39.握った手の先に
応えることのできないリアンの姿を見て、アテナ様はその頭にそっと手を乗せた。
「ごめんなさいね。貴女のご家族のことなのに」
前聖女も、現聖女であるリアンの両親の死も。
リアンにとっては決して明るい話題ではない。
「ただ、覚えておいて。他国の私ですら疑問が持てる程度の綻びがあるということを。上に立つ者は……悪意を持った誰かに、その綻びが突かれてもおかしくはないわ」
その言葉に、ようやくリアンは震わせながら口を開く。
「アテナ様は……その、婚姻を結んだことで、そうしたことがあったのですか?」
聖女としてはあり得ない行動ならば、それは綻びのひとつにも、なるだろうから。
ただ、アテナ様はその言葉を豪快に笑い飛ばした。
「それ以前の問題よ。私は平民出身だし、中でも家は貧しい方だったしね。それがいきなり聖女になって結婚までするなんてやりたい放題で綻びだらけよ。悪評ややっかみなんて腐るほどあるし、命を狙われたことなんて両手じゃ足りないくらいよ」
それでも。
「だからこそ、私は私を喧伝するの」
立ち上がり、彼女は胸を張る。
「私がいて良かったことの方が多いって、みんなに自覚してもらう。前例なんて関係ない。私が逆にどんどん作ってやるわ」
アテナ様は、自身の生き方に覚悟を持つ。
「それが私のやり方。私なりの聖女のあり方よ」
座り直し、紅茶に口をつける。
毒なんて、幾度も仕込まれただろうそれを飲み干し、リアンを見て笑う。
「でも、一人じゃできることに限りがあるのも事実よ。だから頼れるものはなんでも頼っているの」
言いながら、リアンの手を取り強く握って。
「忘れないで、リアン。リュオールは友好国よ。いつでも頼りなさい。国も、私も」
初日に言われたその言葉は。
その時よりもずっと、胸に落ちた。
◇ ◇ ◇
「悩んでいらっしゃいますか」
「……フィー。敬語は禁止です」
「分かった」
「うん」
行きとは違い、今度は最初からリアンと一緒の馬車で帰路に着いていたが、リアンの顔色は明るくない。……アテナ様に言われたことが原因か。
「フィーは、私なりの聖女のあり方って……何だと思いますか?」
てっきり彼女の叔母や両親の死因のことかと思っていたが、そっちのことか。
ただ、リアンにとっては軽い問題ではないだろう。
「私は紛い物で……言い換えれば、本物の聖女様が啓示を受けるまでのつなぎの聖女で。それだけだと、思っていたのですが……」
アテナ様のあり方とは、まるで違う。
彼女は、ある種成り上がりのようなもので、だからこそその実力を認めさせるために死ぬ気で何でもやっていたのだろう。他国に聖女であるというのに、こちらの国でも彼女を称える声も少なくはない。
「不安に、なった?」
続きの言葉をこちらが出せば、リアンは視線を落としたまま首を縦に振った。
ただ、身内贔屓の視線を抜いても、リアンは良くやっていると思う。9歳でいきなり聖女に据えられ、身を削るような思いで雨を降らせ、何日も飲まず食わずで祈りを捧げて結界を再構築した。その後も、ノア様の施策はあったにしても毎日病気の者を治し、国の安寧のために日々働き続けている。
「私は……神官様や、ノア様のお言葉通り動いているだけで、私自身の意思で何かを成したということはないから」
アテナ様と違って、紛い物が始まりだったリアンにそこまで考えろという方が無茶だろう。あのときは、国が滅びかけていたのに。
「だから、自分にちょっとがっかりしてしまったのかもしれませんね」
悲しげに笑うリアンに、言いかけた言葉は――そのまま飲み込んで。
代わりに、彼女の隣へ席を移った。驚いた顔をする彼女の頭に手を置き、ゆっくりと梳く。流れていくそれをくすぐったそうに受け止めるリアンにこちらも自然と口角が上がり、梳いていた手は、そのまま頬に。
「ふぇ」
触れて、つねった。
「ふぇー」
「うん」
「はんへふへふんへふぁ」
「うん」
「ははひへふははひ」
「うん」
「ほーっ! ははひへ、離してくださいってばっ!」
逃げられた。
「なんでつねるんですか! 離してくれないしっ!」
「ごめん、途中からなんか面白くなって」
「面白いからってつねらないでください!」
もう、と座り直して頬をさする。そんなリアンに目を細めて、口を開く。
「怒られた」
「それは怒りますよ」
「嫌いになった?」
その言葉に、リアンは視線を逸らして。
「こんなことくらいじゃ……嫌いになりません」
「どうして?」
覗き込めば、頬は赤らんでいき、眉が困ったように下がっていく。
「フィーが、好きだからに決まっているじゃないですか……」
真っ直ぐな返答に、こちらもその赤みを貰ってしまうけれど。
「俺も同じだよ」
視線だけは、逸らさずに。
「リアンが好きだから、何をしても嫌いにはならないし、なれないよ」
もう一度、彼女の頭に手を置いて。
「リアンなりの聖女なんて分からないかもしれない。今まで、それは求められていなかったから。それでも」
何度か、撫でて。
「リアンが、リアンなりの聖女を求めるなら、できる限り協力するし、間違っていればその道を正す。俺はリアンにがっかりなんてしたことは、一度もないよ」
長い髪に、滑らせていく。
「アテナ様みたいになりたいなら否定しないし、やってみればいい。それ以外のやり方でも、なんでも。リアンがやりたいことがあるなら、してみよう」
心地よさそうにそれを受けて、リアンは瞳をしばらく閉じて、開いた。
「アテナ様みたいには無理ですね」
苦笑する彼女に、先ほどのような悲壮感はない。
「やりたいこと……一緒に探してくれますか?」
伸ばされた手を、優しく握って。
「もちろん」
言葉とともに、額に口付ける。
徐々に馬車はグランフェルトへと近づいていく。
城へ戻ったら、ノア様に――――。
先ほどと違って、一人で握った手は。
思いのほか力がこもって、軋んだ。
お読みいただきありがとうございました!
もしよろしければ、ブックマークや評価など、ポチッとしていただけると喜びます!




