第十話 マジか……新規業者へのハードルが高すぎる……いつの時代の漁港だよ、ってここ異世界だったわ。別におかしくないわ
俺がアイヲンモール異世界店の店長になってから25日目。
魚市場の視察と食堂での試食を終えて、俺は漁港に来ていた。
魚介類を仕入れるなら、小売店より卸や漁師から直接仕入れたい。
生産者から直接仕入れるのは株式会社アイヲンがよくやる手だ。
なんなら自分たちで生産して独占販売するまである。
一定品質を保って、中間コストを省いたプライベートブランドだ。
「まあそこまでは難しいだろうけどなあ。この世界でも、農業や畜産ならできるかもしれないけど……水産物はなあ」
獲れる種類も違えば、天候によっては漁に出られない日もあるだろう。
一定品質を一定量確保できなければプライベートブランドとして売り出すのは難しい。
アイヲンモール異世界店から馬車で約二週間、バルベラで数時間の港町。
漁港は、俺が想像していたよりも小規模だった。
石造りの岸壁はある。
青い海に張り出した防波堤もある。
アンナさんいわく、どっちも土魔法で造られたものらしい。魔法すごい。さすが従業員用アパートが短期間で建てられるだけある。
嵐や大潮、修理なんかで船を陸にあげておく船揚場もある。
何艘か小型船が船底を晒している。
ちなみに小型船は木造で、オールか帆で動かすらしい。
大型船や軍艦になると要所は魔法金属で補強されて、モンスターの攻撃を防ぐんだとか。
外洋には巨大モンスターがいて、ちょくちょく沈むらしいけど。異世界の海怖い。
船が木造だとか動力が違うだとかいろいろあるけど、この辺は日本の漁港と同じといえば同じだ。
干物なんかを作る加工場や荷捌き場があるのも同じだ。
養殖用の施設はないけどまあそれはいいとして。
一番の違いは、市場がないことだった。
「ンなもん馴染み客に卸すに決まってンだろ」
「じゃあ買い付けは」
「はっ、余所モンに卸す物好きなんていンのかねえ」
魚市場はあったけど魚市場はない。いや哲学じゃなくて。
地元客や一見さんが買いに来る魚市場はあったけど、鮮魚のセリがあったり買い付けたりする市場がなかった。ややこしい。
「どの船も、魚の売り先は決まってるもンだ。売れ残っても魚市場に流すしな」
「マジか……新規業者へのハードルが高すぎる……いつの時代の漁港だよ、ってここ異世界だったわ。別におかしくないわ」
魚を獲ったら水揚げして馴染みの業者に売り渡す。
業者は鮮魚として街の食堂や小売店に流し、一部は加工にまわす。
一部の鮮魚を食堂に直接卸す漁師さんもいるらしい。
漁師さんは販売する前か後に自分たちの分を確保する。
余った魚は魚市場に並べる。
漁港で休憩していた漁師さんに聞くと、鮮魚はそんなルートで出回っているらしい。
外洋は危険らしいし養殖もないし、漁獲量が少ないせいだろう。
「輸送にかかる時間の前に、買い付けが問題になるなんてなあ……」
石造りの岸壁からぼんやり漁港を眺める。
日本の漁港との違いはもう一つあった。
加工場はあるけど、冷凍倉庫が存在しない。
魔法使いが氷を作って冷やしておく「冷蔵倉庫」はあるけど小規模だ。
この世界で魔法を使えるのはほとんど貴族で、魔法を使える平民は一部だけ。
つまり魔法使いを雇うのはけっこうなお値段になる。
冷蔵倉庫で保管して、時間は止まらないけど一緒に氷を入れておけば腐りにくい〈アイテムポーチ〉を使って運搬する。
かかったコストが反映されて、お貴族様向けの超高級商品になるそうだ。
「まあ言ってもしょうがない。とりあえず乾物を買って帰ってみようかな」
「何を言ってるんだナオヤ、なければ釣ればいいだろう! ヴェルトゥの里一番の釣り師と言われたこの私が! たくさん釣り上げてみせよう!」
「そっか、『弓も精霊魔法も使えないクロエは里の外に出たらダメだよ』って温かく育てられてきたんだもんな。暇な時間に釣りしてたと」
「そそそそんなことないぞナオヤ! 剣に神聖魔法に日向ぼっこに植物の成長日記に、忙しい日々の中で息抜きに釣りをだな」
「途中からおかしい。まあほら、一人が釣る量じゃスーパーで販売する量にはならないからな。趣味にはいいけど厳しいだろ」
「ナオヤさん、もしよければみんなを連れてきて漁をさせましょうか?」
「やめてくださいアンナさん、幽霊船の目撃情報が頻発しそうです」
クロエもアンナさんも、鮮魚の仕入れに関しては無力だった。
