6話
――あの後、私はどうなってしまったのだろうか。
エーテルが流れてきた後の記憶が、強い光に焼かれたかのように白飛びしている。
けれどあれは夢ではないと、身体を巡る火照りが叫んでいた。
……熱いような、痛いような。
胸元を無意識に擦りながら、グランハルトはゆっくりと目を開けた。
見慣れた天井。鼻に届くのは、焚き慣れた香の匂い。
ここは……自室だ。
部屋の明かりは付いているものの、カーテンは閉じられており今が何時なのかは分からない。
しかし、部屋の中に誰かが居る気配がした。
衣擦れと、僅かだがカタカタと忙しない作業音。
「……誰だ、そこに居るのは」
ゆっくりと上体を起こして音の方に目を向けると、不安そうな顔のアルフレートと目が合った。
「起きた?! グラン、おはよう!」
飼い主を見つけた犬のように、ぱっと顔が綻ぶ。
そのまま持っていたトレーを置いて小走りに近付いてくると、その後ろからリリィの困っているような声が飛んできた。
「アルフレートさん、いけませんよ。殿下はお疲れなんですから」
「ああ、そうでした!……でも、珍しくグランの顔色が良いみたいですよ」
「珍しく、ってなんて事を……あ、あれ? 確かに。普段に比べて血色が……」
アルフレートに続き、リリィにもまじまじと顔を覗き込まれる。
……その視線が妙に落ち着かない。
グランハルトは腕に刺さった点滴を、躊躇いなく引き抜いた。
「父上から循環魔術を受けたんだ。エーテルが巡っているのを感じるし……もう大丈夫だ」
「あっ! 殿下、そんな乱暴に抜き取ったらお怪我なさいます!」
「このくらい大したことは無い。そんな事より、アルフレート。少し付き合え」
「えっ……俺? 何に?」
グランハルトはベッドから起き上がり、シャツの襟を直して、珍しく穏やかに笑う。
「私が魔術を使えるようになったのか、試す。……中庭に来い」
「え、えっ?……待ってよ、グラン!」
乱雑に身支度を済ませ、自室から颯爽と出て行くグランハルトを、アルフレートは慌てて追い掛けて出ていく。
「……殿下」
部屋に残されたリリィが何か言ったような気配がしたが、グランハルトの意識は既に外へ向いていた。
――やはり、父の言っていた通りだった。
グランハルトは一人、バルコニーで夜風を浴びながら、昼に中庭でアルフレートと手合わせをした時の感覚を噛み締めていた。
身体中を駆け巡る、エーテルの熱。
全身を思い通りに操れる、あの高揚感。
また、戻れた。
兵器としての自分に。
「……ふふっ。ふふふ」
つい、笑みが漏れた。
夜風で流れた髪を耳に掛けながら、手摺りに肘を付いて寄り掛かる。
見慣れた城下街の灯りさえ、今日はより一層煌めいて見える。
――しかし。
「随分、楽しげですね。アイゼンラントの王子」
突然、誰も居ないはずの背後から呼ばれた。
月光が手摺りの影を落としていただけの場所に、いつの間にか誰かが立っていたらしい。
……音も、気配も無く。
まるで空から降り立ったかのように、ふわりと。
「ッ……誰だ!」
すかさず振り向くと――フードを目深に被る、白いローブに青のマフラーを巻く少女が立っていた。
どこか神秘的な空気を纏う、その少女はグランハルトと目が合うと小さく一歩、また一歩と距離を縮めてきた。
感情の読めないその表情も、物怖じしない振る舞いも、空気を滑るような歩き方も。
全てが少女の幼い顔立ちには酷く不釣り合いで、不気味だった。
グランハルトが無意識に後退り、手で制止するように合図を出すと少女は大人しく止まった。
「……怒っているのですか?」
「貴様は誰だ。何処から入ってきた?」
グランハルトの声は、酷く鋭く冷たい。
普段なら幼い子供に、こんな声で話しかけたりはしないのに。
けれど、グランハルトの全身が警鐘を鳴らす様に強ばっていた。
まるで、“化け物”と対峙しているかのような緊張感で――。
「……名乗る程の者ではありません。初めまして、アイゼンラントの王子」
少女はフードを取ってぎこちなく……だが、教科書通りのように正確に、スカートを広げてお辞儀をした。
彼女のきらきらと輝く白髪が風を帯びてふわりと揺れ、月明かりが深い海の底のような青い瞳を照らす。
