ep.99 覚悟2
立ち上がっては投げられ、立ち上がっては投げられる。
まるで壊れたレコードのように同じ事の繰り返しだった。
あれからどれくらいの時間が経ったのだろうか、ひたすらに極められては投げられるを繰り返していると、次第に一文字の息は乱れ意識さえも徐々に朦朧としてきた。
再び投げられた、再び立ち上がろうと一文字が片膝を立てた時、寒々しい風が吹いてきた。
(俺如きが、この人を畳に叩きつけることなんかできるんか?)
焦りの中で不安が生まれると、目の前には足元に広がる見慣れた畳があった。
再び思った、
(ほんまに、この人に勝てるんか?)と、
乱れる呼吸、溢れ出る汗、全身が痛い、くやしさの中で、意識が白々しくチカチカすると心が折れそうな気がした。
真っ白なだけの景色の中であの女生徒の面影を必死に追いかけた。
何かが聞こえた、絶望の中で坂を下る俺に言ってくれたあの言葉、一文字は呟いた。
「下を向いてたら心が枯れてしまう、強がりでも前を向かんといかん」と、
パッと霧が晴れた、目の前には隙の無い右半身で構える風太がいる。
「俺は前を向かんとあかんのや!」
一文字は、勢いよく飛び出すと、風太の胸倉にがむしゃらに掴みかかった。
(一教・裏)
掛かってくる相手の様子を冷静に見やっていた風太は一文字の右手の手首と肘を制すと左足のつま先を合わせて回転動作で崩そうとする、その刹那だった。
突然、一文字が軟体動物のように全身の力を抜き腰を落としたのだ。
(なに・・?)
予期せぬ動きに風太はバランスを崩し、前のめりになった。
(よし、今や!)
一文字は脚をバネのように弾くと、疾風の如く風太の側面に入身した。
風太は態勢を立て直そうと後方に重心を動かしつつ、一文字の次の攻撃を必死に予測する、入身投げ、呼吸法、小手返し、肘極め・・・
刹那、風太は大腿部の裏側に人の手の感触を感じた。
(まずい!)と、風太が回転動作で回避しようとしたときには、両足が畳から浮いていた。
一文字はしっかりと腰を落とし、両手で風太を持ち上げるや、そのまま後方へとぶん投げた、それは乾坤一擲の掬い投げであった。
バシッという鋭利な音と共に風太が背中から畳へ叩きつけられたのだった。
この瞬間、一文字が達人・最上風太から一本取ったのである。
一文字の視線の先には、畳の上に腰を落とす風太がいた。勝利に沸く気はしない、ただ、静かに風太を見やるだけだった。
右手を差し出し風太が静かに言った。
「たいした男や、私の完敗や」と、
風太の顔はいつもの涼しい表情を湛えていた。
一文字は風太の手を取り起き上がらせる。
言葉に詰る一文字に風太が静かに言った。
「君の覚悟は見届けたで、それだけの覚悟があるんやったら勝負にいかなあかん、いつまで佐那を待たせておくつもりなんや」
「佐那が待ってる・・・」
「私は、佐那が生まれた時からずっと見てきた。せやから佐那のことはよう分かる」
「せやけど、風太さん、なんでいきなり・・・」
一瞬、風太の表情に寂しい陰が差し込んだように見えた。風太は毅然と言った。
「大学での研究の関係で、明日から海外に行く、少なくても3年は帰って来れへんやろうからな。
兄役を務める私としては憂いを残したくなかった、それだけや」
「・・・・・・」
「下を向いてたら心が枯れてしまう、強がりでも前を向かんといかん、小学二年生の頃やったか、合気道の練習がきついから、やめたいと言ってうつむき泣いていた佐那に私が贈った言葉や。
今、君にもこの言葉を贈り、そして託す」
風太の想いに一文字の鼓動は高鳴り、胸の内が熱くなる想いがした、拳をグッと握り込み一文字は覚悟を込めて言った。
「明日、勝負に行きます」と、
風太は静かに頷き、微笑みながら言った。
「佐那を傷つけたら最上風太が赦さん。その時の代償は命やからな、覚悟はええな?」
「命を、俺の生涯を賭けることを約束します」
魂を帯びた一文字の言葉に、風太は再び静かに頷くと、背を向け扉へと歩き出した。
「佐那を頼んだで・・・」
静寂が凛と響き渡る闇夜に消え行く背中を見て、あの人も自分と同じ女性を愛していたのだと、そんな気がした・・・




