10話
父の国葬から、一週間が経った。
同時にその影で、レタを知るごく少数の兵士達と人目を避けるようにレタの葬儀も内密に行われた。
調査に当たった紅血兵団からの報告書によると、レタは入国時から血晶病の末期症状だったものの、暴れずに真っすぐ城に来たらしい。
そのため城下も含め、大きな被害は出ていない。それがせめてもの救いだった。
しかし王国内は兵士達の手当や、地下通路を含む城内の補修、国民への説明などに追われ……特にグランハルトは新たな王として、慌ただしい日々を強いられていた。
「アイゼンラントの王子」
束の間の休憩として自室に戻って来たグランハルトに、ヴァサが声を掛ける。
「……もう王子じゃない。今は繰り上がって“王”だ」
「そうでした。申し訳ありません」
「いいや、怒ってる訳じゃない」
「……そう、ですか」
ヴァサはゆっくりと後ろで手を組み、視線を窓の外へ向けた。
窓には柔らかな陽の光が射し込んでいて、ヴァサはその穏やかな空を眺めている。
けれど、今のグランハルトにはその穏やかさが痛い程眩しくて、直視できなかった。
あの日からヴァサはアイゼンラントの特別賓客として滞在しており、リリィの自室で寝泊まりしている。
曰く、レタの死を悲しむリリィの傍にいてあげたいとの申し出があり、その申し出を受け入れることにしたのだ。
ヴァサ自身は『私がそうしたいから』と言っていたが、実際に助かっていたのは王国側だった。
とはいえリリィのみならず、他の兵もグランハルトも万全ではない。
肉体的な傷は癒えたものの、悲しみや怒り、不甲斐なさが混じりあった鈍い痛みが、未だ胸を締め付けていた。
「少し、窶れましたか?」
「まあ……窶れもするだろう」
「……、……ごめんなさい」
ヴァサが申し訳なさそうにしていて、ほんの僅かに罪悪感が込み上げてくる。
けれどここ暫くの疲れと気の沈みを隠せる体力は、グランハルトには残っていない。
だから今は、覇気のない声でしか応えられなかった。
「……何か、用か」
「はい。……セラルウと、私の話をしても宜しいですか?」
「……そういえば、お前はあれのことを邪神と呼んでいたな」
グランハルトは椅子に深く腰掛け、ヴァサに話を促す。
聞かせてくれ、という明確な同意ではなかったが、グランハルトの瞳は真っ直ぐにヴァサを捉えていた。
鋭く透き通り、熱の篭った紅。
それを受けたヴァサは静かに頷き、そっと薄い唇を開いた。
「……はい。先日貴方達が見たように、セラルウはこの惑星を狙う邪神です」
「そんな存在、にわかには信じがたいが……実際見てしまったからな。……あれは確かに、人知を超えた何かだった」
はあ、と忌々しげに深く溜息を吐いたグランハルトを見て、ヴァサが小さく小首を傾げる。
「……今、“人知を超えた”と言いましたが、因果が逆です」
「え?……逆?」
一層眉間に皺を寄せたグランハルトが腕を組むのを見て、ヴァサは口に手を当てて微笑んだ。
「ふふふ」
馬鹿にしているのではない。
例えるなら、簡単な問いに悩む生徒に教師がゆっくりと歩み寄るような……そんな、妙な優しさがあるように見えた。
「人間がエーテルを……魔法を扱えるようになったのは、セラルウのエーテルがここ。……“惑星ヴァサ”に混ざって“しまった”からです」
「……は? “混ざる”ってなんだ」
「何度も私は崩されては直されてきました。その修復をする際にセラルウのエーテルが――」
あまりにもヴァサが穏やかに話すので、グランハルトは喉が詰まったように声を掠れさせた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!……つまり、エーテルや魔法はセラルウ由来だと?」
ふと、グランハルトは自身の手を開き、そこに視線を落とす。
皮膚の下のエーテルは絶えず流れていて、温かい。
エーテルがどこから来たかなんて、考えたこともなかった。
……人間の叡智ではなかったのか。
そう思うと途端に、今まで信じていた身体を巡る力が急に悍ましく感じた。
「……、……」
手をじっと見つめたまま口を閉ざしたグランハルトに、ヴァサは淡々と語り掛ける。
「それにより生まれたのが、惑星ヴァサの自我。“惑星の意思”である、私です」
……惑星の意思。
それは、ヴァサが初めて会った時から繰り返していた言葉だ。
何度も『訳が分からん』と理解を拒んできた言葉だったのだが――最早、それを認めないと辻褄が合わない。
圧倒的な力も、僅かにずれた価値観も。
「なるほど。……そう、か」
