33.あなたを待っています。
「リアン……」
「なんですか?」
「あの、そろそろ」
「そろそろなんですか?」
馬車に乗って、ヴィルヘルム様からからかわれたことを説明する前から、説明が終わってからも。
「離れた方が、いいんじゃないかと」
リアンはずっと俺にぴっとりとくっついていた。
「どうしてですか? 到着までにはまだ時間もありますよ」
「いや、でも」
「フィーが気にする人目もありませんし、何も問題ないじゃないですか」
「そうなんだけど……」
そうはいっても外には護衛もいるし、今や一国の聖女として活躍している彼女に外でも構わず護衛騎士が不貞を働いているとなれば、注意だけではすまない気がする。
「フィー。私は怒っているんですよ」
「重々承知しています」
「敬語禁止と言いました」
「申し訳…………ごめん」
そんな俺の姿を見てリアンは深くため息をつく。
「フィーとこうして一緒にいられること自体何日ぶりか分かっていますか」
「大体……20日ぶりですね」
「分かっているならこのくらいいいでしょう!」
より力を込められた。その姿に、可愛さを感じないわけではない。
髪を撫でれば、ふわりとラベンダーの香りが漂う。ああ、この前の祭りの際に仕入れられた髪油か。指を滑る髪が愛しくて、つい何度も繰り返し、態勢を変えてリアンを胸の中に収める。
「ノア様や、アリー様とばかりいて……」
「アリー様はともかく、ノア様とは好きでいるわけじゃないんだけど……」
むしろ呼び立ててほしくない。今回の隣国訪問だってどんな意図があるか分からない。
隣国の聖女にリアンが会って何があるというのか……。
「それでも」
リアンは一度顔を胸にこすりつけて、服をつかむ指の力を少し強くして。ぽつりと呟く。
「寂しいのは、私だけですか?」
その問いに。揺れた馬車に。
頭で考えるより先に――――強く抱きしめた。
「ごめん、痛かった?」
こわばった彼女の体にそう声をかけて、腕の力を緩めた。
けれど。
「痛くないから、このまま――――」
首に回された細い手に、応えるようにもう一度力を込めた。
「リアン」
「……はい」
「好きだよ」
「…………知っています」
言葉とともに、唇が触れる。
彼女の笑みのように、優しく。
「フィー」
「うん」
「私はフィーが大好きです」
「…………俺も」
「フィーよりも私の方が絶対大好きです」
「…………そうか」
「そうです」
「うん」
そのまま、俺の方に頭を預けて呟く。
「フィーは、私に隠していること……ありますよね」
先刻、ヴィルヘルム様にも言われた話。
リアンはもう察して、ノア様にも伝わっている話だ。
「話してほしいですけれど……無理にとは」
「いや」
先ほど彼女がしたように、彼女の頭に頬を擦りつける。香るラベンダーは、まるで彼女のようで。
「王都に戻ったら、きちんと話す。多分、国の機密に関わることだから……今は、話せなくてごめん。ノア様に話してから」
「またノア様ですか」
言って、離れると頬を膨らませた。そろそろノア様が禁句になりそうだ。
「前は格好良いって話していたのに」
「私が覚えてもいない子供の頃の話をしないでください。それに、私はフィー一筋です」
「俺だって」
「分かっていますよ」
頬に、それから唇に口づけられて。
「待っていますから。必ず話してください」
3歳も年下はずなのに。
ひどく大人びた笑みを浮かべて、彼女は俺の胸を指で突いた。
「でも、できることがあれば何でも言ってくださいね。全部仲間はずれは嫌です。それに、フィーは勝手に決めて私の知らないところで勝手にどこかに行く癖がありますから」
「そんな癖は」
「あるんです」
「……そうですか」
「敬語は」
「善処する」
つい上がった口角に、瞳を瞑って思案する。
先見で見えた、彼女の叔母である、前聖女を刺し殺す未来。
笑顔の彼女のそばに――――自分がいない未来。
「リアン、教えてほしいことがあるんだ」
この国の災厄の始まりは、聖女が亡くなったこと。
「リアンの叔母様について、知っていることを教えてほしい」
死んだはずの前聖女、ヘレン・セーデルクヴィスト。
美しく、聖女として敬われ――――時に、安寧が当たり前であった時代は、中傷もされていたらしい彼女のこと。
「ヘレン叔母様は」
一瞬驚いた顔をしながらも、口を開いたリアンは。
「実は……私もお会いしたことがあまりなくて」
少し困った顔をしながら、記憶を辿って。
「優しい方で、お母さんとも仲が良くて…………ただ」
思い当たった何かに、顔を暗くした。
「多分、私は……ひどいことを、言ってしまったんだと思います」
その言葉を聞いてみれば、子供の疑問としては大したことはないもので。
ただ、聖女としては当たり前に許されないもので。
『叔母様は、好きな人はいないの?』
『…………聖女はね、神様以外好きになっちゃいけないのよ』
『どうして?』
『聖女だから……』
首を傾げるリアンに、少し遠くにいる彼女の両親に、前聖女は顔を歪めた。
『聖女だから――――』
その言葉に、どれほどの想いが込められていたのか。
神に捧げられた彼女は、見えない剣を何本も刺されているかのように。
その言葉を、口の中で繰り返していた。
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