罠
週の初め、村上は出張の精算をした。
精算は領収証などを画像ファイルにして全部ネットから出来るようになっていた。
彼はノートPCから送信ボタンを押した後、席を離れてプリンターに印刷物を取りに行った。
「村上、電話なってる」
慌てて戻って電話を取ると、経理部からだった。
『どうなっているんですかこの出張経費』
「えっと、どこらへんの話ですか?」
口ではそう言ったが、色々と引っかかりそうな部分はあった。
鈴木は『出張』のメンバーではない。個人的に有給休暇をとって『勝手に』ついてきたのだ。
だが、村上は帰りの経費だけ、鈴木を含めた三人分の経費を請求していた。
後、問題になりそうなのは酒だった。
飲食代としてまとめていればチェックされないだろうが、レシートで品目が明確に酒だと分かってしまうからだ。
さらに言えば、半紙や突っ張り棒など、常識とは違う数を購入している。
どれも出張という括りで精算できそうになかった。
『行きの交通費が一人分足りません。申請では三人となっています』
「えっ? 三人?」
『帰りの経費には、しっかり三人分入ってるじゃないですか』
村上は経理部から伝えられたことをメモすると電話を切った。
首を傾げる村上に、榊原課長が声をかける。
「どうした村上」
課長席に近づくと村上は言った。
「先週末の出張、申請が三人だったって」
「……三人だぞ」
「えっ? 鈴木さんは勝手についてきただけ……」
課長は首を傾げる。
「五月雨先生の依頼は最初から村上、鈴木と三人で出張するということだったが」
「……」
村上は五月雨を振り返った。
目が合うと彼女はピースサインを出した。
五月雨が何か工作をしたのだろう。
村上は座席に戻って経理部に言われた通り経費を修正して申請した。
村上の背後に、五月雨が立った。
「いくわよ」
「どうやって出張申請を……」
「そんなことここで話せないでしょ」
村上は立ち上がった。
五月雨に引っ張られるようにしてフロアをでる。
エレベーターの呼び出しボタンを押す。
「霧島さんのところに行くんですよね」
「そう、ちょっと上のフロアね」
「で、出張申請はどうやって」
五月雨は指で村上のIDカードを叩いた。
「?」
「あなた分かってないわね」
五月雨は村上のIDカードを裏返して見せた。
そこには五月雨に渡された紙が入っていた。
「この紙……」
村上は思い出した。
確か、鬼避けのために課長にも同じものが渡されていた。
「……」
エレベーターがやってきて二人は乗り込んだ。
五月雨が目的階のボタンを押した。
「倉庫の中で喉をさして私にアピールしたの覚えているでしょう?」
彼は書類倉庫の中で声が出せなくなった。
「もしかして、これ」
村上は自分のIDカードケースをしげしげと見つめる。
「……なのに、あの夜、車から出て来れたのはびっくりしたけど」
出張の時のことか。
エンジンが掛からなくなった車が、帰りに三人で乗るとすんなり動いたこと。
何度も五月雨の声が思い返されていた。
あれは車が故障していたのではない。
鬼よけの紙に、五月雨の指示が伝わって『村上が縛られていた』のだ。
「ほら、ついたよ」
と、五月雨がエレベーターの外から声をかける。
村上は慌ててエレベーターを出た。
「気をつけて」
五月雨のその声で村上に緊張が走った。
「社内ですよ。そんなことがあるんですか」
「あるでしょ。ここは『人間』が生活しているんだから」
「待って、誰かが何か仕掛けたということですか。じゃあ、霧島さんが黒ってこと!?」
五月雨は口の前に人差し指を立てて見せた。
村上に声を出すなと指示しているのだ。
「……」
周囲を見回すが何が見えるわけではない。
廊下を歩いている社員もいなかった。
フロアの扉にあるリーダーに、五月雨がIDカードをかざすが、扉が開かない。
村上が代わりにIDカードをかざす。
照合しドアが開く音がする。
村上がドアを開けた。
五月雨が飛び込むように入った。
続いて村上が入ると、黒いポロシャツの男が四人並び、前を塞いでいた。
大きい。身長というより、体格全体が大きい。
だが、男たちはどこか虚ろな目をしている。
『ポキポキポキ』
全身の関節が鳴った。
