ep.79 クイズ
第二学年 二月十五日 月曜日
浄妙院(上原家)台所
二月の夜はやけに冷え込む。
半纏を着込んだ哲彦は少しでも暖を取ろうとストーブを自分のほうに向け、縮こまっていた。
肉じゃが、厚焼き玉子、いわしの煮付け、味噌汁にご飯と、哲彦とは対照的にテキパキと佐那が夕飯のおかずを食卓に並べていく。
「佐那、白菜の漬物がないやないか」
何もしないが、文句だけは言う哲彦に、「はい、はい」と子供をあやすように応じると、手早く、漬物、お手塩、醤油を並べる。
一通り準備を終えた佐那はエプロンを外して席に着くと、「いただきます」と両手を合わせて食事を始める。
しばらくの間、二人は無言のままに食事を続けていたが、不意に哲彦が大好きな厚焼き玉子を箸で切りながら言った。
「佐那、合気道とは何か?」
哲彦の問いに、佐那はまた来たとばかりにくすっと笑うと、哲彦の厳格な口調を真似して言ってみた。
「合気道は武術や、誰かと競い合うためのものやない、自己を研鑽するためのものであり、その上で、不慮の事態において己を守るための力とするもんや」
愛娘にからかわれた哲彦は、ほころぶ頬を圧し隠し重厚に頷く。
「いつも言われてるから、もう、分かってるって」
「その慢心があかんのや、それを戒めるためにも何度でも言うたる」
「はいはい、」
「佐那、一つクイズをしよう」
「お父さんがクイズなんて珍しいやん、どないしたん?」
「どないもせん、それよりクイズや・・・、ええっと何やったか?」
「いや、聞いてへんのに内容なんか、私に分かるわけないやん、しっかりしてや」
「そや、思い出した、お前が学校帰りに道を歩いとったら、銀行帰りの中年の女が刃物を持った若い男に襲われてるところを目撃した。さて、どないする?」
佐那はジャガイモを掴もうとしていた箸を置き、右手の人差し指でクルクルと髪を巻きながら少し考えてから答えた。
「う~ん、せやね~、恐いけど、やっぱりほっとけへんから戦うかな」
「なるほどな、それは人としては正しいけどな」
「けど?」
「ほんまに最良の選択といえるやろうか?考えてみい、相手の実力がお前より上やったらどうなるか。
いや相手が未熟やったとしても刃物持っとるんや、万が一ということもある、厳しい話かもしれんが、知らんふりして回避するほうがええんとちゃうか」
「せやけど!」
反論しようとする佐那を哲彦が静かに制した。
「信念と安全のバランスや、純粋に信念を貫く心は、犯し難い崇高な精神や、せやけどそれが強すぎると比例して身の安全は失われていくことを知らんとあかん」
「せやけど、放ってはおけへんわ、それこそ人として」
「お前の放っておけへん気持ちはよう分かる。
関与を回避できへんときは戦うより話し合いや。
話し合いで相手を知り、相手の心を汲んで攻撃する気持ちを削ぎ落とすんや。
ええな、武力による解決方法は相手を追い込むことになる。
窮鼠猫を噛むと言うように、追い込まれた相手の殺傷能力を甘く見てはいかん。
出来る限り話し合いで解決できる冷静な分析力と判断力、それとコミュニケーション能力、これが真に武人として必要なものということを、お前もそろそろ学ばなあかん。
ただ、技を研鑽するだけでは、あかんのや」
「コミュニケーション能力って、具体的にはどんなんなん?」
「論理的に相手を分析できて、相手を思いやれる心や」
「犯罪者を思いやるん?」
「そうや、歪んでるやも知れんが、相手にも相手なりの行動の原動力がある、そこを理解してやって心を汲み、攻撃衝動を削ぎ落とすんや」
「なんか難しいなぁ、でも、確かに下手な技より効果はありそうやね。
せやけど、どういう鍛錬がええんかな?」
「日常生活や。相手を思いやり、自分は毅然として心をふらつかせない、そうやってええ人間関係を築いていくんや。
それしかあらへん。技を練習するよりもずっと難しいんやけどな」
「ほんまやね」
しみじみした口調で応じる佐那に哲彦はゆっくり立ち上がり歩み寄ると、そっと頭を抱き寄せて言った。
「せやけどな佐那、信念なんかより、お前の安全を案じてるもんがおることを忘れてくれんな」
独特な伽羅香の匂いがした、昔から佐那の大好きな香りだった。




