第10話 : ダンジョンと巨竜の爪痕 l
砕けた石と硫黄、そして死んだ血の味が口の中に広がり、俺は意識を取り戻した。
足元の暗闇は強固な壁のように、三歳児の未発達な頭蓋骨を圧迫していた。左腕を動かそうとしたが、肩의裏を刺すような激痛に短い呻き声を漏らす。鎖骨骨折。泥の中での迅速な戦傷診断だ。幼児の肉体は、あの羽のある化け物がもたらした地盤沈下に耐えられるようには作られていない。1キロメートルもの落下に耐えたのは奇跡に近い。
だが、右の指先はまだ動いた。外傷のショックで硬直していたが、見慣れた聖職衣の布地をしっかりと掴んでいる。
落下中も彼女を離さなかった。フレヤはすぐそこに、俺と一緒にいた。
「フレヤ……」
幼児の声はかすれ、弱々しい。
「フレヤ、おきて」
応答はない。岩だらけの地面に横たわる彼女の呼吸は浅く、途切れがちだ。生きてはいるが、衝撃で気絶している。俺の治癒魔法は使えなかった。落下の衝撃に耐えるだけで、魔力は完全に底を突いている。医療物資のない戦場と同じだ。今は肉体の頑健さに賭け、陣地を死守するしかない。
目を凝らし、暗闇の向こうの空を探した。スーパーパワーとしての視覚も、夜の目もない。ただの幼児の、ぼやけた頼りない視界だ。だが、気の遠くなるような遙か上空、精神を圧し潰すほどの高さに、地割れの隙間から細く惨めな灰色の一条の空が見えた。
――俺たちは、地上から1キロメートル以上も深い奈落の底に落とされていた。
かつての日常の全てが、1000メートル以上の深層に埋もれたのだ。ここはただの地面の割れ目ではない。あの落下は、俺たちを天然の地下要塞――【迷宮】へと幽閉したのだ。地上の一切のルールが通じない暗黒。
俺たちの近くには、地上から一緒に崩落してきた村の残骸が、凄惨な肉肉の光景を晒していた。この深さへの落下は、逃げ遅れた者たちに一切の生存を許さなかった。数メートル先、押しつぶされた荷馬車の瓦礫の間に、他の村人たちの無惨な遺体がある。巨大な花崗岩の直撃で胴体を真っ二つに切断された者、岩肌に叩きつけられて四肢を根元から引きちぎられた者、凄まじい衝撃圧で内臓をぶちまけ、砕けた肋骨を剥き出しにした肉塊――。そこにある死は慈悲を排し、ただ生々しく、ドス黒い血の海の中に完結していた。
瓦礫の山の中で、俺の手が硬く冷たい感触に触れた。前の数夜、幼児の身体で必死に引きずってきた、古い布に包まれた荷物。あの戦利品はまだ手元にあった。ジェレミアスの部屋から奪った金貨の袋、濃密な炎に関する禁書の数々、2本の細身の剣が、同じ斜面に落ちていた。小さな軍隊を組織できるほどの財産だが、この深さ1000メートルの穴ぐらでは、金貨で食料を買うことすらできない。
今のところ、周囲からは他の生物や怪物の気配はしなかった。ただ、崩れた木切れが時折きしむ音と、瓦礫の静寂だけがこの穴の底に広がっている。
この世界の天災は、地表から1キロ下にあるこのゾーンゼロへ俺たちを突き落とした。そして今の俺は、三歳児の足で立ち上がることすらままならない。だが、思考だけは止まっていなかった。
残されたわずかな『熱』の魔力を呼び覚ました。だが、優しく分散させない。純粋な意志の力で限界まで圧縮する。神殿で盗み見たあの『濃密な炎』の禁書を脳内で展開した。全魔力を一気に鋼鉄の刃へと注ぎ込む。
一ミリ秒の後、剣は白熱化し、マグネシウムの閃光弾のごとき猛烈な白い輝きを放って、暗黒の洞窟を真昼のように照らし出した。フレヤがこの悪夢の中で目を覚ます前に、周囲を確認し、状況を把握するための光が必要だった。
白い光が湿った石壁に反射し、迷宮の広大さを露わにする。平坦な道などなく、あるのはただ、無限に伸びる影と焦げた岩の迷路だけだ。
「フレヤ、ここにいる」
俺は幼児の短い言葉を口にしながら、フレヤの無防備な身体を庇うように、自分の服をそっと掛けた。
「ぼく、フレヤ、まま(まも)る。わるいこと、ないない」
彼女の隣に座り直し、アドレナリンが鎖骨の激痛を麻痺させていくのを感じながら、俺は迷宮の闇を睨み据えた。




