53.死につつある火山
周囲にはもはや熱気は感じられず、火口の底に見えるものはマグマなどではなく単なる冷えた泥でしかない。そこには燃え滓程度の熱しかなく、その気になれば足を踏み入れることさえできるだろう。
ここが、世界最古の火山にして火の精霊達の“里”とも呼べるハインケルの山だというのか。
「イェソドさま、これは一体」
呆然とした面持ちで近くの命位持ちに問うティファレッテ。
それにイェソドはもはや死につつある火山の火口を見下ろしながら応えた。
「確かにここはハインケルの山です。ごく最近―――といってももう十年ほど前のことになりますが、その活動が急激に弱まっていることが確認されました。そして、そこに満たされる魔力もまた弱くなりつつある。この地はすでに、精霊の生きる場所ではなくなりつつあるのです」
その口ぶりからするに、
「イェソドさまはこのことをご存知だったのですか。その上でわたしたちを遠征に連れ出した、と」
「その通りです。
ティファレッテさん。貴方には何故この山が急速に死につつあるのか、その理由が分かりますか?」
自分達精霊召喚士をわざわざここに連れてきた上で、そのような質問を投げかける。
ティファレッテの中にはひとつの仮定が浮かび上がった。
しかしそれは、まさかだ。とてもそうは考えたくないような答だった。
「もしかして、精霊召喚術が関係しているというのですか。わたしたち召喚士が、この事態を引き起こしているって……!」
その回答に対する正誤ははっきりとは口にしないまま、イェソドは続ける。
「例えばですが、五元素行使術などで用いられる魔力は術者自らの身体の内から発せられるものから使われている。そのため、消費された分は術者の身体から生命の源として消費されていく。使いすぎれば体力が消耗し最悪の場合死に至るが、結局のところそれは自業自得であり、術者自身の中でリスクが完結している。
しかし―――」
「でも、精霊はそうじゃない」
イェソドの続く言葉をティファレッテが代弁する。それに《恋人》の魔術師は小さく頷いた。
「そうです。精霊達はこの世界に遍く魔力の化身であり、彼らが使役するのもまた世界そのものに存在するものです。その量は膨大で、我々ヒト一人の身体に宿るものなどそれに比べれば微々たるものでしかない。だからこそ精霊は優れた魔術を扱うこともできるのです。
しかし、その魔力自体にもまた限りはあるし、使えば当然消費されてしまう。失われたものは長い年月をかけて世界そのものが再び産み出すのを待たねばならない。我々召喚士が精霊を呼び出しその力を借り受ける度に、世界から魔力が失われていくのです」
「それが、……その結果がこれだっていうんですか?」
ティファレッテは両腕を広げてイェソドに問うた。その仕草はまるで、冷え固まってしまった火山の姿を示すかのようだった。
そこでようやくイェソドは、火口を見下ろすのをやめて彼女の方へと振り返った。
「精霊召喚術は、学問としてあまりに肥大化しすぎた。本来ならば精霊はこの世界の片隅で純粋な魔力そのものとしてひっそりと生き、あるがままに起きる自然の摂理を見守っているべきだった。それを我々ヒトが公のものとしてあぶり出し、使われるべきではない力をいたずらに使ってしまった。その結果として、この世界を豊かなまま保つために必要な魔力すらも徐々に失われ、大地から活気が消えつつある。
このハインケルの山だけではない。各地に存在する精霊の“里”においても同じようなことが起こっている。湖は枯れ、植物は実らず、風すらも吹くことがない。そんな土地が少しずつ、しかし確実に広がりつつあるのです。こんなことがあってはいけない」
そう語るイェソドの顔を、ティファレッテは睨みつけるように見据えていた。自分が召喚したサラマンダーのドレークはともかくとして、普段は誰に対しても温厚でともすれば気弱な態度の彼女でも、さすがに苛立ちを隠すことができなかった。
なにせ、イェソドの語る言葉はまるで―――
