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我々の業界でもご褒美ではありません

 授業が終わり、校舎が緩やかに騒がしくなる。


 部活へ向かう者、寄り道の約束を交わす者、足早に帰路につく者。


 堂本はチャイムが鳴るや否やダッシュでサッカー部へと駆けていった。


 可憐はというと大河が週当番の掃除をやっている間に既に下校してしまったようだった。掃除を終えた大河は帰宅部ということもあり、肩に鞄をかけて校舎を出た。


 退屈であれば部活動に入るという選択肢もある。実際何らかの運動部に入ろうか悩んだ時期もあった。しかし大河が高校一年生の時点で既に父親の転勤がほぼ決まっており、硝子は転勤先についていくことに猛反対していた。そのために大河は部活に入ることをやめ、家事を請け負うことを決めたのである。


(良いように考えすぎだな。単に部活に入るのが面倒だったのもある)


 硝子が帰宅したときなるべく家で独りにさせたくない、というと可憐辺りからはシスコンと揶揄されそうだ。


 とはいえ放課後すぐに帰宅するわけではない。毎日活動があるわけではないが、硝子は文芸部に入っており今日は活動日。夕方頃まで帰ってこない日だ。となれば少しくらい寄り道しても問題はない。


 いつもは右へ行く登下校道をあえて左に。次は右。右。左。真っすぐ――――大河の活動エリアから外れたそこは、高齢化の波か少し寂れた印象を受ける。


 色褪せたブロック塀と、閉ざされた雨戸が並ぶ住宅街。錆びたブランコが風で軋み、子供の声のない公園に落ち葉が溜まっている。人は住んでいる形跡はあるのに、賑わいだけがどこかへ置き去りにされた風だった。


 無意識的なようで、あたかも導かれたかのように辿り着いた住宅街の外れで大河はふと足を止める。


 そこは長い石段の前だった。苔は所々残ってはいるものの、踏み面は掃き清められており落ち葉も端に寄せられている。比較的新しく結び直された白い注連縄が古びた鳥居にかけられていた。


 長い石段を登り切った先の境内に一見人影は見当たらない。恐らくここの神主だろう、静かに手を入れている気配だけが確かに残っていた。


 地元にこんな神社があったとは、と内心驚く大河。初詣では大抵近所にある大きめな神社を訪れる。今年は可憐たちを誘ってここに来てみようと心に決める。


 せっかくだし参拝するか、と拝殿へ歩み寄り賽銭箱の前で一礼しようとした、そのときだった。


 視界の端。狛犬の台座の陰に見慣れない小さな人影がある。落ち葉を枕にするように身を丸め、深紅の外套に身を包んだ少女が静かに寝息を立てていた。ちょうど日陰の位置にいるのに、その白い肌が妙に明るい。


 狛犬の無骨な石肌と並んで、あまりに不釣り合いな存在。外套の隙間から煌びやかな金髪がするりと零れ、玉砂利の上に細い糸のように広がっている。天使とはかくたるものかと思わせるほどの整った目鼻立ち。


 外套の下は黒を基調としたゴスロリ風の装いだった。幾重にも重なったフリルのスカート、繊細なレースで縁取られた袖口。小さな王冠のようなヘッドドレスが髪に留められ、華奢な脚には編み上げのブーツを履いている。闇を思わせる黒と、血を連想させる深紅。その対比の中で、眠る横顔だけがあどけない。


「……って、見惚れてる場合じゃないか」


 生命の危機に瀕している可能性もある。あまりにイレギュラーな事態すぎて思考がフリーズしてしまっていた。


 さすがに直接触れるのは憚られたため、大河はしゃがみ込み顔を少女に近づけ注意深く観察する。控えめな胸は呼吸により僅かに上下しており、微かに呼吸音も聞こえる。次に大河は躊躇いがちに少女の肩を揺らした。


「おい……おいっ。大丈夫か?」


「んん……?」


 大河の呼びかけに応じる風に身じろぐ少女。ひとまず意識があるようで一安心する。


 少女は瞼を開けるのすら億劫そうにしながらも、やがてルビーレッドの瞳と目が合った。平生の大河であれば決まりの悪さ故にすぐ目を逸らしただろうが、少女の瞳には見る者を吸い寄せる魔力のようなものが秘められているのか、つい釘付けになってしまった。


