71.佳境
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当初の、革命を起こしこれまで培われてきた学問をまるごと転覆させるという崇高な目的もすでに忘れ去られ、召喚士のほとんどは逃げ惑うばかりだった。
しかし、一度魔術都市に叛意を見せた者が、戦意を失えば許されるという道理もない。警備隊のホムンクルス達が、彼らを逃すまいと追い立てていた。
狭い路地に逃げ込む召喚士とシルフ。それに続くように、長柄の槍を持ったホムンクルスも通路に飛び込んでくる。
「くそっ、なんとかしてくれ!」
「なんとかって言っても!」
具体的なことは何も言わず、ただ助かりたい一心で命じる召喚士。そして、シルフにとっても今は生きるか死ぬかの瀬戸際なのだ。必死にその命を遂行する。
風の魔力を集め、無色の刃としてホムンクルスに飛ばす。旋風となって飛んだ刃は相手の左肩の辺りに命中し、皮膚を切り裂いた。
―――だが浅い。多少肉をえぐり取ることはできても、そのまま肩から腕を切り離すようなことは叶わなかった。
ホムンクルスは多少身じろぎするだけで、顔色ひとつ変えずシルフに向かって突撃してくる。これにはこちらも悲鳴をあげるしかなかった。
「無理だよやっぱり!」
「くそ!」
精霊は魔力そのものの化身であり、ヒトよりも遥かにそれを扱うことに長けている。つまり、高度な魔術を行使できる。
というのはあくまで強い力を持った精霊の場合だ。火精の王とまで呼ばれるドレークや、命位持ちが召喚したエアリィ。彼らほどでなければ、一流の魔術師を凌駕するほどの魔力操作はできない。
それ以外のごくありふれた、悪し様に言えば凡百な精霊ではそうもいかない。いくら自分が魔力の塊同然といっても、それを自在に操るだけの技術がないのだから宝の持ち腐れだ。
それでもそこらの魔術師には負けない程度の魔術は使うこともできるだろうが、殊ゴーレムやホムンクルスなど戦闘に適応するように設計された被造物に対しては大いに劣る。だからこそ、それらを退けて管理局を占拠するためには、ドレークのような強大な戦力を招き入れる必要があったのだ。
その頼みの綱のドレークもやられた。その時点で、召喚士が目的を達成する望みの芽は摘まれたも同然だった。
ホムンクルスは一気に距離を詰め、手にした槍をシルフに向けて一突きする。
「びゃっ!」
素っ頓狂な叫びと共に、身をよじらせ間一髪のところでそれをかわす。風の流れから物体の動きを読むことに長けたシルフだからこそできたことだ。他の精霊ならこの一突きでやられているだろう。
とはいえ回避できたのもほぼ奇跡だ、次はない。なにせ身をよじった拍子に体勢を崩し尻もちをついてしまったのだから、これではロクに身動きも取れない。
その次とやらを、すぐさま繰り出そうとするホムンクルス。その身体に、召喚士が覆いかぶさるように組み付いた。なんとか相棒を刺し殺そうという動きを止めようというのだ。
「く、くそぉ~!やらせるわけにはいくか!今の内に逃げてくれ!」
渾身の力でホムンクルスを押さえつけながら呼びかける召喚士だったが、当のシルフは立ち上がることもできない。
「こ、腰が抜けて動けない!」
「なんで魔力の化身が腰を抜かすんだよお!」
「も、もう諦めて死ぬしかない!今までありがとう!」
組み付く召喚士の身体を、ホムンクルスが冷ややかな声と共にさながら濡れた紙が壁に張り付いたのをそうするようにゆっくりと紳士的に引き剥がす。
「離れて」
「ひええ~」
ヒトである召喚士達は殺さないという指示だ。強靭な肉体を持つホムンクルスならば、五体をバキバキにへし折ってゴミ袋のように捨てることも可能だが、そんなことはしないしする必要もない。
片手で邪魔者を押し返しつつ、残る片手に持った槍を改めて構え直す。後はこれを腰の抜けた丸腰の精霊に突き刺せば終わりだ。
それはどこか間の抜けた光景であったが、これから死んでいくであろう当事者にとってはまさしく首切り刑でいう土壇場そのものだろう。
「任務を遂行する」
そんな抑揚のない声を共に、ホムンクルスがトドメの一撃を加えようとした。
その時だった。
「この地に生きる全ての者よ!空を仰ぎ、これを見なさい!」
どこからともなく声が響いてきた。風の魔力に乗って、魔術都市の全域にまで届くほどの声だ。これほどの芸当ができるのは、おそらくシルフだろう。
『これを見ろ』?一体何を見ろというのか。そんなことは任務とは関係ない。一瞬だけ気を取られたものの、こんな声は無視して任務を遂行しなければ。
ホムンクルスは改めて槍を突こうとする。
しかし、それが叶わなかった。
気がついた時にはホムンクルスは構えを解き、両腕からは力が抜けゆるりと地面に垂れていた。召喚士を押し返すこともやめ、かろうじて握られているだけの槍の穂先は地面に触れていた。
どこの誰が発したかもわからないその声に、従わずにはいられなかった。空気の振動に特殊な魔術を施し、言葉に強制力をもたせているのだろうか。俗に言う“暗示”の類、それを使われているのか。
あるいは、そんなものとは関係なく。その声には、あるいはその声が見ろと言っているものには、理屈では説明できないなんらかの力があるのか。
ホムンクルスは、そして彼が今しがた抹殺しようとしていたシルフも、彼女を守ろうとしていた召喚士も。全てが先程まで起こっていた出来事も忘れて、空を仰ぎ、それを観た。
―――空が。
空が生まれ変わっていた。




