奇妙な音
榊原、村上が移動してきた日。
調査のため五月雨ピ子がここにやってきた日でもある。
その日、五月雨、村上、鈴木、柏原の四人は、一緒に地下の倉庫に入っていた。
グレーのスーツを着た五月雨が、村上に向かって言った。
「ここのセクハラ事案がどんなものか、説明してよ」
村上は、自分自身を指さしながら、
「僕が説明するの? まあ、話は聞いてはいるんだけどね」
村上が五月雨に向けて説明を始めた。
「えっと。この資料保全課でのセクハラ『疑惑』は女性社員からの一方的な通知によりセクハラである可能性が高いと判断されて課長が異動になっていることを言っています。オフィスやこの倉庫に設置されたカメラで接触するようなセクハラについては認められていません。ただ、オフィス外で行われていた場合はその限りではないです」
「何それ。そんなことで私が呼ばれる訳ないじゃない」
鈴木が小さく手をあげる。
「どうぞ」
鈴木が口を開く。
「それは大渕課長のことを荒木夕奈がセクハラで訴えた後の話でしょ。元々はその前の石原が藤堂さんの体を触ったということから始まったの」
榊原課長が言った。
「君、それを部外者に言っちゃいけないんじゃ」
「同意なく体を触ったんなら犯罪じゃないか。僕は犯罪はないって聞いてる」
五月雨が人差し指を立て、口の前に持っていくと言った。
「男二人は黙って。鈴木さん続けて」
村上は何か驚いたように目を丸くしてバタバタと手を動かした。
鈴木はそれを見て首を捻りながらも話を続けた。
「石原がやったことは藤堂さんが訴えれば事件化するところだったの。けれど、藤堂さんは訴えなかったので、とりあえず、二人とも異動になって、会社的には解決としたんだけど。石原は地方勤務になって二ヶ月目で自殺。藤堂さんも出社しなくなり『適応障害』と判断されているの」
「なるほどね。続けて」
「その後、村上が言った事案が始まったんです。大渕課長は、仕事はできない人でしたがセクハラをするような人じゃなかった。ある時、大渕課長を含めた三人で倉庫に入った後から、夕奈が神経症になっちゃって…… 課長が仕事の指示をしようと夕奈の名を呼ぶだけで叫び出すようになっちゃったんです。で、夕奈が大渕課長を会社側に訴えちゃって。うちの課の人も誰一人、直接的にセクハラ行為を見てないんだけど、調査委員の人に聞かれた時に夕奈の様子から判断して『あの日何かあったに違いない』って言っちゃったんです」
村上は口を開けて、そこを指さしていたが声は聞こえなかった。
「……なるほどね。まあ、そうなるわね。次もあるんでしょ?」
「大渕さんは異動になり、課長が交代して真壁さんになったんです。異動すると夕奈の神経症は回復しちゃったんで、みんな『やっぱりな』って思ってます。で、真壁さんもしばらくして、この倉庫に入ったんです。その時は私もいました。私と、高嶺さんと課長で入ったんです。今みたいに、課長が奥の重要資料室の管理をするため認証システムに登録したんです。本当にそれだけで、それ以上のことはなかったですよ」
五月雨は鈴木の様子に何かを感じたようで、聞き返した。
「本当に、それ以上のことはなかった?」
「……」
この倉庫は地下にあるため、常にダクトから空気が流れる音がしていた。
突然誰も喋らなくなり、ダクトから聞こえる音が妙に大きく感じられた。
「聞こえます?」
村上と榊原は首を横に振ったが、五月雨は頷いた。
「この人の叫び声みたいな音のこと?」
「そうです」
空気の流れる音に混じって、男とも女ともつかない声が聞こえた。
「あの時もこんな感じに聞こえてきたんです。二人には聞こえてなかったみたいなんですが」
「こういう場合、聞こえてない人の方が問題なのよ。そういう人は警戒しないから」
「そ、そうなんですか!? あ、あと、その時、高嶺さんはなんか、時々『ぼーっと』する時間が何度かあって。『どうかしたんですか?』って肩に手を触れた時、思いっきり叩かれちゃったんです」
