十六 帰郷
皇都へと戻る道すがら、祝融は赤龍の背の上で、なんと無しに藍州を振り返った。慌ただしい連日に、藍州らしいものは何も見れていない。食事も――時間を割くのが惜しいと感じて、思い出に残りような味すらなかった。強いて言うのであれば、薙琳が作った羹の風味は強く残っている。簡素だが、あれは美味かった。
それが、僅かな旅の記憶。本当に、あっという間だったのだ。
そして、帰郷の今が穏やかな時間に戻ったとも言える。だからと言って、祝融をしみじみとした気持ちにはさせてくれなかった。しかしあるのは不安ではない。
祝融の手中にあるのは確かな手応えだ。
――これで、何か変わってくれるだろうか。
己の力は決して呪いなどではない――山神が悪疫として更なる悪事を働く前に討ち取ることができた。毛将軍からの報告書も、藍州伝いに届くことだろう。そうなれば、軍部において最高責任者である第二皇子の伯父――太尉も目にするはず。
それで僅かでも変化があるのであれば、祝融にとっての希望の兆しにもなる――かもしれない。
左手へと目を落とせば、火傷特有の赤黒い痕がある。皮膚が焼け落ちていなかったから再生が速い――医官の見解によればだが。それすらも、時間をかけて次第に消えていくだろう。
――本当に呪いであれば、俺は死ぬはずだったのではないのだろうか。
熱傷で死亡するか、熱傷が邪魔をして山神討伐をなし得なかったか。祝融はそう考えている。そこに、祝融の思考を遮る声がした。隣で赤龍に乗る薙琳だった。
「何か考えごとですか?」
あまり、薙琳は用事もなければ話しかけてはこない。貴人と話をするのが面倒らしい。ある意味彼女らしいが、今回のことで少しは打ち解けることが出来たのかもしれない。祝融は何と返そうかと迷った折、ふと、山神と相対した時を思い出した。
あの時、ある意味で火は味方だった。薙琳の教えの通り、竈門の火は味方となって、家の窓からや、壁を壊して近づいてくる山魅は一体もいなかった。山神もだ。
「山神達は、やはり火を恐れていたのだろうか、と思ってな。俺は山神と渡り合ったが、山神の領分には飲み込まれなかったのも不可思議でな」
ああ、と薙琳は頷きつつも少し悩ましそうに顎に指を当てている。どうも、少々思惑は違っていたらしい。
「……正直、あそこまで効果があるとは思っていませんでした。山魅はともかく、神通力を使いこなす山神まで……強すぎますよ」
薙琳曰く、何かの力の影響が働いていた――と考えているようだ。
「山神は、山魅達が殿下を倒せないと悟ると、一直線に殿下へと向かって行きました」
「俺のところにか?」
「本当は私が闇討ちする予定でしたが、私なんて見向きもされずじまいです――これはあくまでも憶測ですが、殿下の神力の影響で、あそこは人の領分どころか、殿下ご自身の領分だと認識された――のかもしれません」
山神の領分へと侵入した際は、弱いものから攫われていった。これは、単純に侵入者の戦力を割く行動だろう。
しかし、相手の領分を侵しに行くのであれば、敵の大将の首を取らねばならない。動物は特にそうだ。
祝融は毛将軍、薙琳、どちらよりも弱い――率直に言って、経験が劣る。だがここに、神力の要素を加えた時のことまでは予測されていない。
「殿下の神力が炎であることは、事前に旦那様から伺っていました。竈門の火が作用したかどうかは今になっては確認しようもありませんが――もしかしたら、神力の相乗効果があったのだとしたら――」
竈門に火を灯したのは、あくまでも魔除けである。あの時一番容易く、かつ効果的な方法であっただけだ。祝融の能力のことまでは鑑みてはいない。しかし薙琳の言葉通り相乗効果なるものが発生していたのであれば――つまりは、祝融を倒せば領分を乗っ取れると山神がそう考えたのであれば。今回の山神の行動は理屈が通る。
「――そうであれば良いな」
山神が祝融の炎を恐れたのであれば、それこそ祝融の炎には浄化の作用があったのではないのか。何よりも、祝融の炎は山神の身体を灰にして何一つ残さなかった。
禍を退けた結果がそれであったのであれば――今は結果による考察でしかない。祝融はしかと力を感じても、まだ把握はできていないのだ。
それでも、良き結果になるはず――そう考えずにはいられなかった。
皇都はまだ遠い。祝融は空の旅路の最中、何度と自身に言い聞かせ続けた。
――大丈夫。
そう、何度と。
第二節 不撓不屈 【了】




