おはよう月曜日
月曜の朝。愛おしい日曜日に別れを告げて、学校に行きたくない病が再発したが大河は何とかベッドから抜け出す。
大河はそのまま一階へと降りてダイニングキッチンの冷蔵庫を開ける。無糖のアイスコーヒーを牛乳で割り、一気に半分以上飲み干した。
電子レンジの上に置いているカゴの中から食パンを二枚取り、オーブントースターで同時に焼いていく。その間にシャワーで髪だけを軽く濡らし、ドライヤーで乾かしながらヘアセットしていく。高校生になってから少しは身嗜みに気を遣うようになったせいで、当初はヘアセットに二十分以上かけていた時もあった。今となっては三分程度で仕上げることができる。
ダイニングキッチンへ戻るとちょうどオーブントースターから完了を告げる音が鳴った。いい感じに焦げ目のついた食パンの上に潰したゆで卵とマヨネーズを和えたもの(御前家ではぐちゃタマと呼んでいる)を塗りたくっていく。
BGM代わりにつけていたテレビから女性タレントの溌剌とした声が聞こえてくる。
『えー、私は今! 今日から国際宝飾展が開かれる国際展示場に来ておりまーすっ! 世界中の有名な宝石が展示されているそうでー、その中でも目玉の宝石は何か責任者さんに聞いてみたい思います!』
『えーはい。そうですね。えー、どれも素晴らしい宝石なのですが、お越し頂く皆様に是非見て頂きたいのが「魔王の首飾り」と呼ばれる世界最大級のオパールです』
魔王? と大河は少しだけテレビに耳を傾ける。随分と中二病チックな宝石があるものだ、と独り言ちる。
『へえー「魔王の首飾り」ですかぁ。なんか物々しい名前ですねー』
『えーはい。何故そのような名前が付いたのかは不明で、謎も多い宝石なんですがとにかく圧巻です。八つあるうちの「魔王の遺物」シリーズの一つで――――』
「っとまずい。そろそろ起こす時間だ」
大河は途中でテレビを切り上げて再度二階に上がり、自室の隣の部屋の扉を少し乱暴にノックした。
「硝子ー。朝飯できたぞー」
一向に反応はないもののお構いなしに扉を叩き続ける大河。するとさすがに業を煮やしたのか扉が開錠され部屋の主が顔を覗かせた。
「お兄ちゃーん……。寝ている人を無暗に起こすのは駄目だって先生に言われなかったぁ……?」
「遅刻はもっといけないって先生言ってるだろ。アホなこと言ってないでさっさと顔洗ってきなさい」
「うぃー……」
寝ぼけ眼を擦りながら出てきたのは彼の妹である御前硝子。近頃伸びてきたという若干茶色がかった長髪に庇護欲が掻き立てられる細身の身体。色素の薄目な白い肌と整った目鼻立ちも相まってお人形のような印象を受ける。女性云々はさて置くとしてももう少しくらいお肉を付けてほしい、と願う兄であった。
二人で食卓につくなり硝子は朝食を見て僅かに嫌そうな顔をする。
「朝から食パン丸々一枚は重すぎなんですけど……。お兄ちゃーん半分食べてー」
「お前は食細いんだから食べなさいっていつも言ってるだろ」
「うぇー……」
小動物みたいに小刻みに食パンを齧り始める硝子。確かに一枚全て食べきることは困難そうだったので大河は仕方なくその三分の一だけ食べてやった。
男子と違い女子は身嗜みに時間がかかる。その間に大河は冷凍食品中心にお弁当二つを準備していく。弁当作りを終えてから大河も着替えに移る。
そんなこんなで支度を終えた二人は戸締りをして一緒に家を出る。四月終盤に差し掛かり日増しに暑くなっていく日差しに硝子は鬱陶しそうに大河の影へと隠れ服の裾を掴んだ。
「あっづいぃいい……! 四月の暑さじゃないよこれ。四季が迷子状態じゃん」
「四季ちゃん、迷子とか可愛いところあんじゃん」
「可愛くないよ。可愛さ余って憎さ百倍だよ」
「つーか服引っ張んなよ。重い」
「重くないしぃ!」
反抗なのか、硝子は裾を掴む力をさらに強めてくる。重いといっても華奢で非力な硝子のそれなどたかが知れている。仕方ない、と大河は歩みに少しだけ力を込めて引っ張ってやる。
「……ん? そう言えば戸締りしたっけ?」
「してたんじゃない? 多分」
「だよな。……いや待て待て。なんかすげー不安なってきたわ。一回戻って確かめるべきか?」
「いやしてたよ。鍵閉めた後ガチャガチャして確認してたじゃん」
「あー……うん。言われてみたらなんかそんな気がしてきたわ。というかちゃんと覚えてんなら語尾に多分付けるなよ。禁止だ禁止」
「語尾に多分付けると実際閉めてなかったとき言い逃れできるからね。悲しいかな、人間の性ってやつなのだ、知らんけど」
「語尾に知らんけど付けるのも禁止な!」
なんてどうでもいい会話を交わしながら普段の道を歩く。幸いというべきか、思春期にありがちな反抗期らしい反抗期を迎えていない硝子は、今のところ兄との会話に拒否感を抱いていない様子だ。大河としては反抗期も大切な経験になるだろう、と割り切っているものの、二人暮らしの現状を考えると仲が良いに越したことはない。
