ep.96 あなたの言葉3
午後から降り出した雨と残暑が制服の裏地に不快感を貼り付ける。
一文字と佐那が傘を手に家路についていると傍らを車がザーッいう音を立てて通り過ぎていった。
それは、あえて雨の日を強調しているような感覚を一文字に起こさせた。
「雨って、なんかテンションが下がるから、好きになれんな」
「せやね、せやけど、雨は雨で心が落ち着いてええ時もあるねんで」と、うんざりした様子の一文字に佐那は微笑を浮かべて応じたものだ。
「そんなもんか?」
「そんなもんやで」
二人が言い合っていると目の前を一匹の黒い猫が横切って行った。
「縁起わるっ!」と言おうとして佐那に視線を送ると、その表情は硬く、暗い影が射し込んでいた。
佐那は未だにあの事を気にしていているのだ。
それは分かっていた、一文字は前々から話そうと思っていたことを口にすることにした。
「そういえば、みんなで花見に行ったとき、佐那は桜が好きって言ってたよな」
「うん、大好きやで」
突然の一文字の振りに佐那は、無理に取り繕った元気さと微笑で応じた。
それが一文字には痛々しく思えた。
「その時、確かこう言ってたよな、桜の自然のままに潔く散る気高さがすごいって」
「うん、せやけど、よう覚えてるね」
「おう、ちょっと、思うところがあってな」
「思うところ?」
「うん、俺なりに考えてみたんやけど、自然のままに散る桜の気高さは潔さだけでないと思う。
桜がなぜ枯れることなく散るか、桜は散り際でさえ生きる事を諦めへんから、最期のその時でさえ美しく生命力を失わない。
そこに気高さがあるんと違うやろうか?」
「なるほどね、確かにそうかも知れへんね・・・」
そう応じた佐那の表情は再び暗く沈み、その瞳は悲しみに色褪せていた。
佐那のこの反応を一文字は予想していた。
それでもあえて一文字が言ったのは、自分なりの真理を佐那に話しておきたかったからだった。
「ごめんな、猫のこと、思い出したんか?」
ピクリと背筋を動かすと佐那は驚きに見開いた瞳を一文字に向け、弱々しく頷いた。
「うん、一君の言う通りかも知れへん、あの時、あの猫は死に際でさえ生きる事を諦めていなかったんかも知れへん、気高く生きようとしてたかも知れへん。
そうやとしたら、私の行いは赦されることやないね・・・」
一文字は目を閉じて小さく息を吐くと、佐那の瞳をじっと見つめて言った。
「俺の話を聞いて欲しい、」
潤んだ瞳を湛える佐那が小さく頷くのを確認すると、一文字は静かに口を開いた。
「俺がまだ小学一年の時やった。
俺の親父は医者から爺ちゃんは余命一月あるかどうかって宣告されたんや。
親父は迷った末にその事を爺ちゃんに話したんや。
そして、こうも言った、延命装置を付ければその三倍はくらいは生きられると、」
一文字が一呼吸つくと、濡れたアスファルトの上で鳴る足音が耳に触れてくる。
佐那は黙ったまま一文字の言葉を待った。再び一文字は話しはじめる、
「話を聞いた爺ちゃんは親父に言った。
人としてお前が判断せえってな、親父は死ぬほど悩んだ末に決めたんや、爺ちゃんは人として生きて、そして死ぬべきやってな。
生きるべきか死ぬべきか、それは複雑なバランスの中にあって、その判断は難しいと思う。
人と猫とは違うかも知れへん、せやけど俺は、あの猫は自然のままに気高い命として死ねたんやと思ってる。
あの時の佐那の行いは間違ってないって改めて思った、だから、」
「だから、自分を責めるのは、もうやめるわ、」
音もなく降り続ける雨の中で佐那は言い、誓った。そして再び唇を動かした、
「一君がそう言うてくれるから・・・」と、




