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今がチャンスじゃない?

 雷鳴の衝撃で窓が揺れる。


「すごい音でしたね」

「近いね」


 雨で濁る窓を眺める。


 ドォンンンン!


「きゃっ!」


 また大きな衝撃が来た。

 涙目でコンラーディンに抱きつくと、優しく髪を撫でてくれた。


「ふふ。ライラティーヌにも苦手なものがあるんだね」

「ありますよ。だって怖いじゃないですか。きゃあ!」


 また空が光る。


 でも今は、コンラーディンの腕の中なので、比較的怖くない。


―――あったかいなぁ。役得だぁ。


 ほんわかしていると、コンラーディンが呟いた。


「まずいな」

「? 何がですか?」

「火が見える。どうやら落ちた様だ」

「!」


 言われてみると、窓の奥に、一部赤く揺れている場所があった。


「森の方角ですね」

「ああ、広がらなければいいが」


 窓を開けると、風と共に雨が振り込んできた。


 森に火の手が上がっている。

 これほどの雨なのに、勢いは増すばかりのようだ。


―――そう言えば、フォルクハルトはどうしたかな。まあ騎獣があるから心配いらないと思うけど。


 騎獣。


 その単語が、ライラティーヌに危機を伝えて来た。


「ダノ爺!」


 ダノ爺は騎獣を持っていない。

 火に囲まれてしまっては、無事には済まない。


 そう考えた瞬間、ライラティーヌは騎獣を出していた。


 バイクタイプだ。


「ダノ爺が危険です。わたくし、行きます!」

「待つんだライラティーヌ。騎士を向かわせる」

「わたくしの方が早いです」


 騎獣に跨ると、ライラティーヌはそのまま窓から飛び出した。


 フルスロットルで魔力を叩き込む。


 静止の声も置き去りにして、ライラティーヌの姿は嵐の闇に消えていった。



――――――――――



 目も開けていられない程の雨の中、前傾姿勢で森へと飛ばす。


 森は姿を一変させていた。


 秋の乾いた木々が、勢いよく燃え上がり、炎が渦を巻いていた。


 ダノ爺の畑も、大切に手入れしていたコルシエもポンペも、火焔に包まれて、どこがどこだか分からないくらいだ。


「ひどい」


 炎の隙間を縫って、なんとかダノ爺の広場に降り立つ。

 小屋は炎を上げて燃えていた。今にも崩れ落ちそうなほどだ。


「ダノ爺―――!」


 叫んでみるが、返事はない。

 小屋に飛び込みたいが、今でさえ熱で肌が焼けつきそうなのだ。酸素も足りない。


「押し入れ!」


 発動させると、ライラティーヌの周囲だけ熱が引いた。


「これで中に入れるかな」


 理論上は大丈夫な筈だと自分を鼓舞して、そのまま小屋に飛び込んだ。


「ダノ爺! いたら返事をして!」


 小屋は広くない。ダイニングは無人だった。

 中は火が回っていて、目を開けている事さえ難しいくらいだ。


 いくら押し入れの中とは言え、熱さにむせかえるような思いがする。

 寝室への扉も燃えていた。


 身体強化で蹴り破ると、棚の下敷きになったダノ爺の姿が見えた。


「ダノ爺!」


 意識はない。

 生きているかどうかも分からなかった。


 棚を投げ飛ばして、ダノ爺を担ぐと外に飛び出した。

 ダノ爺を格納する一瞬だけ押し入れを解除しただけだったが、それでも喉の奥まで焼け付くような熱に襲われた。慌てて回復薬を口の中に召喚する。


「意識は、ない。でも脈はまだある」


 広場に寝かせて脈を取る。

 熱傷が激しい。


 全身が赤く爛れている。特に棚から出ていた下半身の損傷が激しかった。


―――体表の何パーセントの熱傷までよかったっけ?! ダメだ! 分からん!


 でもどう見ても、命の瀬戸際にいる様に思えた。

 気管をやられていたら、それだけで窒息死だ。


 一刻の猶予もない事だけは分かった。


「アンブロシア!」


 無理やり口を開いて飲ませる。


「ダメだ! 喉が腫れてるんだ!」


 流し込んでも中に入っていかない。


「アンブロシア、注射器に入った状態で出て来て! 来ないよね! 分かってるよ!」


 打つ手がない!