大河たちの父親が四月から他県に一時的な転勤となり、母親もそれについていったため今の家には大河と硝子の二人しかいないのだ。大河は今の学校を離れたくないという想いから残ることを決意したが、硝子は高校へと上がるタイミングだったのもあり両親についていく選択肢もあった。というか両親は意地でも連れていく気満々だったはずだ。大河の時は「あ、そう」とあっさりしていたが。泣きたい。
しかし硝子が「こっちに残りたい」と珍しく強めに駄々をこね、両親も泣く泣く故郷に留まることを認めたのであった。
(まあどうせ、両親についていったら色々口出ししてくるからこっちに残ったんだろうけど……)
理由はどうあれ、今の一軒家で独り暮らしとなると孤独感が付きまとったはずだ。ならば硝子に対しもう少し優しく接してやってもいいかもしれない。
「お兄ちゃん暑ーい! 歩きたくなーい! タクシーで行こタクシーで! それが無理ならおんぶして!」
「だまらっしゃい」
降って湧いたような愛おしさも波が引くように冷めていった。よくよく考えてみれば今でも充分甘やかしていた。
市街地の中にある学校が見え始めると自然と周囲には同じ制服を着た生徒たちが増えてくる。中にはクラスメイトの姿もあるが人見知りの硝子が嫌がるだろうから声をかけたりはしない。
「そう言えばさ」
「なに?」
背中に隠れるのをやめた硝子は大河の横でスマホを触りながら反応した。
「お前って友達いるの?」
「……は? なに急に? え別にいますけど」
「ホントか? お前が誰かと一緒にお弁当箱を広げてる姿が想像できないんだよなぁ。入学して間もないんだし、人間関係固まり切っていない今なら友達作りも余裕で間に合うぞ」
「過保護かよ、ウザい……」
ウザがられてしまった。硝子は決して人受けの良いタイプではない。中学のとき彼女が家に友達を連れてきたことは数える程度しかなかったはずだ。
友達の数が全てとは言わないが学生のうちに最低限の社交性を身に付けてほしいと願う大河である。
「てゆうか、てゆうかさ。そういう兄こそ彼女いないじゃん。私でさえ何人か友達いるのに、まずは自分の心配をした方がいいんじゃないの?」
「いや、友達と彼女を並べて語るなよ。そんな簡単に彼女作れたら二十代男性のデート経験なし四十%超えてねーわ」
「あのデータわりと凄い衝撃だった」
「な」
高校生になれば彼女の一人や二人できると思っていた大河にも現時点で交際経験ゼロだ。ゆくゆくは「大学生になれば……」と未来に期待を寄せるのだろうが、つまるところ自分で行動しなければ彼女などできないのである。
硝子はスマホから目を離し、何かを探すように視線を散らす。
「そうだなー……あっ、ねえねえ。せめてあの人くらい綺麗な人を彼女として連れてきてくれると妹としては鼻が高いよ」
「誰……って宝生か」
硝子が示した先にいたのは、大河のクラスメイトである宝生九音。宝生グループの社長令嬢であり、学校で一番特別な生徒と言えば大半は彼女のことを思い浮かべるはずだ。
それは超が付くほどのお金持ちだからという理由だけではなくて、否応なしに衆目を引く九音自身の容姿とも密接に関係していた。
ウェーブさせたセミロングの栗色の髪型に可愛らしい半月目は、九音の穏やかな性格を反映させたかのよう。同年代の平均身長くらいの引き締まった身体はそれでいて女性らしいラインを際立たせていた。他と同じはずのセーラー服も彼女が身に纏うと魅力的に映るから不思議だ。
無茶ぶりをしてくる硝子の要求に大河はいやいやと首を振る。
「いくらなんでも宝生はハードルが高すぎる。あのレベルになると恐れ多すぎて告白する奴が現れないって話だ。事実俺は話したことすらほとんどない」
「お兄ちゃん……」
「おいやめろ哀れみの目を向けてくるな。てかほとんどって言っただろ? グループ学習とか掃除んときとかに話したことあるわ」
「それって業務的なアレじゃん……」
特に用事もないのに話しかけるのは躊躇する系男子の大河にとって、九音とどんな話をすればいいのか皆目見当も付かないのだ。話す際にアポイント取った方がいいか? と真剣に悩んだことさえある。
背筋をピンと張って歩く九音。それに釣られて大河も意識的に背筋を伸ばすことにした。
「だけどアレだねー。ああいうお嬢様って学校までリムジンの送迎付きだと思ってた。ふっつーに歩きなんだね」
「そうそう。御令嬢の宝生でさえ歩きなんだ、俺ら庶民が歩きを嫌がってどうする。そう思わんか妹よ」
「思いませーん。他人様は他人様ですぅ」
「このクソガキめ……!」
他人の振り見て我が振り直せ。残念ながら硝子には伝わらなかったらしい。
その後も適当に硝子の相手をしているうちにいつの間にか学校へと到着。下駄箱なんてものはないので土足でそのまま教室まで向かう。ちなみに硝子ら一年生は最上階の三階、大河ら二年生は二階に教室がある。足取りの重い硝子を階段の下で見送ってから大河は自分のクラスへと入った。




