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エピローグ1

 薄暗い小部屋で、ライラティーヌは低く響く鐘の音を聴いていた。


 どうやらここが、遠隔式ジオルレイドの置き場だと決まったようだ。

 目の前のテーブルには、ゲルドゥヴォルが、いつでも打てる状態で置いてある。

 そっと触れると、硬いクリスタルの手触りがした。


 部屋に灯りがともった。


 気がつけば、隣部屋に続くドアに、この屋敷の主人であるヴォルデマールが立っていた。


 黒い服に身を包んでいる。


「来たか」


 突然の来訪にも関わらず、ヴォルデマールはさもそれが当然であるかのように、静かな目でそう言った。


「……喪服ですね。どなたかの葬儀だったのですか?」

「笑えぬ」

「はぁい」


 ライラティーヌはペロリと舌を出した。


「其方も変わった格好をしているな。無事市井に紛れ込めたようだ」


 ウールの上下に赤いベスト。

 所謂平民の服装だ。

 動きやすいように、髪も一つに束ねている。


「うふふ。結構似合うでしょう?」

「お忍び感丸出しだ。もう少し下汚(こぎたな)くしろ」

「これが美意識の限界です」


 表面を撫でるような会話。

 きっと互いに言いたい事は他にあるのに、出てこない。


 そんな微妙な沈黙が落ちた。


「まったく」


 ヴォルデマールは呆れたように溜息を吐くと、ジャケットを脱いでネクタイを乱暴に緩めた。


「一局打つか?」

「……いえ。ここで隠れてヴォルデマールさんと打つのは、流石に心が痛みます」


 フォルクハルトやコンラーディンの気持ちを考えると、それは出来なかった。


 それはもう、のたうち回るほどの葛藤の末の結論だ。


「そうか。主従揃って健気な事だ。では何をしに来た」


 そんなにストレートに聞かなくても、と唇を尖らせる。

 返事を返さないでいると、ヴォルデマールに背中を押され、ソファに導かれた。


「黙っていては分からん。何でも言え」


 言っている内容は究極に優しいのに、響きはとても素っ気なく、むしろ恫喝に近い。とことん合理主義な人だなと懐かしく思う。

 

