疑惑
翌日。
榊原課長の呪いは解けていたが、救急車で運ばれた後も体調が戻らず、今日は出社していなかった。
始業の五分前になっても、資料保全課には五月雨と鈴木しかいなかった。
フロアの奥から、資料保全課に向かってくる人影がある。
それを見て鈴木は立ち上がった。
「村上……」
鈴木の表情に怯えがあった。
鈴木はチラチラと村上の『額』を見ていた。
五月雨が急に立ち上がると村上とは別のルートで、コーヒーサーバーの方へ行ってしまう。
村上が鈴木に挨拶する。
「おはようございます…… って、なんか変ですか?」
「お、遅いぞ。出社が遅い」
鈴木は動揺を隠せない。
「すみません。電車が『エアセクション』で止まってしまって復旧に時間が」
五月雨がコーヒーを汲んで、戻ってくる。
村上と五月雨の距離が縮まる。
村上は五月雨に振り向き、鈴木に背を向けてしまう。
「五月雨さん、おはようございます」
「……」
五月雨は一瞥すると席に座った。
鈴木は呼び返す。
「村上」
「はい」
振り返った村上は、前髪が垂れてしまって額に印があるかよく見えない。
鈴木は「おでこを見せろ」と言いかけたが、ギリギリで言葉を飲み込んだ。
村上は呼ばれただけで何も言わない鈴木に言う。
「鈴木さん、なんですか?」
鈴木は慌てた。
「か、課長休みだって」
「そうですか」
「それと、書類がめっちゃ溜まっててさ」
村上は頷いた。
「すぐ準備します」
「待って、村上」
「なんでしょう?」
村上は鈴木をじっと見つめる。
同時に鈴木はじっと村上の額を見た。
「なんか変ですか?」
村上が自分の額を気にして目線を上にする。
どんなに頑張っても、直接自分の額を見ることはできないのだが……
「二人とも、そろそろ倉庫に行くわよ」
五月雨がそう言うと、鈴木も同意した。
「ほら、準備して」
村上は首を傾げながらも、準備を行なった。
三人は同じエレベーターに乗り、地下の書類倉庫の前についた。
鈴木が端に立ち、カードを操作する。
扉の上についた装置が人数を確認すると、扉が開いた。
山のような書類の段ボール。
三人はため息をついたが、奥のテーブルに座ると書類の分類を始めた。
作業を始めると、紙の仕分けとはいえ、汗をかき始めた。
村上が顔の汗を拭う。
「暑いですね。汗が書類に落ちないように、冷房を強めてきましょう」
鈴木は自らも汗をハンカチで拭うと、
「待って、私がやってくるから。男の人がやると『寒すぎ』るのよ」
と言って村上がクーラーの温度調節に行くのを止めた。
鈴木が倉庫の奥にあるクーラーの操作盤へ向かう。
鈴木には狙いがあった。
このまま冷えないよう設定をキープすれば、村上の額を見ることができる。
五月雨に近づくまでは額の印は出てこないのだから、消すなんてことはできないはずだ。
鈴木はわざと操作音を響かせ設定温度を変えたように見せた。
実際は、設定温度は元のままだった。
鈴木は二人のもとに戻ってくると言った。
「設定下げてきた」
「ありがとうございます」
三人が作業を続けていると、テーブルにぽたりと村上の汗が落ちた。
「ふぅ……」
鈴木が村上にハンカチを手渡す。
「ほら、額の汗すごいよ。これで拭ったら」
「鈴木さん…… すごく嬉しいんですが……」
五月雨が立ち上がり、村上の背後に回った。
「いいから汗を拭え」
「えっ?」
五月雨は後ろから村上の額に触れると、そのまま髪を後ろに上げた。
鈴木は目を凝らして、その額を凝視する。
「ちょっと、びっくりするじゃないですか」
「ほら、動くな」
汗で前髪が張り付いて、額がよく見えない。
もう一度、五月雨が眉毛の辺りに手をあてて、持ち上げる。
完全に額が見えた。
「?」
鈴木と五月雨の視線が、村上の額に注がれる。
「どうかしました?」
鈴木は驚いた顔をして、口に手を当て、村上を指さす。
五月雨はじっと見つめた後、村上の額に手を伸ばすと何かを摘んだ。
「これは?」
村上の目の前に、五月雨が摘んだ何かが垂らされる。
「あっ…… あんたの皮膚、じゃないよね?」
「寝る前にしてたフェイスパックが切れたまま額に付いてたんじゃないかな」
鈴木が割り込む。
「げっ、村上って美容パックするの?」
「えっ、広告に流れてくるからこんなの普通だと思ってました」
五月雨は言う。
「……広告を鵜呑みにしすぎてる。後、少し髪が後退してるな」
「や、やめてください。気にしてるんだから」
五月雨は手で抑えていた村上の髪を離した。
村上が独り言を言いながら、必死に前髪を直し始めた。
鈴木が五月雨に近づいてボソっと言った。
「印、なかったですね」
五月雨が頷く。
「なぜ呪術の解き方を知っていたか。あり得るとすれば……」
五月雨はそこまで言って、首を横に振って言い止めた。
「今はやめておこう」
「どうしたんですか?」
鈴木が村上に返す。
「なんでもない。村上がずいぶん汗をかいたようだから、一旦、休憩にしようか」
三人は、倉庫の外へ出た。
五月雨と鈴木は化粧室へ行くため、エレベーターを呼び出した。
「村上はここにいるのか?」
村上は頷いてエレベーターに乗り込む二人に手を振った。
五月雨は五階のボタンを選んだ。
「五階のトイレが綺麗なのよ」
「知らなかった」
二人は五階の化粧室を使い、再び地下へと向かった。
「何か連絡が入っているわね」
鈴木も社用スマホを確認する。
「奥の重要書類保管室に入れるみたいですね」
「課長は倒れているのに……」
「課長が倒れているから、私の要求を特急で通してくれたのかも」
五月雨はそう言った。
エレベーターが地下に着くと村上より奥に、背の高い男が立っているのに気づいた。
「村上、そちらは?」
背の高い男が振り返る。
スーツを着ているが、IDはつけていない。
手や顔は皺があって高齢な感じがするが、姿勢は綺麗で若いのか歳を取っているのか、分かりにくかった。
「スマホの連絡をご覧になったかと思いますが、奥の重要書類保管室を開けてくださる旭陵幽斗役員です」
二人は村上の説明を聞いて、すぐに深く頭を下げた。
「挨拶はいい。すぐに五月雨先生が望まれている奥の部屋を開けよう」
鈴木がカードリーダーのところへ立ち、他の三人は横に並んだ。
最初はうまく人数が認識できずに開かなかったが、並び方を工夫したら開いた。
役員が先頭に立ち奥の重要書類保管室へと歩いていく。
重要書類保管室の前にくると、役員は認証装置に指を突っ込んだ。
すぐ正常に認証した時の音がなった。
村上が気をつかって扉を開ける。
「どうぞ」
役員は鈴木と五月雨の方を振り返って言った。
「五月雨さんの見たい棚を開けて、書類を確認してください」
五月雨が頭を下げ、重要書類保管室へ入ろうと足を踏み出した。
その時、鈴木が五月雨の腕を引っ張った。
五月雨が鈴木の目線の先が役員の顔であることに気づく。
「……まさか」