五月雨は頷いた。
「その後、その高嶺さんも同じように真壁課長をセクハラで訴えたってことね」
「ええ。私以外の人が、見てもいない真壁さんのセクハラを『やったに違いない』って言ったらしいです」
「それで異動か。二人とも、今、会社に対して不当な処分だって訴えてるみたいね」
鈴木は驚いたように言った。
「そ、そんなことになってるんですか」
「マスコミには広がらないように役員さんの力で抑えてるみたい」
村上は何を思ったか、五月雨の手を取った。
「何!? あんた、セクハラで訴えるわよ」
村上は自らののどを指さしている。
「ああ、わかったわ。はい。喋っていいわよ」
「今回の現象は、セクハラではなく『集団幻覚』ってことですか?」
「わかったような口を聞くんじゃない。やっぱり黙ってなさい」
村上はまた喉を指さした。
そのまま今度は鈴木の手を握る。
「やめてください。セクハラで訴えますよ!」
鈴木は村上の手を払いのけ、さらにその手を『パチン』と音が出るほど強く叩いた。
「静かに」
五月雨がそう言った。
全員が五月雨が見ている方向に注目する。
「……痕?」
五月雨の視線の先、可動式の書架の一部のペンキが細く削れていた。
「いる」
五月雨は小さい声でそう言うと、倉庫の中を進んだ。
三人はわからないまま後ろをついて歩く。
五月雨が、可動式書架を動かすハンドルに手をかけた瞬間、村上と榊原が見えない何かに突き飛ばされたように床にお尻をついてしまった。
「な、なんですか今の?」
「鈴木さん、あなた何か見えたの?」
「なんというか、影のようなものが」
大柄な鈴木さんを、小柄な五月雨が抱き寄せて、落ち着かせる。
「大丈夫。あいつは体が強ければ何もできないわ」
「あっ、声が出せる」
村上がそう言うと、榊原も口を開いた。
「何か、ビリビリマシンのような衝撃がありました」
「そうでしょうね」
「なんか焦げくさくないですか?」
周りを見まわし、何もないと思うと、自分自身のポロシャツの胸ポケットを探った。
「あっ……」
村上の手には、小さく折りたたんだ紙があった。
「焦げてる」
手にした紙を広げてみると、そこには梵字が書かれていた。
「巫女は梵字なんか書かないですよね」
「私は巫女なんて一言も言ってないけど。そして、それはハラスメントだとも言ったはずだよ」
「神道なんですか? それとも仏教、密教?」
言いながら近づいてくる村上を、五月雨は両手で突き放した。
「今、通り過ぎたモノ。それが例のセクハラ事件の元凶よ。さっき二人が倒れた時、取り憑く可能性もあった。けれど、取り憑かれないよう、その紙が守った。これが事実で、紙がなんの宗教の神の力かは気にしないでいい。私は目的のためならなんでも利用するだけ」
鈴木が五月雨の背後から抱きついた。
「素敵」
「や、やめて。ほら、村上が『いやらしい目』でこっち見てる」
鈴木は、五月雨を離すと、胸の前で腕を組み、村上を睨んだ。
「変態!」
「鈴木さんは素で聞こえたあの音には警戒して。榊原さんと村上にはこれを渡しておくから、肌身離さず持っていて。今みたいに、ビリビリきたら私に言って。代わりをあげるから」
「最初っからもらっておくことはできないんですか?」
五月雨は指で輪を作ってみせた。
「非常にコストがかかるものなの」
その場の全員が納得した。
倉庫の奥へと進み、榊原が新しい課長として認証システムに登録を行った。
「……この中」
五月雨が扉を指さした。
「すまないが、開けるには許可がいる」
村上も中が見たいのか、
「開くこと確認しなくていいんですか?」
と言った。
「おい村上。お前は黙ってろ。ここは許可なく開けられないんだ」
榊原の口調が急に強くなったため、妙な雰囲気になった。
榊原は周囲の様子に気づいて、言った。
「もうしわけない」
「大丈夫ですよ。今日のところは」
五月雨は厳しい表情でそう言った。