「突然いなくなって、怒ってます?」

「そんな事か。怒ってなどいない」

「本当ですか?」

「くどい」


 ヴォルデマールはキャビネットからグラスを取り出すと、一人だけ果実酒を飲み出した。


「全身で甘えろと言ったであろう。その言葉に従って、訪ねてきた事を褒めたいくらいだ。素直でよろしい」

「ふふ。そうでしたね」


 ヴォルデマールなら、受け入れてくれるだろうとは思っていた。だから今日ここに来た。


「わたくし知らない間に、ヴォルデマールさんに甘える癖が付いていたみたいです」

「私が望んだ事だ」

「またそうやって甘やかす」


 ライラティーヌは、ヴォルデマールが飲み干して空になったグラスに手を伸ばした。


 そしてブランデーを呼び出す。


 空だったグラスは、すぐに琥珀色の液体に満たされた。

 まるで手品みたいだ。


「……これも聞いてないぞ。ルイの技か」

「ふふ。これは単なるお酒です。ブランデーといいます。お気に召すと良いのだけれど」


 ヴォルデマールは匂いを味わってから、一口舐めた。


「強いな」

「お口に合いませんか?」

「いや、戴こう」


 眉根を寄せてはいるが、心なしか嬉しそうだ。

 気に入ってくれたようで、何よりだ。


「それで、ブランデーを飲ませる為だけに来たのではなかろう」

「はい。これは賄賂です」

「ふむ。聞こう」


 ライラティーヌは居住まいを正した。


「ゲルドゥヴォルについて教えてください」


 カロリングを出て三ヶ月。

 紐さえ無くなれば、簡単に調べが付くと思っていた。


 意気揚々と図書館に向かったのだが……。


「まさか、平民街には図書館がないなんて! これでは調べようがございません」

「当たり前であろう。本は高価だ。そもそも平民は文字が読めぬしな」

「ですよね!」


 これも出奔してから知った事だが、平民の識字率は驚くほど低かった。


「だから、教えて下さい」

「ふむ」


 ヴォルデマールは、グラスを手に持ったまま、隣に並んで腰をかけた。


「ゲルドゥヴォルは神が人間に教えたと言われている。戦でしか解決出来ぬ問題を、無血で収束させる為のものだ」

「それ、なんか聞いた事がありますね」

「ああ。パーリィだな。大昔はパーリィは一騎打ちではなくゲルドゥヴォルで行われていた。とても神聖な物だ」


 神聖なもの。

 ならどうして、それを知る事が法に触れるのだろう。


「光の女神を護る為、命の神が闇の神と争ったのは知っているな」

「神話ですね。闇の神が不正をして勝ち、命の神を人間に落とした。命の神は最後の力を振り絞って、闇の神を封印した」


 それ以降、闇の神は神の座から追われ、今や魔王扱いだ。


「その時の勝負に使われたのがゲルドゥヴォルだ。それ以降、神を人に堕としたものとして禁止されたのだ。ゲルドゥヴォルは神から与えられた神聖な物であると同時に、策略をもって神を貶めた忌むべき物でもあるのだ」

「なんだと、こんにゃろう! とんだとばっちりじゃないですか!」


 闇の神め―――! 許すまじ!


「仕方あるまい。法を定めたのは時の王。つまり人間となった命の神だ」

「ううう。命の神も許すまじ! なんてちっちゃい男なんでしょう!」

「……間違っても外で言うな。もう其方は平民なのだ。その場で斬首されるぞ」

「そんな時はパーリィですよ! ゲルドゥヴォルなら、わたくし誰にも負ける気はありません」


 ヴォルデマールは一瞬目を丸くした後、意地悪そうに流し目で色気を見せてきた。


 空いた方の手で、ライラティーヌの髪を一房取ると、揶揄うように指に絡めた。


「平民がゲルドゥヴォルに興じれば、それこそ斬首だ」

「でしょうね!」


 頭を振って、ヴォルデマールの手から髪を引き抜く。


「では何故領主は、禁止されたゲルドゥヴォルを知っているのですか」

「無論パーリィの為だ。パーリィとは、身分の高い者から下の者を守る為の物だと言ったのは覚えているか」

「はい。横暴に対する抑止力ですね」

「そうだ。そもそもは神からの要望に対して人間が意義を申し立てる時に行われていた。まだ国の形もない時代の話だ」

「神と人間は、そんなに交流があったのですか」


 ルイやカリオンがいるくらいだ。

 この世界に本当に神がいるのは分かってはいたが、それでも人間と交わる事はない存在だと思っていた。


「昔はな。最早文献にしか残ってはいない話だ。だが、今後もないとは言い切れない」

「つまり?」

「神とパーリィをする可能性のある者には、人間を守る為に、ゲルドゥヴォルを覚えておく義務があるのだ」


 だから領主か。

 競技人口が少ない訳だ。


「ヴォルデマールさんは、どこかの領主なんですか?」

「いや。同じ義務を持つ者は、領主以外にもいる」

「ツァージェですか」

「他にもいるぞ」

「神殿関係ですか?」

「あいつらは神に意義を唱えはしないがな」

「……王ですか」

「うむ。王族だな。王族は魔力操作が出来るようになれば、ゲルドゥヴォルを教わる」


―――王族かい!


 つまりなんだ。

 ヴォルデマールは、命の神の末裔で、自分の一族からライラティーヌを隠してくれていたのか。


「はぁ――」


 ライラティーヌはこてん、と頭をヴォルデマールの肩に乗せた。


「なんだ?」

「いや、なんか。わたくし自分が思うよりずっと、ヴォルデマールさんに護られていたんだなぁって」

「今更か」

「はい。やっぱりヴォルデマールさんって、お父さんみたいです」


 途端にヴォルデマールが立ち上がった。


 体重を支えるものがなくなって、そのままソファにこてんと転がってしまった。


「ひどいですぅ」

「人を年寄り扱いするからだ」


―――ううう。褒め言葉なのに。

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