何にも考えてなかったの?」
「初めに教えておいてくださいよ」
「社員を訪ねる場合、社員が応対するのが当たり前だと思ってたわ」
そんな風に家の前で騒いでいると、鍵が解ける音がして扉が開いた。
「大渕さん!?」
扉を開けて、男が出てきた。
髪は簡単に整えてあり、服はラフな普段着だった。
何かアウトドアスポーツをやっているのか、日焼けした肌で、シルエットは太めだった。
「そっちの女性は?」
「アシスタントの五月雨です」
その声のトーンは、これまでと違って一つ二つ高く、可愛らしい印象だった。
声に驚いた村上が五月雨を振り返ると、五月雨が村上の脇腹を肘で突いた。
「あっ、ちょっと話を聞かせてもらっていいですか?」
「早く入れ」
玄関はそれなりに綺麗だったが、そこから見える二階への階段は、荷物が沢山置かれていて上がれなくなっていた。
大渕に続いて二人は靴を脱いで家に上がった。
案内されたテーブルとソファーのある部屋に行くまで、あちこち埃だらけの場所があった。
五月雨が言う。
「大渕さん、ご結婚されてましたよね」
「そうだ。だが離婚した。お前ら女がありもしないことをでっち上げたせいで俺は妻を失ったんだ」
村上は殺気のようなものを感じ、五月雨の前に割って入った。
「その表現はどうかと思いますが」
「女を女と言って何が悪い」
村上は首を傾げた。
本当にこれが大渕の『本当の』言動なのだろうか。
これが本来の性格なら、本当に『セクハラ』をしていた可能性がある。
村上と五月雨が長いソファーに、テーブルの反対の一人ようソファーに大渕が座った。
ガラスの大きな灰皿に、タバコの吸い殻が溜まったままになっている。
「話はなんだ」
「その、セクハラ事件の話なんですが」
村上は五月雨をチラッと見た。
すると五月雨が口を開く。
「資材保全課にいた時、『音』を聞きませんでしたか。悲鳴のような」
「……聞いたかもしれないし、聞いてないかもしれない。倉庫は地下にあるから絶えず空調が動いているからな」
「音を聞いたなら『鬼』も見ましたね」
突然、大渕が足を上げた。
それから自分の椅子の下を覗き込んだかと思うと、キョロキョロとあちこちを探し始めた。
「見たんですね」
「知ってるのか」
「何を奪われましたか」
大渕は顔を真っ赤にして立ち上がった。
「うるさい! 出ていけ! あの女だけじゃなく、会社ごと訴えてやる」
大渕はテーブルを蹴り上げた。
吸い殻が飛び散り、タバコの灰が舞い上がる。
五月雨は、忍者のように飛び上がり、あっという間にソファーの後方に移動していた。
残された村上は、ひっくり返ったテーブルで足を打ち、吸い殻を体に浴びてしまった。
五月雨が言う。
「あなたの大切なものを奪ったのは、その『鬼』です。女でも会社でもない。いくら訴えても無駄ですよ」
「うるさい! 出ていけ!」
落ちていた灰皿を手に取ると、投げつけた。
五月雨はそれを避けた。
床に落ちて、大きな音がする。
「危ないじゃないですか」
村上がそう言うと、大渕は村上を突き飛ばした。
「いいから出ていけ!」
二人は大渕に追い立てられるようにして家を出る。
大渕は、わざと音を立てるように派手に扉を閉めた。
村上は体に付いた灰を手で払った。
「これでよかったんですか?」
「どうせ聞いても答えない。『鬼に会った』なんて言えば、気が狂ってると思われるから。けど、彼が鬼に会ったのは間違いなさそうね」
「答えないのを分かっていて聞きにくる意味は?」
五月雨は、失望したように大きくため息をついた。
「いい? 近くで対話することで、真実を感じ取れるのよ。灰皿を投げつけるほどの怒り。これはリモートでは分からない」
村上はわかったような、分からないような様子で頷いた。