「イェソドさま、あなたは一体何をおっしゃりたいのですか」
「ティファレッテさん。
私は、精霊召喚術などそもそも存在しなければよかったと思っている。このまま精霊の力を行使することが通例としてまかり通ってしまえば、いつか世界から魔力は失せ、精霊も生きられなくなる。そうなる前に、召喚術そのものをこの世の禁忌として誰も触れることのないように封印しなければならないと、そう考えている」
そう。自分達が会得しようと励んでいる召喚術そのものを否定する言葉なのだ。
「だったら、もっと早くそうすればよかったじゃないですか。十年前にはもうこの事が分かっていたんでしょう?それならイェソドさまが召喚術をすぐに禁忌にしてしまえば、この山から炎が消えることだってなかったかもしれないのに」
イェソドのことを批難する思いを隠そうとしないティファレッテからの問いかけ。
それに動じる様子もなく彼は応える。
「この事実に気づいたのは、どうやら私が初めてだったようなのです。それまでは、精霊の“里”の荒廃は気づかれることもなく、仮に気づいたものがいたとしても召喚術との関連性を見出すことができなかったのです」
「それでも、今からでもあなたが動けばいいじゃないですか。イェソドさまほどのお方なら、すぐにでも管理局に呼びかけて召喚術を禁忌にしてしまえばいい。《恋人》のお言葉なら、魔術師達は動いてくださるはずです」
そんな言葉に、イェソドは自嘲気味な笑みを浮かべた。
「私のことを買いかぶりすぎですよ。命位など結局のところ肩書でしかない」
「……え?」
「管理局といっても、魔術都市といっても、果ては魔術師全体を見ても、決して一枚岩ではない。統一された集団などではないのです。精霊召喚術はすでに私の親の親の、その親の代から連綿と続き学問として定着したもの。長い年月を経てその利益はすでに魔術師だけでなく世界各地にまで普及している。精霊の力を利用し、その恩恵をあやかろうとする者達はいくらでもいるのです。そのような者達の反対もあって、話し合いなどでは決して召喚術を禁忌として認めてもらうことができなかった。結局のところ、《恋人》の命位など飾りでしかない。私のような若輩者の言葉など、誰も聞き入れてくれないのです。
もはやただの言葉だけでは解決することはできない。これまで積み上げられてきた学問としての歴史を、それにより生じた繁栄を、その全てを覆すほどの革命がなければ、精霊を守ることはできない。ティファレッテ、貴方のドレークも。そして私のエアリィも、みんながいつかいなくなってしまう」
「だったら!」
ティファレッテの叫び声が冷え切った火山で虚しく響く。
「その革命もあなた一人で起こせばよかったじゃないですか!
わたしが一番あなたに言いたいのはそれです。どうして、……それならなんでわたしたちに召喚術を教えたんですか!これから禁忌にしようっていう技術を使って、なんでこれからいなくなるような精霊と出会うことになったんですか!ドレークと出会ってまだわたしはひと月と経ってない。それなのにあなたは、彼とわたしの関係そのものを、なければよかったと否定するのですか!」
「そうですね。そのことについては私も貴方達に謝らなければならない。
―――しかし、もしわがままを許してくれるのなら、どうかそれは全てが終わった後にさせてはくれないだろうか。正直に応えると、戦力が欲しかった。これから成すべきことには、とにかく戦力が必要だった。それを確保するために、あらゆる方法で私の手元に召喚士を集めておきたかった」
「戦、……力?」
イェソドは、彼は一体何を言っているのか。
彼はもはやくすぶることしかない炎の山の口を背にして悠然と立ちながら、迷いのない声で言った。
「そうとも、起こしてみせよう。私はこれから、その革命を成す。
これより我々は魔術都市を襲撃し、管理局を占拠する。そして強制的に召喚術を禁忌として封印し、ヒトと精霊達との繋がりを断つ」
その宣言に、ティファレッテは戦慄した。