 手を突っ込んで覗き込むと、喉の奥が腫れ上がっていた。

 なんとか指でこじ開けようとするが、まったく上手くいかない。


「わわわ。チアノーゼ出てきた! やばいやばい、どうすりゃいいの! っは! 鼻か!」


 顎を上にそらせて、鼻に薬を流し込む。

 見ているだけで、鼻が痛くなる。


「ううう。痛い痛い、でもこれで、どうだぁ!」


 祈る思いで覗き込むと、みるみるうちに全身の熱傷が消えていった。


 口元から、穏やかな呼吸音も聞こえてきた。

 安心で、全身の力が抜けていく。


「良かったぁ」


 やばい。安心しすぎて泣きそうだ。


「さて、喜んでる場合じゃないな。ぼんやりしてたら私も危ない」


 さっさとここから逃げなければ。


 周りを見渡すと、先ほどよりも勢いを増して、炎が渦を巻いていた。

 メキメキと、木が燃えながら倒れてくる。


 ここがあの憩いの森だとは、信じられない。


 真っ赤に燃えるあの木の向こうは、春にみんなでチェスリムを食べた場所だ。今は炎が渦巻いている。

 ポンペ大会をしようと言っていたのに、肝心のポンペも燃えてしまった。


「こっちに来てから、殆どの自由時間を過ごした場所だったのに」


 この森で、初めてフォルクハルトと身体強化の練習をした。

 彼の優しさに触れて、心から安心できた事。


 待黎祭の夜。

 世界の根幹に触れた気がして、心が踊った。


 素材の愉しさを覚えたのもここだった。

 最初は二人だった森へのお散歩が、賑やかになっていった。

 みんながトルティを喜んでくれるのが嬉しくて、ジャムやお茶作りにハマった。


 本気で戦おうと心を決める事が出来たのも、森に手を出されたからだ。


 思い返せば、この世界で能動的に生きる事が出来たのは、この森のおかげだった。


 火焔は容赦なく思い出も何もかもを、黒煙と共に連れ去って行く。


―――なくなってしまう。


 メキメキィ!


 すぐ近くの木が、爆音と共に倒れてきた。


「急がなきゃ」


 言ってはみるが、腰が上がらなかった。


 ふと頭をよぎった考えが、心を支配する。



―――今が、チャンスなんじゃない?



 今消えれば、きっと死亡扱いになる。

 火災に巻き込まれて死んだのだと。

 今なら死んでも、護衛騎士に咎が及ぶこともないだろう。


 これは千載一遇のチャンスだった。


 今日、このタイミングで、このようなチャンスが巡って来たことが、ルイからの啓示のようにも感じた。


―――カロリングの為に私が出来る事は、もうない。やり残した事は、もう。


 頭の中に、みんなの顔がフラッシュした。


 フェーベの跳ねる赤い髪。

 トルティを頬張るハムドルト。

 たまに笑うアンヌ。

 クラウディアの優雅な笑顔。

 眼鏡を正すクレメンス。

 にっと笑うゲルルフ。

 抱きしめてくれるコンラーディンの腕。

 そして―――


「楽しかったなぁ」


 視界が滲む。

 本当に良い人達だった。皆それぞれの方法で、ライラティーヌを認めてくれた。人の人生を乗っ取っているような心苦しさを、吹き飛ばしてくれた。この世界で生きていけると思えたのは、皆がいてくれたからだ。


 ライラティーヌは立ち上がった。

 マンタの騎獣を出す。


 最後にもう一度、皆の顔が見たいと思った。


 楽しかった。幸せだった。

 だけどこれは、未練だ。


「お世話になりました」


 城の方向に頭を下げる。


 自分の心に聞いてみる。

 この決断に後悔はない。あるのは未練だけだ。


 ただその未練が、こんなにも苦しい。


 ライラティーヌは両手で胸を押さえて、洩れそうになる嗚咽を必死で抑え込んだ。


「……フェーベのこと、お姉ちゃんみたいって思ってた。フェーベといると、普通の八歳の女の子になった気分になれたの。

 ハムドルト、いつもさり気なくフォローしてくれていたこと、ちゃんと知ってるよ。気を使わせない様に、三枚目を演じてくれてたんだよね」


 嗚咽で途切れ途切れになりながら、返事のあてもない感謝の言葉を絞り出す。


「アンヌともしクラスメイトとして出会っていたらって、よく考えたの。二人で買い物したり、美味しいものを食べたり、そんな何気ない日々が過ごしてみたかった。……アンヌの事が一番心配。きっと幸せになってね。お願い。

 コンラーディン兄様。わたし子供の頃お兄ちゃんに憧れてた。でもコンラーディン兄様は、想像よりずっと素敵で、ずっとカッコよくて……。このままじゃブラコンになっちゃうよ……」


 目に浮かぶ、これまでの日々。

 そしてこれからのカロリングの情景。

 その中に、自分はいない。


「振り切らなきゃ」


―――フォルクハルト。


 どうしても心を占めるヘイゼルの瞳。


 想うだけで胸が痛い。


 前世を含め、こんなにも誰かに大切にされた事はない。

 全てに寄り添って貰った事はない。


―――ごめんなさい。


 あんなに大切にして貰ったのに。

 あんなに護ってもらったのに。


 ライラティーヌは頭を振って、彼の残像を追い出した。


「振り切らなきゃ」


 もう一度声に出した。自分に言い聞かせる為に。


 ダノ爺を安全な場所に運ぶ。

 それで、終わりだ。


 ライラティーヌは心を決めると、指に嵌る忌まわしい制約の紐を、一思いに抜き取って、炎にくべた。


 これは、決別の合図。


 決断を下したライラティーヌの耳に―――


「ライラティーヌ様!」


 彼の声が届いた。

次で、一応の最終回です。

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