54.決意
全身がかすかに震えるのを感じながら、ティファレッテは理解の埒外にある深淵でも覗くような気持ちでイェソドを見つめ、彼に問いかけた。
「イェソド様、あなた……なにを考えているんですか」
その問いを聞いた彼は、見せつけるように手のひらで冷え切った火口を指し示しながら応えた。
「見てください、ティファレッテさん。この燃え尽きた炎こそが今の精霊の有り様なのです。精霊は今、我々ヒトの手によって不当にその力を行使され、少しずつ弱っている。いつかどこかで、誰かが精霊を解放しなければならない。この世界から魔力が失せ、精霊が完全に消えてしまう前に」
イェソドの考えている理屈自体は理解できるし、きっと間違いではないだろう。
精霊達は、召喚術という彼らが生まれた時には存在しなかった特異的な手段でその力を使われている。そしてその余力は少しずつ失われていて、いずれ完全に枯渇してしまう。
そうなると精霊達は生きていけずに消えていくだろう。この火山がそうなったように、死んでしまうのだ。
だとしても、何故だ。なんでそれを防ぐために魔術都市を襲わなければならない。
そんなティファレッテの気持ちを見抜いているのか、イェソドは説き伏せるように言葉を続ける。
「繰り返すが、あの講習会を開いて貴方達に技術を教えたのは、才能ある召喚士を戦力として引き入れるためです。魔術都市を占領するためには、とにかく戦力が揃っていなければならない。そのためにはどんな手段でも講じるつもりだった。そのことについては、本当に申し訳ないと思います。事が全て終わった時には、私のことはどんな風にでも嬲ってくれていい。
そして今この世界にいる精霊達を、ヒトが呼び起こしたる最期の者達としたい。革命を成した後、我々は彼らとも決別し、それで精霊召喚術の歴史は忘却の彼方へと消え失せる。それで全てが終わる」
戦力。
つまりあの時の講習会は全て、このための布石でしかなかったということか。
「貴方が召喚したドレークの力は強大だ。かの王の助力さえあれば、我々に敗北はない。管理局の占拠は必ず成功する。
ティファレッテさん。どうか我々に力を貸してください。いつかこうしなければ、精霊達はついに苦しみの内に消えてしまう、みんなが死んでしまう。そうならないためにも、誰かが戦わなければならない」
「そんな……。どうしてわざわざ今やらなければいけないんですか。他にもやりようはあるんじゃないんですか。他の魔術師と戦わなくったって」
弱々しいティファレッテの言葉に、イェソドは頑なな決意をこめた力強い口調で返す。
「それは私自身、何度も考えた。これはあまりに強硬的ではないか、あるいは時期尚早なのではないのか、と。精霊達はまだ完全に死んではいない。彼らの力の源泉たる魔力はまだ残っているし、もうしばらくは維持できるでしょう。
ですが、減少してるのは間違いなく確かなのです。何度でも言います、どこかで誰かが成さねばならない。そうでなければ、最悪の結末はいつか必ず訪れる。ならば、私がそれを食い止める役目を負うことにした。そしてどうか、貴方にも力を貸して欲しい」
「そん、な……」
「私は―――僕は精霊のことを慕っている。何も知らない僕に、何も知らないまま呼び出されたエアリィのことが好きだし、彼女のためにできることがあるのなら、それをしたい。
ティファレッテさん。貴方はどうなのですか」
「……」
ティファレッテの脳裏に、昔家が火事になった時の記憶が蘇る。
あの火が起こった原因はなんだろう。今でもよく分からないが、きっと下らない理由だったのだろう。そしてそんな下らない理由のために、本当なら自分はあのまま焼け死んで、生き物なのか炭の塊なのかもよく分からないものに成り果ててしまうところだった。
それをあの、炎の中に揺らめいていたあの何かが助けてくれた。そして、それをもう一度眼にしてみたいと思った。
あれはきっと、ドレークの友達なのだろう。彼と同じ火の精霊。
彼らが弱まり死んでいく、それを防ぐ手段があるというのなら、自分だってそうしたい。という気持ちはある。
だけど、そのために戦う?自分なんかが?
単なる田舎娘で、ただ淡い夢を抱いて魔術都市に来て、その夢を叶えることができただけのただのヒトの子に、そんな大それたことができるのか?
もう何も分からない。自分では考えがまとまらない。
だからティファレッテは、自らの精霊に聞いてみることにした。
「ドレーク、あなたはどうしたいの。この光景を見て、あなたはどう思っている?あなたたちサラマンダーは、本当に今わたしたち人間に力を使われて苦しんでいるの?」
彼女に呼びかけられた火精の王は、ティファレッテの背後にその姿を現し、燻るだけの炎の山の景色を眺めながら静かに口を開いた。
「我ら精霊は所詮単なる魔力でしかない。汝らヒトの手により呼び出される折に、認識できる形と語り合うための意志を持っただけのことだ。召喚されることのない魔力など何も思わず、何も語らず。さりとて消えゆくというのならば、ただ消えゆくのみ」
そう。精霊として召喚される前の魔力には意志はない。だからおそらく、魔力がそれのまま消えるだけならば、痛みもなければ恐怖もないのだろう。
そんな事実を淡々と口にするドレーク。しかし、その眼に一抹の寂寞のようなものがあるのをティファレッテは見逃さなかった。見逃すはずもない。いつも傲岸不遜、威風堂々としてる炎の塊のような彼が、今だけはどこか小さく見えたのだから。
そんなドレークが、ティファレッテの方を見つめながら改めて言う。
「もし我に選択する余地があるとすれば、それは汝に従うという道のみ。我は汝の精霊。汝の意志に従おう」
それは彼女の背中を押す一言であり、同時に逃げていた結論へともう一度引き戻すものだった。
だが、この言葉を聞いた途端、決められなかった心が不思議と一つの方向へと行き着こうとしているのを感じた。
ティファレッテはもう一度自らの相棒に問う。
「じゃあ、もうひとつ聞く。あなたは、わたしの選択ひとつで自分が死んでも、この世からいなくなっても悔いはないの?いつかわたしの精霊じゃなくなって、二度と会えなくなっても寂しくない?」
「悔いはない。寂しくは―――あるかもしれない」
寂しいかもしれない。そんな弱気な言葉をドレークから聞くとは思わなかった。だからこそティファレッテは今初めて、彼ともっと深い部分で分かり合うことができたような気がした。よりにもよって、こんな時に。
「……分かった」
ティファレッテはそう小さく頷いてから、イェソドの方に向き直した。その眼には、今のイェソドの双眸に宿るそれ以上の決意があった。
「イェソドさま。ひとつだけ、みなさんにお願いしたいことがあります」
「それは」
「ヒトを。わたしたちの同胞たちを、そして精霊たちも含めたあらゆる生命あるものを、どうか殺めないでください。絶対にとは言いません。それでもどうか、はじめから殺すつもりで戦わないでください。それを約束してくださるなら、わたしもドレークもみなさんに力をお貸しします。この生命を捧げて、革命を成します」
それを聞いて、イェソドの顔には笑みが浮かんだ。
喜びと不敵さと自嘲、様々なものが合わさった笑みだ。
「勿論、はじめからそのつもりだった。貴方とドレークの協力があれば、きっと誰も死なず、血の流れない革命を成すことができる。これは同時に私達と精霊達の別れともなる。その門出に、死の臭いを振りまくわけにはいかない」