グランハルトは暫くヴァサを見つめていたが、やがてふっと息を漏らした。
面白く思った訳でも、呆れた訳でもない。
ただ、そうでもしないと崩れてしまいそうだったのだ。
「とんでもない規模の話だな……」
「事実なので、諦めてください」
「はっ。……手厳しい」
あまりにも淡々と返してくるので軽口で返すと、ヴァサはどこか遠くを見るように窓の外に視線を送る。
「手厳しくもなります。もう……私達には、あまり“時間”が残されていないのですから」
半ば現実味のない話として受け止めていたグランハルトだったが、『時間』という具体的な話が出るとはっと目を見開いた。
「……時間って何の話だ。また、あれがアイゼンラントに来ると?」
「それも可能性としてはありますが、違います。あの精度でセラルウが干渉してきたのです。今に、この惑星は――」
その時、扉を叩く音がしてヴァサの口がふっと閉じた。
「……誰だ」
扉を一瞥したグランハルトが低く這うような声で問うと、部屋の外から理知的な……しかし重々しい声が聞こえた。
「失礼致します、陛下。王国騎士団長、ユストゥス・クラインベックです」
「入れ」
「はっ」
扉が開き、ユストゥスが重々しい表情で一礼する。
部屋に足を踏み入れてヴァサと目が合うと、驚いたせいか声が僅かに高くなった。
「おや、ヴァサ様もご一緒でしたか」
「こんにちは」
ヴァサが丁寧にスカートの裾を摘んでお辞儀をする。
それを受け、困ったように眉を下げながらもユストゥスの口元が綻んだ。
「こんにちは、ヴァサ様。……生憎、今はお菓子を持っていないのです。申し訳ありません」
一歩踏み出したヴァサが残念そうに後退りをする。どうやら、何回か餌付けをされていたらしい。
……上手く可愛がられていて何よりだ。
そんな事を思いつつ、グランハルトはユストゥスが持つ、トレーに乗った二通の白い封筒を指差す。
「……それは?」
そう問うと、ユストゥスは短く息を呑んだ。
そして瞼を伏せ、睫毛を震わせると静かに答える。
「こちらは王妃陛下の御遺書と、レタの手紙です」
……声が、出なかった。
頭を殴られたような衝撃で、思考が止まる。
やっと口を衝いて出た声は酷く掠れて、震えていた。
「それは……本物、なのか?」
今、自分がどんな顔をしているなど想像もつかない。
だが、今まで抑えていた感情が堰を切ったように溢れ出てきたことだけは分かる。
「はい」
ユストゥスの肯定の言葉を聞くと、グランハルトは椅子からゆっくりと立ち上がって近寄り――その胸倉を、乱暴に掴んだ。
ユストゥスの手からカチャンと軽い音を立ててトレーが落ち、二通の封筒が床に落ちる。
しかし、そんな事はどうでも良かった。
「5年……だぞ」
母が死に、レタが失踪したのが5年前。
それまでも弱音も吐かず、ただ強くあり続けるために努力を重ねてきた。
悲しさも不安も押し殺し、ただ国のために尽くしてきた。
兄になれないのなら、ただの兵器であろうと。
兄が掴めなかった幸せを遠ざけ、禁じ……土の中で眠る兄と同じように、孤独であろうとした。
それが自分の生を唯一、“赦せる”道だと思っていたから。
……それなのに。
「黙って、いたのか? お前は、母上の死の真相も、レタの所在も……全て知っていたんだな?」
「……はい。全て、承知しておりました」
「……ッ!」
ぶわりと、涙が溢れた。
理解者だと思っていた男は全てを知っていた。
知った上で、何も言わずにいた。
それが堪らなく悲しくて、悔しくて――。
「私は……何も知らなかったぞ。どうして……黙っていた? 父上の命令か……? それともお前の判断か……?!」
とめどなく溢れてくる何かに押されるように、ふらりと伸ばしたグランハルトの手は、ユストゥスの胸倉を掴んだ。
「なんで、今更……? 死んでから、5年も……私は何も……」
ぎゅう、と絞められたシャツが鳴く。
「……ッ、殿下」
反射的にユストゥスの手がグランハルトの手の甲を掴んだが、振り払おうとはしない。
みるみるうちに顔が赤く染まっていくのに、ユストゥスはグランハルトを睨むでも恐れるでもなく――ただ、悲しそうに見つめ返すだけ。
「……、……」
それはまるで、嵐が過ぎ去るのをじっと待つかのようだった。
グランハルトの手は力んでぶるぶると震え、手のひらにくい込んでいる爪の痛みすら感じられない。
涙で視界は滲み、息は荒く乱れ、上手く空気が吸えない。
……苦しい。
酷く胸の奥が痛くて、身体が熱い。
「どうして私に知らせなかった……相談、しなかった……?」