その均衡の取れた美しさも、正確すぎる動きも――子供が大人を真似ているというより、機械が人間を“模倣している”ような違和感を醸し出していた。
「私は、貴方と友人になりたいのです」
……穏やかな。
それでいて温度のない声が、水面に石を投げ込んだように、グランハルトの心を揺らす。
良くも悪くも、何も掴めない。
そんな、奇妙な底知れぬ違和感。
だが、敵意が無いと見たグランハルトは、それに手を伸ばそうとした。
言うなれば――好奇心。
「……友人になりたいと言うのなら、普通は名を名乗るものだ。名乗れ」
「なるほど。では、簡単に自己紹介をしましょうか。私の名前はヴァサ」
自分の名だと言ったそれは共用語で、人間たちが住むこの惑星“そのもの”の名だ。
……人の名前として使われるとは珍しい。
そんな事を思って次の言葉を待っていると、ヴァサは軽やかに澄んだ声で続けた。
「惑星の意思です」
一瞬、グランハルトはヴァサの言葉を掴みかねた。
言葉は聞こえているのに、意味が分からない。
いや、意味を理解しようとすればする程、底なしの深淵を覗いているような気がした。
「惑星、の……? 何を言っている」
単なる子供の冗談なら良かったのだが、ヴァサは大人びた口調で至って真面目に淡々と――どこか嬉しそうに答える。
「はい、惑星の意思です。貴方も普通の存在ではないのに、私の存在に違和感があるのですか?」
呆気に取られていたのも束の間、グランハルトは意識がふっと一つの単語に集中する。
“普通の存在ではない”――。
言った本人はさらりと流すようだったが、確かに彼女はそう表現した。
「普通の……とは、なんだ。魔術師という意味か」
「いいえ。貴方は普通の人間ではなく……実に、不思議な形のヒトです」
「……、……」
「それで、友人になってくれるのですか?」
……彼女は“友人”という言葉の意味を知っているのだろうか。
彼女の口調や目の動き――それらを鑑みても、ついさっき本で見知った単語を言っているだけのように聞こえる。
グランハルトは差し出された小さな手を一瞥して、棘のある口調で突き放すように吐き捨てた。
「……私は人間だ。貴様こそ何者だ? ふざけたことを言っていると、子供でも容赦してやらんぞ。どこの国の者だ?」
「出生国と言われると困ってしまいます。それに今、名乗ったばかりですよ。では……もう一度、繰り返しましょうか?」
……埒が明かん。
なんなんだ、こいつは。
探ろうにも何も読み取ることが出来ず、ついにグランハルトの表情にも苛立ちが現れ始める。
その時ふと、彼女がぽつりと小さく呟いた。
「……ああ。ここにも来ましたか」
何の話だ、とグランハルトが声を荒げそうになったその瞬間。
ずしんと低く地響きのような音がして、足元がふっと沈んだ気がした。
壁が軋み、部屋に目をやると吊るされたシャンデリアが音を立てて揺れている。
「……ッ、地震か?!」
一度大きく揺れはしたが、継続的な揺れはない。
無意識に息を潜めると、階下から僅かに争うような声が聞こえてきた。
「これは一体……何の騒ぎだ」
「城内で争いが起きているようです。アイゼンラントの王子、危ないので隠れて下さい。貴方が死ぬのは見たくありません」
「……馬鹿言え、隠れるのはお前だ!」
「わっ」
グランハルトはヴァサの肩を掴み、押し込むようにして部屋の内に入った。
ガラス戸とカーテンを閉めた後、グランハルトは急ぎクローゼットへ向かい、手際良く装備を整えていく。
それを見ていたヴァサは小首を傾げて見上げ、不思議そうに瞬きした。
「何をして……いるのですか?」
「見回りに行く」
「自ら危険な場へ?……何故?」
「何故?……国を守るためだ。当たり前だろう」
「貴方は王族で、替えのきかない、一番に守られるべき個体でしょう?」
「王族ではある、が――」
「どうして、自分よりも他人を守ろうとしているのですか?」
「どうして、って……」
そう問いてくる瞳はあまりにも無垢で……同時に、全てを見透かされているような居心地の悪さがあった。
……何でそんなことを聞くんだ、こいつは。️
私が王家の血を引くからといって、綺麗な理由を持ち合わせていると思っているのか?
