ep.88 女として、友として1
第三学年 六月二十五日 金曜日
宝塚ゆずり葉高等学校 三年三組教室
今週の授業は中間テストの解答が主であり、楽と言えば楽だが心の負担は重たかった。
雨こそない灰色の梅雨空に否がおうにも憂鬱な気持ちは同調してしまう。
ともあれテストも今日の授業も終わったのだ、いつまでもウジウジしていても仕方ない。
とってつけたような元気のよさで一文字は永嶋に声を掛けた。
「よっしゃ、永嶋帰るぞ!」
「おう」
応じた永嶋と家に帰ろうとしていた時だった、林がイソイソとやって来て言った。
「永嶋君、ちょっと今日は岡君借りるで、そういうことやから一人で帰ってな」
「そういうことって?」
「ええから、ええから。ほら、岡君、一緒に帰るで、早う!」
(え、え、)
突然の想定外な状況に一文字は動揺しつつ、辺りを見渡すと佐那が不思議そうな表情を向けていた。
そんな佐那に林がいつも以上に早口で言った。
「佐那、今日は岡君と帰るから、大して面白くないやろうけど永嶋君とでも帰っといて」
「面白くないは余計や!」
「じゃあ、岡君行こか」
(一体なんや?なんか恐いぞ・・・)
まともな返事も返せないまま、一文字はなすすべなく林に連れられて教室から姿を消した。
「優子どないしたんやろ、永嶋君知ってる?」
「いや、全く、それにしても岡と林さんの二人っていうのは珍しいな、なんなんやろ?」
佐那と永嶋は顔を見合わせると、鏡のように同時に首を傾げた。
通学路の下り坂を一文字と林は二人で肩を並べて歩いていた。
長い間、一緒にいる林だがこうして二人きりで下校するのは意外にも初めてで、どこか違和感があった。
中間テストの話、この前、みんなで行ったボーリングやカラオケの話など、とりとめのない話をしていた時、林の口調が微妙に変わり、どこかしっとりした雰囲気が生まれた。
「そうや、岡君、ちょっと真剣な話してもええ?」
(来た・・・)
一文字は読みきれない林の腹を探るような様子で応じた。
「いつでもどうぞ」
「なんや、なんや、なにをそんなに警戒してるん?別に張っ倒す訳やないで」
そう冗談ぽく言って陽気に微笑む林に一文字は思わず目を奪われた、程度よくふくよかな丸い顔につぶらな瞳、ツインテールに纏めた髪が見慣れた黒のセーラ服に馴染み、可愛いらしさが強調されたのか、妙に魅力的に見えた。
「なに、なに、どないしたん?」
林の問いかけに、ハッと我を取り戻した一文字は素早く目線を逸らし、自分の中に芽生えた考えを否定しに掛かった。
(相手はあの林だ!奴を女として見るのは気の迷いだ)と、
「なあ、岡君」
そう言った林は一文字の瞳をじっと見つめてきた。
一文字も思わず見つめ返すと潤む大きな瞳に囚われ、視線を逸らすことが出来ない。
ふと、肩と肩が触れ合った、さっきより明らかに二人の距離が縮まっていたのだ。
一文字は駆け巡る緊張の中、生唾を呑み込んだ。
「岡君・・・」
いつもは流暢な林の言葉が詰っている、彼女なりになにやら緊張しているのであろう。
それでも細いがしっかりした声で言った、吸い込まれるような精一杯の瞳を湛えて、
「岡君、私と付き合ってくれへん」
「え!」
一文字の頭は瞬時に真っ白になった。
雰囲気を察して、こう来るかも知れないとの備えはさっぱり役に立たず花嫁の純白なドレスよろしくに真っ白な雪化粧だ。
動揺を隠すことさえも忘れながらもシドロモドロに言葉を搾り出した。
「ほ、ほんまに?」
露の湿った風の中で林は無言で小さく頷いた。
その瞳は緊張に震えている、一文字は言葉が出せない。
目の前の魅力的な女性が自分に惚れてくれている、理想を求めて見えない闇の中を走るより、ここで手にしてしまえば幸せは確実に手に入るのでは・・・
本当にそうなのか?