 どれくらいそうしていたのか、勝負をしていたわけではないが先に視線を外したのは少女だった。彼女はうっ、と右手で口元を押さえる。


「き、気分が悪いのか? えーっとこういうときどうすれば……。とりあえず救急車を呼んだ方が……!」


 スマホを取り出した大河の腕を掴んで制止を求めてきた彼女は小さく首を横に振った。


「人は呼ばないでくれ……。この程度慣れればどうとでも……うっ」


 などと強がってはいるものの明らかに具合は悪そうである。少女の意思を尊重するにしてもこのまま放置しておくこともできない。どうすべきかと大河は頭を悩ませる。


「……悪い!」


 大河は手短に謝罪し、少女の許しを得ないまま抱き上げた。いわゆるお姫様だっこというやつだ。今までしたことない行為だが想像より少女の身体は軽かった。


 顔面蒼白だった少女の顔が僅かに驚きに染まる。


「な、何をいきなり。どこへ連れていこうと言うんだ?」


「ひとまず木陰だよ。今日はわりかし暑いからな。日差しの下にいたんじゃ余計具合悪くなるだろ」


 お姫様だっこなんてやる側としても恥ずかしすぎて本来できたものではないが、神社特有の人気のなさにより辛うじて耐えることができている。もしもこんな場面を誰かに見られたら即日SNSに挙げられて晒し物になるに違いない。


 すると少女が訴えかけるように大河の服を引っ張ってくる。


「……木陰はいい。どうせなら厠に連れて行ってくれ」


「厠?」


「……うぉぇっ。あぁ、そうか。今は厠とは、呼ばないのだったか。確か……そう、お手洗いとやらに、頼む」


「あートイレのことね。そう言えば厠って時代劇かなんかで言ってたような……?」


 そこでふと気づく。今腕の中にいる少女の体調が優れないのは一目瞭然。そんな彼女がトイレに行きたいという。これが指し示す答えは一つ。


「ま、まさかとは思うけど、あれか? あれですか? ひょっとして今ものすごーく吐き気がしているとかそういう……?」


「…………うぷ」


「うぉおいもうちょい我慢しててくれーっ!」


 込み上げる吐き気を押さえるために口を押さえる少女。そして僅かに首肯していた。その様子からタイムリミットは極めて短いことが本能的に伝わってくる。


 大河は行き先を変え、境内の中にある参拝者用お手洗いへと駆け足で向かう。お姫様だっこしながらだと多少走りづらいが、重さ的には大したことないので数十秒あればお手洗いへと辿り着くはずだ。


「ゔぇ……。す、すまん、頼むから走らないで…………ゔっ、揺らされると出してしまう……!」


「かしこまりましたぁっ!」


 だからと言ってもたもたしている猶予もない。故に大河は極力彼女を揺らさないよう抱える腕を平行に保ちながら競歩スタイルで移動する。中腰みたいな体勢のせいで身体にきつい負荷がかかる。


 このままだと見知らぬ少女の吐しゃ物を一身に受け止めねばならない事態になる可能性が高い。けれどここで彼女を見捨てるのも当然できない。できることは唯一急ぐことだけ。


 お手洗いが見えてくる。ゴールが目前に迫り俄然力が湧いてくる。今ならもう、何も怖くない――――


「――――すまない」


 ぽつり、と隙間風のようにさりげない謝罪。さりとてそれからは暴風雨の前触れのような嫌な空気を感じさせた。


「おい……謝るなよ。それじゃあまるで…………っ!」


「許してくれ……。今の私にできることは、これくらいしか」


「バカ! 謝罪も感謝もいらないから辛抱してくれっ! おいこら、やめろやめろ――――!」


「――――すまない」


 ゴールまであと数歩というところだったか。何事も最後に立ちはだかる壁こそが最大の試練なのだと、改めて分からされたような気分だった。


 少女の二度目の謝罪を皮切りに、決壊したダムのように大河の身体へと吐しゃ物が撒き散らされた。



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