「……、ッ……」
「まだっ……まだ、私では足りないと言うのか?!」
グランハルトはユストゥスを強く揺さぶり、拳を振りかぶる。
ダメだと分かっているのに。
意味が無いことも分かっている。
それでも……今まで押し殺してきた感情が溢れて、どうしても耐えられなかった。
「どうして……今なんだ!! 兄様も母上もレタも、……父上もッ――もう、いないんだぞ!!」
しかし、振り上げた拳は力無くだらりと垂れる。
ユストゥスを殴りたくなかったのではない。
ただ、力が入らなかったのだ。
「……もう、帰って……こないんだ…………」
蚊の鳴くような声で呟いて、グランハルトは糸が切れた操り人形のように、その場に崩れ落ちた。
解放されたユストゥスはよろよろと後退り、膝に手をついて呼吸を整えてから、床に落ちた二通の封筒をそっと拾う。
「……陛下、前王の御遺命です。ご拝読、頂けませんか」
「今更……私に何を……。全て、手遅れだ……」
グランハルトは身体に力を入れられず、項垂れる。
そこに、それまで黙っていたヴァサがそっと歩み寄った。
「何故、拒むのですか?」
ヴァサの無垢な瞳が刺さる。
「……拒んでなんかいない。遅すぎたんだ。知りたかったのは、“遺す為の言葉”ではない……。でも、だからって……」
「まだ終わっていません。貴方の母も兄も、“貴方の中”にいます」
「はっ。胸に……思い出があるとでも言うのか? そんなもの、何にもならん」
「アイゼンラントの王。死を嘆くのであれば、遺されたものをそのまま受け取るべきです」
「……、……」
グランハルトは渋々、ユストゥスから赤い封蝋がついている封筒……母の遺書を受け取る。
少し厚みのあるこの紙は王家から手紙を出す時によく使われるもので、グランハルトも使ったことのある親しみ深いものだ。
静かに取り出されたそれは、『親愛なる王へ』から始まっている。
その細く繊細な文字は、間違いなく母のもの。
久しぶりに見た筆跡になにか、懐かしさや安堵のようなものがふわりと胸に込み上げてきた。
『貴方にはきっと叱られてしまうけれど、許して下さいませ。私は王妃である前に、二人の母なのです』
ふと、母の声が脳裏で蘇る。
柔らかくも芯のある……透き通った、あの優しい声。
だが、何かこの冒頭の文には“引っかかる”箇所が多い。
叱られる?……何故?
心を騒めかせながらも、文字を追う。
だが、その後に綴られたものを見ると思考が止まった。
『クリストハルトに続き、グランハルトが死した事実を私は母として受け止めきれないの。だから私はレタと共に、グランハルトの蘇生を試みます』
「……っ、……え……?」
“グランハルトが死した事実”?
“蘇生を試みる”?
理解が追いつかないまま、その先を読むのを止められない。
『私がレタにお願いしたのよ。だから、叱らないであげてね』
『全部私が一人で決めてしまって、ごめんなさい』
淡々と文字が紡がれている。
……待ってくれ。
置いて、いかないでくれ。
グランハルトは込み上げてくる焦燥感に抗いながらも文字を追う。
しかし、最後の一文はその全てを振り払うような無慈悲な別れの言葉だった。
『さようなら、ヴォルフ。愛しているわ』
『グランハルトとレタを……国をお願いします』
「……なんだ、これ」
遺書と言うには温かすぎるし、恋文と言うには残酷すぎる。
「どういう、ことだ? そ、蘇生……?」
ふと、記憶を遡ると――脳裏にあの、“母だったもの”が蘇る。
「ユストゥス、これは……一体……」
何かが、がらがらと音を立てて削れていく感覚。
口からは無意識に、縋るような声が出ていた。
蘇生術。
大昔に様々な宗派が栄えたが、術者への負荷や成功率の低さ、倫理観の欠如や諸々の理由から禁術認定された、あれか。
如何に優れた魔術師である母であっても、蘇生術を行うのには莫大なエーテルを必要とするはずだ。
それこそ、一人を蘇生するために複数人の命を使うような――。
「……あっ」
遺書と蘇生。
ヴァサの言葉。
『貴方の母も兄も、“貴方の中”にいます』
母と兄。類稀なる、偉大な二人の魔術師。
それほどの魔術師ならば、その身に宿すエーテルで“一人の命を繋ぎ止めるくらい”、出来てしまうのかもしれない。
だから母も、兄も。
私の……中に。
脳が何かを察知するのを、全身が拒絶している。
血が冷えていく。視界が、揺らぐ。
母の遺体を見た時に感じた、不可解なあの感情。
まるで、“優しくあたたかな手で、頭を撫でられているかのような”――安らぎ。
あの安らぎの正体は……。
