37.第一王子の元婚約者
「アテナ様! 今日もお元気そうですね」
「アテナ様、今年のレモンマートルは出来がかなり良いんですよ」
「アテナさまー。これつくったの」
「アテナ様」
「アテナ様!」
と、視察先のどこでも大人気の彼女は。
「ええ、ありがとう! みんな」
すべてを笑顔で受け止めて。慈しむように優しい視線を送っていた。
それを、羨ましそうに、どこか寂しそうに見る我が国の聖女の背にそっと手を置く。一度震えてこちらを見る彼女の瞳は、少しだけ震えていて。
「リアン様」
名を呼べば――少しして、震えは止まった。その様子に、瞳を細める。
「そちらが、グランフェルトの聖女様ですか! いやぁ、べっぴんさんですねぇ!」
「アンタ敬意が足りないよ! アテナ様じゃないんだから」
「あ、いえ。お構いなく……」
「あら、私にも敬意を払ってもらってもいいのよ」
「うぇ、あ、アテナ様ももちろん美人さんですよ! なぁ!」
そんなやりとりに、リアンの気も緩んだようで自然と笑みが漏れ、会話が弾んでいく。芳しい香りの中で行われた視察は、アテナ様を中心に和やかな空気の中で行われ。
「パラス様」
「ご安心を。手は打ってあります」
不意に感じる悪意は、彼女達に伝わる前にパラス様の指示で全て摘み取られていた。
「……いつも、これほど?」
「いえ、今日の朝のことがあってか、これでも控えめですね。噂話くらいなら見逃しますが、作られた悪評や敵意まではこちらも放っておけませんし」
これほど安定したリュオールでも、反聖女派が入り込む隙はある。そうでなくとも民衆もすべてが聖女に好感情を持っているというわけでもないだろう。
『国が上向いてきた今だからこその困難があることも知っているわ』
アテナ様のあの言葉は、いつか、俺達にも――――。
「安寧は感じづらいものですからね。気付かずに欲ばかりが肥大してしまって、なかなか難しいものです」
嘆息するパラス様の視線の先には、こちらに気付いて笑顔で手を振るこの国の聖女の姿がある。
「まあ、それでもその安寧を守ることが我々の仕事ですからね」
「……そうですね」
アテナ様に倣って、控えめに手を振るリアンを。
彼女がその身の限りを尽くして作ろうとしている安寧を、俺は――――。
◇ ◇ ◇
「フィー様」
視察を終え、リアンとともに戻ろうとしたところで声をかけられた。
セレーネ様……ノア様の元婚約者だった彼女に案内され、庭園を歩いて行く。植えられているのは………ハーブが多い。このあたりも、パラス様が指示されているのかもしれない。
「ノア殿下は……お元気?」
しばらく歩いて、フルートのような優しさで紡がれた言葉は。意外にも、あの第一王子の身を案じるものだった。
「ええ、それはもう大変に。私達が休む間もないくらいにはご命令を楽しげにされていますよ」
「まあ」
くすりと笑う彼女を見るに、婚約破棄への悪感情はないらしい。それどころか、むしろ。
「相変わらずね」
友人に向けるような言葉を、冷徹王子と呼ばれる彼に向けて送っていた。
「私達の婚約破棄の理由について、貴方は知っていて?」
「諸説ありますが、ノア様が原因であるものが多いですね」
「そちらの国でも、そうなのね」
その話と、食事会の時にセレーネ様の件を借りだと言っていたアテナ様の言葉、自国の公爵と結婚して幸せそうな彼女の様子を合わせれば――――。
「上手くやってくれたわね、本当」
そうして、彼女は幸せそうにため息をつく。
「こちらへの伝言もたっぷりヴィルヘルム殿下から頂いたわ。もうそろそろ借りなんて、なくなりそうなくらいに」
「それは……ノア様らしいですね」
「ええ。でも、やられっぱなしじゃ悔しいじゃない?」
庇護欲をかき立てるような、愁いを帯びた瞳は楽しげな灯をともし、白い肌に紅をさしたような唇は、先ほどまでの儚さを打ち消すような言葉を紡ぐ。
「ねぇ。ちょっとした意地悪に協力してくれないかしら」
その先の言葉は、できれば聞かなかったことにしたかった。
お読みいただきありがとうございました!
もしよろしければ、ブックマークや評価など、ポチッとしていただけると喜びます!




