ep.72 不戦敗
第二学年 十二月二十三日 水曜日
宝塚ゆずり葉高等学校 二年三組教室
冬の雨はどこか物寂しい。
いっそのこと雪にでもなってくれれば、それはそれで新鮮な思いがするのだが。
雪が珍しい地域に住む者共通の勝手気ままな憧れだった。
あの日と同じだ、一週間前のあの日と同じように雨が降っている。
隣の席では、普段と変わらず生真面目にノートをとる佐那がいる。
あまりにもいつも通りで、あの雨の日、一時でもこの腕の中に彼女がいたことが嘘だったような気さえしてくる。
(それでも事実、佐那はこの腕の中にいた・・・)
この事実が生み出す妙な自信の中で、一文字は興味もない数学の教科書をペラペラめくっていると、この一週間寄せては引くを繰り返す『迷い』が再びやって来た。
(クリスマス・イブ、神戸に誘い、そして・・・)
一瞬強気な心が躍進すると、過去と葬り去ったはずの『村瀬事件』の傷跡がすぐに弱気を呼び覚ます。
小心一文字、愚かにもこの一週間、延々とこの繰り返しだ。
『誘うべきか否か』一文字の葛藤を知らない佐那はいつもと同じように隣でノートをとっていた。
いつの間にか、止んだ雨、
結局、何も言えないままに一文字は放課後を迎えていた。
気弱な己にうんざりしながら佐那を見やると手早く帰り支度を済ませて席を後にする。
「優子、ほな、帰ろ」
「ごめん、佐那、今日、涼子と寄るとこあるねん。先、帰っといて」
「そうなん、ほな、明日」
手を振り別れる二人。
(あれ?林らと帰らへんのか?ということはまだチャンスはある・・・)
一人で教室を出て行く佐那を追おうとしたとき、太い手と声が一文字の肩を掴んだ。
「おい、岡!」
棚橋だ、(こんな時にややこしい奴に捕まったものだ)という一文字の思いをよそに奴は言いやがった。
「明日、男だらけの聖夜の怪談大会やるから、俺ん家、集合な、ええな」
「う~ん、考えとくわ・・・」
「どうせ暇なんやろ」
(余計なお世話じゃ!)
「とにかく絶対参加やぞ」
「まあ、考えとくわ」と言いつつ、心の中では(絶対に行くか、ボケ)と返していた。
そんなことより佐那を追わねば。
「絶対やぞ」を繰り返す棚橋に片手を挙げて適当に別れを告げると、一緒に帰る予定だった永嶋などはほったらかしで教室を後にする。
廊下を駆け、階段を下る、佐那はどこまで行ったのだろうか、まだ追いつけない。
一階に辿り着き下駄箱へ・・・向う途中に佐那の後姿があった。
が、その隣には男がいた。
知っている、あいつは確か、一文字は瞬時に己の記憶をフル回転させた、『笠間 亮』サッカー部の副部長で一文字達にとっては上級生だ。
正直、運動も勉強も出来てルックスもいい。学校の女共の憧れの的との噂を聞いたのは一度や二度ではない。
(その笠間がなぜ佐那と一緒にいる)
明日はクリスマス・イブという現実が、一文字に不吉な想像を駆り立たせる。
そんな一文字に気付かない二人は、肩を並べて中庭へと歩いていく、
(・・・・・・)
正直、一文字は気が気でなかった、青ざめた顔を張り付かせ、恥も外聞もなく二人の後をこっそり追いかけた。
中庭にある教育理念を刻む石碑の前で二人は立ち止まり向き合った。
笠間の握り込まれた拳、緊張にこわばった顔、張り詰めた空気、今、何が起ころうとしているのかは、卒業生が植えた記念樹に身を隠し離れた位置にいる一文字にも想像できた、間違いなく『告白』であろう。
緊張に震える声で笠間は佐那に言った。
「ずっと好きやった、付き合ってほしい」
突然の出来事だったのか、佐那の瞳には困惑の色が滲んでいた。
それでも佐那は笠間の目をじっと見つめ、逸らさない。
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・・・・・・・・・・・・長い沈黙、張り詰めた空気、冷たい風が佐那の黒髪を揺らす、
そして静かな言葉、
「ありがとうございます、」
一文字は笠間同様にぐっと拳を握り込み硬直する。
そして佐那の次の言葉を待つ、
「でも、お付き合いすることは出来ません、ごめんなさい」
申し訳なさそうに頭を下げる佐那、肩を落とす笠間、安堵に胸を撫でる一文字、再び訪れる長い沈黙・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
息苦しい空気の中、悲哀に満ちた声で笠間は呟いた。
「俺じゃ、駄目なんやな・・・」
「・・・・・・」
返す言葉が見つからないのか、佐那はただ沈黙していた。
それでも視線は逸らさなかった。
「他に好きな奴でもいるんか?」
問われた佐那は妙に冷静だった、それに対して外野の一文字の胸が異常に高鳴っていた。
笠間の問いに冷静ではあったが、困惑の瞳を湛え佐那は言った。
「好きな人とかいうよりも、私は誰ともお付き合いしたく無いんです・・・」と、
安堵から暗い奈落の底へ、
戦わずしての敗北は、これで二度目だった・・・




