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98/101

ep.98 覚悟1

 第三学年 九月三十日 木曜日

 永平寺武道場


 道場での稽古が終わったときだった。

 上座に掛けられていた合気道と書かれた掛け軸を一文字が畳んでいると最上風太が声を掛けてきたのだ。

「岡君、ちょっとええかな?」


「え、何ですか?」


「この後、少し練習に付き合ってほしいねんけど、どないかな?」


「俺とですか?俺なんかより佐那とかの方がええんとちゃいます?」


「いや、ちょっと荒っぽい技やからな、岡君に頼みたいんやけど、」


「そ、そうゆうことですか・・・まあ、いいですよ、」

 一文字は低いテンションで笑った。

 ある種、頼られているんだろうが、複雑な気持ちだ・・・


 高窓からは月が顔を覗かせていた。

 差し込む月光は綺麗だがどこか怪しい気配を漂わせている気さえする。


 既に人がいなくなった道場は、キンと静まり返りどこか寂しく冷たかった。

 そんな中、最上風太が上座を背に座っている。

 その毅然とした姿には威厳すら感じられる。


 畳を鳴らし一文字が歩み寄ると風太が言った。

「岡君、すまんな」


「いえ、いいんですけど、何をするんですか?」


「まあ、岡君も座ってくれへんか」

 そう言われた一文字は座技でもやるのかと思い、素直に従い腰を降ろした。


 風太はしばし目を閉じた。


 虫の鳴き声だけが聴こえる静寂の後、風太は口を開いた。

「単刀直入に聞くが、岡君は佐那のことが好きなんか?」


「え!」


 突然過ぎる風太の言葉に一文字は動揺を隠せなかった、それ以上は言葉が出せない。


「好きやないんか?」


 言葉が出せず戸惑う一文字をじっと見据える風太、凍てつく空気の中、再び沈黙が支配し時間だけが流れていく、しばらくして風太が言った。


「好きではないんやな?

 では、これ以上、佐那にむやみに近づかんといてもらえへんか」


「い、いきなり何を・・・」


「グズグズとした中途半端な想いで佐那の心を乱して欲しくないんや。

 あの子は真面目やからな、半端な気持ちのもんが纏わり付くときっと辛い思いをする。

 それはまがいなりにも兄役を務めてきた私には看過できんことや」


 風太が冷たく言い放つと、一文字の中でパチンと何かが弾けた。

 全身を流れる血がやけに速く熱い。

 一文字は、震える喉を必死に駆り立てて言った。

「中途半端やない、俺の佐那への想いは半端なんかやない。

 いくら風太さんでもその言葉は許せません」


「そうか、それは悪かったな。

 では、その半端でないと言う覚悟を見せて貰えへんか?」


「覚悟を見せるって・・・?」


「こういうのはどうやろうか?

 互いの技を合わせ、私から一本とることが出来たら君の勝ち、もし諦めたら君の負け。

 その場合は、己の半端さを認め、佐那に関わらんといてほしい、どないかな?」


 風太の提案を聞き届けた一文字は深い息を吐き、そして静かに言った。

「合気道は武術や、誰かと競い合うためのものやない、自己を研鑽するためのものであり、その上で、不慮の事態において己を守るための力とするもんや」と、


「なるほど、先生の教えやな、では、この話は無かったことにしようか、」

 そう言うと風太は自分の袴を二、三、手で払い場を去ろうと立ち上がった。


 その時、毅然と一文字が言い放った。

「いや、その逆です。

 先生の教えを貫くためには、ここは戦うしかないやないですか」


「教えを貫くために戦う?」


「半端じゃない俺の覚悟が試されてるんです。俺は死んでもこの覚悟は守らなあかんのです。

 これ以上の不慮の事態なんか、あらへんやないですか」


 風太の鋭利な眼光が一文字を貫く。

「岡君、今の言葉は、君が思っている以上に重いもんやで、ほんまに覚悟はええねんな?」


「二言なんかあるわけない」

 覚悟を響かせて一文字は立ち上がると、堂々と左半身に構えた。


 一文字の様子を見ていた風太は頷き、右半身で対峙した。


 風太の構えには、一分の隙もなく湛える威圧はまるで結界のようだ、まさに達人の領域にある者の風格である。


 風太の涼しげで鋭い眼光を浴びせられると一文字は思わず生唾を呑みこんだ。


(ほんまに、この人に勝てるんか?)

 一瞬、後悔と不安が一文字の心によぎる。が、


(否、勝ってみせる!)

 絶対的な覚悟を胸に一文字は吠えた、

「おっしゃ、行くで!」


 言うや一文字は速攻で風太の右側面に入りこみ入身投げを繰り出そうとするが、


(入り身投げ)


 本能的に相手の動きを読める風太は、顎を捕らえにきた一文字の腕の内肘と手首を、カウンターのタイミングで掴んで押し返し、一文字を後ろ隅に崩した。


 バランスを失い、背中から落ちる一文字は、堪らず両手を畳に叩きつけて受身をとった。


「まだまだ!」


 一文字はすぐさま立ち上がると、風太の右側面に入り身して左手で風太の右手を握る。


(小手返し、三教で返す)


 右手を掴む一文字の左手を、空いていた左手で被せるように持ち、素早い動作で一文字の脇下を左回転で潜り抜けると一文字の腕が捩じ上げられる。


 捻じ切られるような痛みに動けない一文字を、風太が剣を振り下ろすような動作で前方へと投げつけると、一文字は空中で一回転し再び畳に叩きつけられた。


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