「……ッふ……、はっ……はぁ」
肺が握られているかのように、喉から空気が漏れる。
陸にいるのに、溺れているようだった。
酸素が上手く吸えず、腹筋が攣るように震えている。
どうしよう。
体が言うことを聞かない。
しかし、その混乱をユストゥスの張り上げた声が切り裂いてくれた。
「陛下!」
両肩を掴まれてひゅ、と喉に空気が通った音がした。
肺に酸素が送られて、僅かに苦しさから解放されたのを感じる。
「グランハルト陛下! 大丈夫です、貴方はここに居る。愛されて……ここにいるのです」
「愛され……て……?」
……違う。
ずっと、ずっと欲していたものは……そんなものではない。
「……違う」
「違いません、殿下。貴方は――」
「違う! 私は、ただ誰かに……“お前が必要だ”、と……それだけで、良かったんだ……!」
「……、……」
「“お前は役に立てている”、“ここに居ていい”と認めて欲しかった! 独りで残ることなんか……ッ、望んでいない! ましてや……」
「……陛下」
「もう嫌なんだ……私が弱いせいで、誰かが代わりに死ぬのは!! 生きていたって何も守れないんじゃ……生きている意味がない!」
ユストゥスは静かに、黙って聞いている。
だが、グランハルトの声が慟哭混じりになると、苦しそうに眉間に皺を寄せた。
「……生きている意味がないなんて、そんなこと仰らないでください」
「でも……わたしは……これ、以上っ……!」
――生きていたくない。
その言葉に被せるように、ユストゥスの言葉が続いた。
「前王は、グランハルト陛下のお身体を、酷く心配なさっておりました。あれでは長く生きられない。アイゼンラントを担うには……あまりにも、不安定だと」
「ち、父上が……そんなことを……?」
「ええ。……3年前からの、エーテルコントロールの不調。まさか、お忘れではないでしょう?」
そう言われてはっ、と息を呑んだ。
確かにあった。3年程前からの、明らかな不調。
――でも。
「あれは……血晶病の予兆、ではなかったのか」
「はい、恐らく。そもそも循環魔術とは、蘇生されたグランハルト陛下の、来たるエーテル不調のために再編された魔術だったんです。……血晶病への効果は、完全に副産物です」
「私の、ため……?」
「はい。グランハルト殿下の蘇生自体は成功はしましたが……不安定なのです。近いうちに、エーテル関連での不調が起きるだろう……と、予測済みでした」
「……そう、だったのか」
「『国を真に守るためには、自国の力だけではなく“世界の安定”が必要だ』。そして、『そのためには、️“己の安定”が必要不可欠である』……ヴォルフガング前王陛下の、お言葉です」
悲しさや悔しさで打ちひしがれていたグランハルトの胸に、じわりと温かなものが灯る。
父は、ただ国を遺したのではない。
グランハルトという“次代の王”が壊れないよう、遥か先の“未来”を遺したのだ。
「……っは、はは」
思わず乾いた笑いが漏れる。
「っ、く……ははっ……!」
笑っているのに、泣いている。
涙が溢れて止まらない。
……知らなかったのだ。
ずっと欲していたものが、こんなに近くにあったなんて――。
「……しかし、母上の御遺書を私に隠していたのは何故だ? 教えてくれても……」
ふと、ぽつりとグランハルトが泣き腫らした赤い目で、拗ねたように呟く。
「……前王は『時が来たら話す。だが、万が一にも死した時には頼む』と。恐らくは、循環魔術を全て完成させた後にお伝えする考えだったのでしょう」
「もう、殆ど完成しているというのに……?」
「だとしても、前王は万全の状態で託したかったのだと思います」
「……あの、完璧主義め」
苦々しい顔で吐いた軽口は皮肉めいていたが、しかしどこか優しい。
それを見たユストゥスはゆっくりともう一枚の封筒をグランハルトに差し出す。
「こちらのレタの書き置きは、お一人でお読みになってください。陛下に向けてのものです」
「……うん。分かった」
素直に封筒を受け取ったのを見てユストゥスが安心したように微笑むとするりと立ち上がり、襟を正した。
「では、今はこれにて失礼致します。また後日、改めて詳しくお話させてください」
恭しく一礼し、コツコツと革靴を鳴らして静かにユストゥスが部屋から出ていく。
部屋に静寂が訪れると、ヴァサは寂しそうにぽつりと呟いた。
「本当に……周囲の人間に愛されていますね、貴方は。……少し、羨ましい」
それだけ言うと静かにユストゥスを追い掛けるように、するりと扉の向こうへ消えていった。