冷静な心を求めて瞳を閉じると、暗闇の中で浮かんでは消え行く残像を追った。
雨の中、赤い傘をパッと咲かせて消えていった女生徒、
雨の中、死にいく猫を抱き、涙に暮れる女生徒、
木漏れ日の中、舞い散る桜の下で微笑み掛けてくれる女生徒、
闇の中、闇よりも漆黒な瞳に出会えた気がした。
たとえ歩む道が永遠の闇であってもあると信じた一点の光を求めたい、これこそが自分の真実だと思えた。
一文字は改めて確信した
(俺は誰よりも上原佐那を愛している)のだと、
迷いの無い瞳を開き、再び林を正面から見据えると一文字は静かに告げた。
「ごめん、付き合えへん、俺には他に好きな人がいるから」と、
林の瞳が瞬時に悲しみに曇ると、それを見せまいと顔を背けた。
投げかける言葉が見つからない、なすすべの無い二人はそのまま静かに歩き続ける。
白いセダンが二人の横を通り過ぎる頃、小さな雨粒がポツリポツリと舞い降りて来た。
雨のせいでは無いであろう湿り気のある繊細な声で林が言った。
「天気予報外れたね、今日は降らへんって言ってたのに、」
「せやな、」
降り注ぐ雨をそのままに二人はしばらく歩いた。
雨は彼女に似合わない、自分でもそう自覚しているのだろうか、突然林はいつもの元気さを真似ておどけた口調で言った。
「実は折りたたみ持ってるねんで、入りたい?」
「そうなん、是非」
林は和やかに頷くと、鞄から取り出した傘で小さな水色の花を咲かせた。
ポツポツと傘が音立てる中、林は遠慮がちに尋ねた。
「一つ訊いてもええ?」
「ええで」
一文字は優しく穏やかな表情で頷いた、少し安堵な表情を浮かべ林は口を開いた。
「やっぱり、岡君は佐那が好きなん?」
「うん、そうや、俺は佐那が好きや」
一文字は、心の底から正直に言えた。佐那への想いを。
「ほんまに佐那が好きやねんね、」
「ああ、」
傘の柄をぐっと握り締め、林はうつむき瞳を閉じた。
(林は今、どんな想いなんだろうか、それでもいつものようにあってほしい)
一文字が心の中でそう念じた時だった、
「そうか、やっぱりな~、佐那が相手やったらさすがの私でもかなわへんってか!」
と言うなり林はケタケタと笑い出したのだ。
(あれ?)
「はい、邪魔、邪魔。傘、狭いねんからアンタがいたら私が濡れるやん」
林はそう言うと傘の外へと一文字を勢いよく追い出した、それはまぎれもなくいつもの林だった。
何が起こったのか分からず雨の中で呆然とする一文字に林は言った。
「やっぱり岡君は佐那やねんな~、それを確認したかっただけ、もう帰ってええよ、では」
「はあ、なに?どういうこと?」
「もうめんどくさいな~、アンタがいつまでもまどろっこしいから、アンタの本心と覚悟を確認しただけやん」
「何を?」
「だからアンタが佐那のこと好きやってことを、そのための迫真の演技やってんから」
「じゃあ、お前の告白はなんやってん?」
「え、誘導尋問に決まってるやん。私がアンタなんかに惚れるわけないやん」
(とんでもない女だ!)
「おい、おい、」
「やるんやったらいつでも相手になるけど、アンタじゃ、役不足やと思うからやめとき」
怯えも悪びれもなく林は淡々と返してくるので一文字も出鼻を挫かれた、掴み所が無いとはこの事だ。
いやそれ以上に一文字などを遥かに凌ぐスケールの悪辣ぶりに呑まれたといったほうが妥当かも知れない。
(確かにこいつには勝てない)一文字はそう確信した。
林がマイペースに話を続ける。
「そんなことより、佐那のことやけど」
「佐那のこと?」
気になる話だ、一文字はやり場の無い感情を押し殺し、相槌を打つ。
「多分、佐那はアンタに気あるで」
「え!」
まさにあっという間、怒りなんて感情はどこか遠い彼方に吹き飛んだ。
驚き、いやそれ以上に期待と喜びがムクムクと膨張する。
我ながら単純かとも思ったが、この想いはどうすることも出来ないものだった。
それでもさっきのこともあるのであえて疑ってみた。
「それはほんまやろうな?」
「ほんまやで、こんな情報流してあげてんねんから、さっきの無しにしてや」
(しっかりした奴!)
そして、どこまでも憎めない奴、なにより勝てない奴だ。
期待と喜びの感情に支配されている一文字は、林も俺のことを思ってのことだと割り切って赦してやることにした。
「まあ、好きってとこまではいってないやろうけど、気にはなってるみたいやで、
去年のクリスマス頃に何かあったん?
あの頃から佐那のアンタへの様子が特に変わったから」
「猫か・・・」一文字の呟きを聞いて林は言った。
「ふ~ん、なんかは分からへんけど、なんかはあったみたいやね。その話は後で詳しく聞くとして、」
「あほ!なんで、俺がそんな話をせんとあかんねん」
「当たり前やん、私は協力者やで情報の共有は当然のことやん。
まあええねんで、それやったら私の持ってる情報かて出さへんから」
(確かにこいつは味方にしたほうがいい)そう判断した一文字は申し出を承諾した。
「そうそう、素直が一番やって」
「で、持ってる情報とは?」
「佐那って結構モテるん知ってるやろ?」
「まあ、なんとなくは・・・」
(笠間のこともあるしな、)
「それでも頑なに誰とも付き合わへんねん、その理由が何か知ってる?」
「え、そんなん知らん、なに?なに?」
(喰いつきよった)とばかりに林がニヤリと唇を歪める。
心外ではあったがそれ以上に情報が欲しい、なり振りなど知ったことか!




