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途切れた記憶:観測者  作者: akira


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1/5

観測されない記憶

あの記憶は、ずっと自分のものだと思っていた。


崖から落ちて、背中を強く打ち、息ができなくなったあの感覚。


だが——


もしあれが、自分の記憶ではなかったとしたら。


きっかけは、一通の手紙だった。


差出人の名前に見覚えはない。


ただ、宛名は確かに自分だった。


「あなたの記憶について、話を聞かせてほしい」


それだけが、簡潔に書かれていた。


最初は、いたずらか何かだと思った。


だが、同封されていた一枚の紙を見て、手が止まった。


そこには、こう書かれていた。


「石切山での転落体験について」


心臓が、ひとつ強く打つ。


なぜ、それを知っている。


あの記憶は、誰にも話していない。


家族にも、友人にも。


自分の中にだけ、ずっと残っていたものだ。


それが、なぜ他人に知られているのか。


数日後、自分は指定された場所に向かっていた。


札幌市内の、小さな研究施設だった。


表に出るような場所ではない。


看板も、目立った表示もない。


ただ、住所だけが正確にそこを示していた。


中に入ると、一人の男が待っていた。


年齢は四十代くらいだろうか。


落ち着いた様子で、こちらを見る。


「来ていただいてありがとうございます」


丁寧な口調だった。


「あなたの記憶について、少しだけ確認させてください」


男はそう言うと、椅子を勧めた。


「子どもの頃、崖から落ちた記憶がありますね」


一瞬、言葉が出なかった。


「……なぜ、それを」


男は少しだけ間を置いてから、こう答えた。


「あなたと同じ記憶を持つ人が、他にもいるからです」


あの夜、店で会った男の顔が浮かぶ。


「その人から、聞いたんですか」


男は首を横に振った。


「いいえ。別の経路です」


そして、机の上に一枚の写真を置いた。


そこには、崖が写っていた。


あの場所だ。


間違いない。


だが、それ以上に目を引いたのは——


写真の中央に写る、人影だった。


子どもが、一人立っている。


崖の縁に。


そして、そのすぐ下に——


もう一人、倒れている。


「……これは」


喉が乾く。


男は静かに言った。


「どちらも、あなたです」


頭の中で、何かが軋む。


「ありえない」


そう言いながらも、否定しきれない。


あの記憶。


あの感覚。


「私たちは今、その現象を調べています」


男の声は、落ち着いていた。


「同じ場所で、同じ体験をした人間が、複数確認されている」


「そして共通しているのは——」


そこで、言葉を区切る。


「記憶が途中で途切れていることです」


静かな部屋の中で、時計の音だけが響く。


「これは、単なる記憶の錯誤ではありません」


男はゆっくりとこちらを見た。


「観測の問題です」


その言葉の意味が、すぐには理解できなかった。


「観測……?」


男はうなずく。


「本来、ある出来事は、複数の可能性を持っています」


「しかし人がそれを“認識する”ことで、ひとつに確定する」


どこかで聞いたような話だった。


「ですが、あの場所では——」


男は、写真に目を落とした。


「それが、完全に確定しない」


空気が、少し重くなる。


「あなたはその影響を受けている可能性があります」


「つまり——」


一瞬、言葉を選ぶようにしてから、続けた。


「“複数の結果を、同時に持っている状態”です」


背中に、あの時の感覚がよみがえる。


息が、浅くなる。


落ちた自分。


落ちなかった自分。


どちらも——


「存在している?」


自分でも、信じられない言葉だった。


男は、はっきりとうなずいた。


「はい」


その瞬間。


視界の端で、何かが動いた気がした。


振り向く。


誰もいない。


だが——


ほんの一瞬、


自分と同じ背中が、そこに立っていたような気がした。


「……始まっていますね」


男の声が、やけに近く聞こえた。


「あなたはもう、“観測されてしまっている”」


何かが、確実に変わり始めていた。

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