急転
大河が神社を出るころには、すっかり日が傾いていた。
石段を下りて住宅街へ向かう道は人通りもまばらだった。夕暮れの空気がどこか気だるく街を包んでいる。
住宅街の交差点に差しかかる。赤信号に足を止め、大河はぼんやりと歩行者用信号を見上げた。
夕焼けに染まった空の下、信号機の赤い人影が静かに点っている。手持ち無沙汰な大河はさっきの少女との邂逅を思い返していた。
――ベルフェリア・スカーレット。かつてこの地に君臨していた魔王さ。
思い出すだけで苦笑が漏れる。どう考えても黒歴史間違いなしの自己紹介だ。だが不思議と、彼女が嘘をついているようには思えなかった。それはそれでまずいと思うが。
「勇者じゃなく魔王、か……。悪ぶりたい年頃なのかな」
思いがけない出来事というのは突然にやってくるんだな、と大河は感心する。
ふと横を見るとランドセルを背負った小学生の男の子が一人、信号を見上げながら立っている。背格好的に低学年生らしく、落ち着きなく足元を揺らしていた。この後友達との約束でもあるのだろう。
少し遠くでエンジンの音が聞こえる。トラックだろうか、重たい唸りのような音だった。
やがて信号が切り替わる。かちり、と小さな音とともに赤い人影が消え、青い人影が点灯した。大河は特に周囲を気にするでもなく、横断歩道へ一歩踏み出す。
「けど妙に雰囲気のある子だったし、魔王というのもあながち……」
男子小学生が待ちきれないとばかりに大河を追い抜いていった。微笑ましくその後姿を見送る――――
――刹那だった。横合いから異様な速度で膨れ上がるエンジン音が唸りを上げた。
心臓を飛び上がらせるような音の先を見やる。大型トラックが減速せず一直線にこの交差点へ突っ込んできている。一瞬見えた運転席の男はハンドルに突っ伏すような姿勢で、こちらを見てすらいない。
(居眠りか……⁉)
トラックの走行上にいる男の子が立ち止まった。迫るトラックを見て足がすくんでいる。
「逃げろっ‼」
叫ぶより早く、身体は反射的に動いていた。
大河は横断歩道を駆け抜け、男の子の肩を思い切り突き飛ばす。
――次の瞬間、轟音とともに巨大な影が視界を埋め尽くした。
今まで体験したことのないほどの衝撃が脚から全身へ突き抜ける。衝突の感触すらはっきり認識できないまま、大河の体は軽々と宙へ弾き上げられた。
視界がぐるりと回る。夕焼けの空。横倒しになった信号機。遠ざかるトラックのフロント。それらを大河はどこか他人事のように視認していた。
背中からアスファルトへ叩きつけられたことで現実を再認識する。肺の空気が一気に吐き出されたのに息ができない。喉を開いても、ひゅう、と掠れた音が漏れるだけだった。
身体の奥で嫌な感触が走る。脚に力が入らない。腕も思うように動かない。遅れて、焼けつくような痛みが神経を駆け上がった。
遠くで悲鳴が聞こえる。ブレーキの軋む音。誰かが駆け寄ってくる足音。けれどそれらはすべて水の底から聞くように遠かった。
(……やっちまったな)
ぼんやりした思考の中で、そんな言葉が浮かぶ。
助けようなんて格好いい理由じゃない。ただ、とっさに身体が動いただけの覚悟のない行動。その結果がこれだと思うと、少しだけ苦笑したくなった。
胸の奥に、ほんのわずかな後悔がよぎる。
高校時代は友達とバカやって過ごして、大学では恋人とか作ったりして。大人になったら社畜になってひーこら言いながら、でも幸せで。できれば八十歳まで生きたいなぁとか。そんな漠然とした将来像が唐突に破壊された。
視界の端から、ゆっくりと暗闇が滲みはじめる。その閉じかけた視界の隅に、誰かが立っているのが見えた。
深紅の外套が、夕暮れの風にわずかに揺れている。
(……あれ……)
誰だろう、と考えるより先に、大河の意識は急速に闇へ沈んでいった。