……船を使わないで、スケルトン部隊を海中に放り込んだら追い込み漁できるか? けどエプロン付きスケルトンは調理と清掃で忙しいし、隊長とスケルトン部隊は警備の主力だしなあ。
故郷が近い、いわば地元らしいバルベラをチラッと見る。
バルベラはこてんと首を傾げている。尻尾が揺れてぴたぴた音を立てる。
バルベラママさんは愛娘をうっとり見つめている。
特に言うことはないらしい。
「ダメか。けどバルベラがいるからその日のうちに港町まで来られたわけで。贅沢は言えない」
と、バルベラの尻尾が止まった。
バルベラとバルベラママさんとクロエとアンナさん、つまり俺以外の全員が加工場に目を向けた。
「クソッ、きちんと仕留めとけってんだ使えねえ冒険者め!」
「あぶねえぞ! 逃げろ!」
「なんでこんな時にいねえンだ、若ェ衆はどうした!」
すぐに叫び声と、がしゃがしゃ騒音が聞こえてくる。
加工場の大きな扉が、どごんっと吹き飛ばされた。
身をくねらせて一体のモンスターが近づいてくる。
「やべえ、人がいた! おい逃げろ兄ちゃん嬢ちゃん!」
「銛だ、銛もってこい!」
「無理すんじゃねえ! 先生だ、先生呼んでこい!」
「ああああああ! 大枚はたいたシーサーペントが……」
片目が潰れて胴体から血を流す巨大な水蛇が近づいてくる。
ボロボロだけどすぐ死ぬ気配はない。
加工場から海に向けて石の岸壁を進む。
つまり、進行方向にいる俺たちは危ないわけで。
「ナオヤは下がって——ん? どうしたのだバルベラ?」
「バルベラちゃん? そっか、お母さまが見てるもんね。がんばって!」
俺を守るように前に出たクロエ、を無視してバルベラがトコトコ歩く。
尻尾がピンと立って、尻尾の先の炎がぼぼぼっと勢いを増す。
「え? なんでクロエもアンナさんも見守る感じになってるんですか? あんなでっかいモンスターに見た目10歳のバルベラじゃ危な、ほらバルベラママさんも見守ってないで止めないと」
「ふふ、心配いらないわナオヤ」
「……倒す」
言って、バルベラがたたたっと走り出した。尻尾がくねる。
小さなバルベラをひと呑みにしようとシーサーペントが大口を開ける。
バルベラは上体をかがめて顎の下に潜り込んだ。
「……えい」
シーサーペントがヘビっぽく上体をもたげ——
「あれ? もたげたというより打ち上げられた感じ? すごい力で下から上に吹っ飛ばされた、みたいな。けど体が長くて重いから真ん中から後ろは地面に着いたまま、みたいな」
前を見る。
見た目10歳のバルベラが、右の拳を振り上げていた。
アッパーカットを打ち終わった後、みたいに。
「なるほどなるほど、バルベラのアッパーで顔を打ち抜かれて上体ごと持ってかれたと。見た目10歳でもさすがドラゴンなんだなあ。ははっ」
俺の乾いた独り言をよそに、バルベラが跳んだ。飛んだ。
10メートルぐらいジャンプした。そういえば海辺でもめっちゃ飛んでたっけ。異世界の女の子すごい。ドラゴンだけど。
大ジャンプしたバルベラがくるっとまわる。
まわった勢いで足を出す。
かかと落とし。
「……えい」
気の抜けた声と裏腹に、今度はシーサーペントの頭が地面に急降下してくる。
「あらあら、バルベラちゃんったらまだまだね」
バルベラママさんが服からはみ出た尻尾をひょいっと動かすと、海水が球になって陸に上がった。
シーサーペントの頭が水球に突っ込む。
ぼちゃっと飲み込まれる。
「えっと……」
「あのまま激突したら、石造りの岸壁は割れていたことでしょう。下手をすれば崩れていたかもしれません」
「ああなるほど。だから『水妃龍』さんが水を操ってフォローしたと。へえ。ドラゴンすごい。異世界怖い」
「なんと速やかな魔力運用だ! くうっ、里に帰ったらお父様とお母様と妹と長老に自慢しなくては!」
「それでいいのか家出娘」
「……倒した」
「ああ、助けてくれてありがとな。偉いぞバルベラ」
何事もなかったようにトコトコ戻ってきて、ふんすと胸を張るバルベラの頭を撫でる。
バルベラはくすぐったそうに目を細めた。
背後ではシーサーペントがぴくりともせず横たわり、その後ろでやたらたくましいおっさんたちが呆然と俺たちを眺めている。
俺がアイヲンモール異世界店の店長になってから25日目。
異世界の漁港は、危険がいっぱいみたいです。
まあドラゴンとリッチと聖騎士がいる俺たちには関係ないらしいけど。アイヲンモールの従業員強すぎィ……。俺以外。