男たちの手は下を向いたまま、両肘だけが上がった。
膝は内側に曲がったかと思うと、吊り上げられたように伸びた。
五月雨が後ろの村上に、バトンを受け取るように右手を伸ばす。
「紙垂!? 今、紙垂持ってないです」
村上の声が合図だったのか、ポロシャツ男が五月雨を捕まえた。
二人が両側から腕を取る。
正面の一人が近づくと、五月雨は男の股間を蹴り上げた。
男は痛がるそぶりも見せず、足を閉じて五月雨の足を捉えてしまった。
「村上! 私の腰に刺してる『鐘』をとって」
「金!? 腰!?」
村上は理解できないまま、五月雨のグレーのスラックスのポケットに手を突っ込む。
「い、いやっ! こら、村上。セクハラで訴えるぞ!」
彼女の腕をとっていたポロシャツ男が、村上に気づいた。
「うわっ!」
村上はポロシャツ男に蹴り飛ばされた。
二人が入ってきた扉に背中を打ちつける。
最後の一人が五月雨に近づいてきて、彼女の首を絞めた。
「くっ、苦しい!」
村上はようやく五月雨のグレーのジャケットが膨らんでいるのを見て、そこに『鐘』を見つけた。
「あれを取ればいいのか」
安易に近づけば両脇のポロシャツ男に蹴られてしまう。
村上は自分を蹴ったポロシャツ男に近づく。
ポロシャツ男が蹴りを出す。
寸前のタイミングで村上は、五月雨へと飛び込んだ。
村上は五月雨の腰を抱くように腕を回し、鐘に手をかけた。
「うっ!」
結局、村上は別のポロシャツ男に蹴り飛ばされた。
だが、その手にはしっかりと『鐘』が握られていた。
村上は鐘の持ち手を握り、振った。
「!?」
鳴らない。
激しく振っても、鳴らない。
五月雨は首を絞められて声が出ない。
鐘は運搬時に音がならないように詰め物がされていた。
村上は素早くそれを抜き取って、鐘を振った。
涼やかな鐘の音。
ここが洞窟であるかのように、音が何度も反響する。
すると鐘の音が極度にスローに響き始める。
そのせいで、村上は時が止まったような錯覚に落ちた。
ポロシャツ男たちも、まるで時間が止まったように動かない。
「五月雨さん!?」
村上は同じように動かない五月雨を助けようと、鐘を自分のスラックスに差し入れた。
鐘の音が止まった。
「……」
失敗した。村上はそう思って顔が真っ青になった。
だが、ポロシャツ男は四人とも、吊られていた糸が切れたようにその場にしゃがみ込んでしまう。
喉をおさえ、咳き込む五月雨。
その五月雨を倒れないように支える村上。
「大丈夫ですか?」
村上を横目で見ながら頷く。
「浄化の鐘」
「えっ、これですか?」
村上は鐘を取り出して、五月雨に差し出す。
「住田が寺を畳むというから、もらったものよ。初めて使ったとこ見たけど……」
「すごい威力ですね。憑いていた鬼が、一瞬で消えましたよ」
「すごいのは…… まあ、まだあまり言わないでおいた方がいいかも」
村上は首を傾げた。
「あっ、あれ」
五月雨が部署の仕切りに使っているローカウンターに飾っている花を指した。
変わった形の花瓶に入った花だった。
いくつかの種類が組み合わさっている。
「花が、どうしたんですか?」
「連れてって」
村上は肩を貸して花瓶に近づいた。
倒れたポロシャツ男たちに気づいた社員が大声で救急車を呼んでと叫んだ。
フロアが騒然となっていく中、五月雨は花瓶を手で撫でるように触った。
「花を抜いて」
「えっ?」
村上が言われた通り花を片手で持ち上げると、五月雨は花瓶を逆さにした。
フロアの絨毯に水が撒かれる。
水と一緒に絨毯に紙が落ちた。
「拾って」
花瓶に花を戻すと、村上はしゃがんで濡れた紙を拾った。
黒い文字と朱で書かれた模様が見えた。
「呪ったんだわ」
「えっ?」
「この花瓶、いつからあったもの?」
村上は戸惑いながら周りの社員に声をかけまくる。
すると近くの男性社員が言う。
「何か関係者から送られた品だと言って、急遽以前の花瓶と取り替えたんです」
「関係者って?」
「さぁ……」
五月雨が言う。
「ポロシャツ男たちが腰を抜かした件に関係するのよ。花瓶の送り主を調べて」
「そう言われても」
五月雨と村上に近づいてくる影があった。
「それは私が持ってきたものだ」
男の声に振り返り、五月雨が驚いて言う。
「霧島さん!?」