それを求めているようには見えないし、仮にそうだったとしても、私にそんなものはない。
何かを守るということ。
最初は、“兄”を守ろうとしていた。
それが、“兄の守りたかったもの”になり――いつしか、生き延びてしまった、自分の罪悪感を癒すだけのものにすり替わった。
……自分だけの、心地のよい、血溜まり。
なんと罪深く、愚かなのだろう。
「貴方だって、損傷すれば死に至ります。ですから下手に出て行くようなことはせず、ここで騒ぎが収まるまで静かに待つべきです」
「ッ、……黙れ」
「……!」
グランハルトの静かな怒号にヴァサはぴたり、と動きを止めた。
視線は合わせながらも、ヴァサは何か言いたげに口を僅かに開き、静かに閉じる。
睫毛は震えているが、その下の瞳はじっと次の言葉を待っているようだった。
「……私には、私の考えがある。とにかくお前は、騒ぎが収まるまでここで静かにしていろ。いいな」
なるべく優しい声を出すように心掛けたつもりでも、やはり口調にはまだ棘が残ってしまう。
……なぜこう、上手く言ってやれないんだろう。
ふと俯いたグランハルトの腕を、ヴァサの小さな両手が掴んだ。
まるで――縋るように、強く。
「あ、貴方は、人間を守ることを、正しいことだと思いますか?」
ヴァサの深い青の瞳が、グランハルトを真っ直ぐに見つめた。
「ただ生きるに足る……守るべき、尊いものだと。貴方はそう、思うのですか……?」
大きな声ではない。
けれど、確かにその声には熱が宿っていた。
「……、……」
機械的にも見えたその瞳に、やっと彼女の人間らしさが見えた。
……人がただ、生きるに足る存在か。
そうであって欲しいとは、心から思っている。
けれど、それに自分を含むことは出来ない。
だから。
……これは、嘘だ。
「……私は、そう思うよ」
「……、……」
すっ、とヴァサが息を呑んだ音がした。
「そう、ですか。貴方は……そう、思うのですね……」
俯いたヴァサの睫毛が僅かに震え、腕を掴み直す。表情は見えない。
けれど今はただ、ヴァサが今にも砕けそうな程、儚く弱いものに見えた。
「……貴方の行く末に、興味が湧きました。アイゼンラントの王子、私も一緒に行きます」
ヴァサがグランハルトを仰ぎ見る。
その青には先程の燻るような熱も、儚く砕けそうなものも無い。
ただひたすらに真っ直ぐに……澄んでいた。
だが、こんな幼い子供を連れて戦いへ赴くなんて万が一にも選択肢に無い。
グランハルトは躾けるようにぴしゃり、と鋭く制止する。
「駄目だ。お前のような子供は――」
連れて行けない、と口先まで出かかっていた言葉がふっ、と消えた。
風もないのにふわりと髪が揺れ、熱風に煽られたかのように体が突然熱を持つ。
ヴァサを起点にして、空気中のエーテルが活性化している――それも、恐ろしい程に。
呼吸が止まり、身体が強ばった。
グランハルトはヴァサから飛び退き、距離を置く。
「お前ッ……一体、何者だ!?」
しかしヴァサは、あどけない顔のまま、さらりと答えた。
「……惑星の意思、ヴァサです」




