雷鳴
雨足は強くなり、窓の外はシャワーをかけられている様に視界が悪い。
時折稲妻が窓を青白く光らせた。
フェーベとハムドルトが上手くやってくれたようで、外では騎士団が集結していた。
「私が行きましょう」
屋敷を包囲する騎士団の影を見止めて、タンストンが名乗り出た。ライラティーヌは改めて、タンストンの端正な顔をじっと見た。
「……タンストン隊長。今回わたくしにとって隊長の登場だけがイレギュラーでした」
ジオルレイドで音声を聞いていて、タンストンの名が出て一番びっくりしたのはライラティーヌだった。
全く予想外の出来事だったのだ。
「にも関わらず、よく私を信じましたね」
「わたくしの中の隊長を信じる事にしたのです」
本当は自信がなかった。タンストンの家がアーレント系なのは事実だからだ。
だが、ジオルレイドから出て、最初にタンストンと目があった時、全ては杞憂だったと確信が出来た。
その時のタンストンは、それはもう、心から安心した様な表情だったからだ。心底ライラティーヌの生還を喜んでくれていた。いつもの能面顔が嘘みたいだった。
「……いくつか苦言を呈したいところですが」
「う。お受け致します」
―――やっぱりタンストン隊長だ! ただでは許してくれない!
タンストンは足元に転がる騎士を見下ろして、少しだけ辛そうに眉を寄せた。
「いえ。いずれまた。今はこの場を片付けると致しましょう」
タンストンはやんわりと首を振った。
この場を収束させる為、外にいる騎士団を呼びに行く事を優先させたようだ。その去り際の端正な横顔に向かって声をかける。
「勝手にアヒムを使わせて戴きました。隊長に断りもなく、申し訳ございません」
今はタンストンの部下でもないのだが、一応頭を下げた。
この件が終われば、タンストンの隊に返すつもりでいるからだ。
タンストンは能面のような無表情のまま頷いた。
「少しはお役に立ちましたか」
「ええ。とても」
「良かったです」
余韻程度の淡い微笑みを残して、タンストンは出て行った。
―――うん。美形。
すぐにゲルルフを先頭に、数名の騎士がやってきて、ダミアンや昏倒した騎士達を捕縛して連行していった。
「皆様もこちらへ。城まで騎士団が護衛致します」
手を伸ばしたゲルルフを、ライラティーヌは苦笑で辞退した。
「わたくしはもう少し残ります。クレメンスをこのまま放置するのは、あまりに無責任ですから」
「しかし」
反論しようとしたゲルルフを、止めたのはヨアヒムだった。
「確かにクレメンスには説明が必要だろう。お前達は後から戻るが良い。マニュエル」
「はっ」
「疲れているところ悪いが、お前は共に来てくれ。色々と忙しそうだ」
「畏まりました。身支度を整えてまいります」
「うむ。下で待つ」
ヨアヒム達が出ていき、後に続こうとしたマニュエルを慌てて呼び止める。
「これ。些少ですが、名演技のお礼です」
液体の入った小瓶を差し出す。
「グイッと行っちゃって下さいな」
マニュエルは少し戸惑いを見せたが、すぐに目尻を下げ、小瓶を押し抱いた。
「ご厚情、有り難く」
「ふふ。今度こそ、正真正銘の万能薬ですよ」
中身は特製のお茶だと思っていたのだろう。一気に中身をあおったマニュエルは、一瞬不思議そうな顔をした。そしてまるで探し物をするように、パタパタと自分の身体を触る。主におなかの辺りを。
「ライラティーヌ様、これは?」
「胃が痛むだけなんて、良く言ったものです」
最初にお茶を共にした時に鑑定済みだ。
マニュエルは胃がん。それも末期の。
飲ませたのは勿論アンブロシアだ。
「立っているだけでもやっとだった筈です。素晴らしい精神力ですが、無理はいけませんよ」
マニュエルは信じられないという風に、まだ自分の身体を検分している。恐らく急に消えた痛みを探しているのだろう。
「ライラティーヌ様、まさか本当に万能薬なのですか?」
ライラティーヌは微笑む事で、肯定の意を表した。
「カロリングにはまだ、貴方の力が必要です」
――――――――――
マニュエルが出ていった扉をしばし眺める。
残ったのはライラティーヌとクレメンス、コンラーディンの三人だ。
―――さてと。
大きく息を吐いて、覚悟を決めると、勢いをつけてクレメンスに頭を下げた。
「申し訳ありませんでしたぁ!」
今回ばっかりは、どれだけ嫌味を言われても甘んじて受けよう。
「人を利用するなと言っておきながら、完全に貴方を利用しました! 骨の髄までしゃぶり尽くしました! すみませんでしたぁ!!!」
腰を直角に折ったまま、一気に捲し立てた。
「……」
「……」
「……」
―――ううう。何か言って。
「ふぅ」
クレメンスが、なんとも複雑な溜息を漏らした。
「必要なことだったのでしょう?」
くいっと眼鏡をただす。
「謝って戴く必要はありません。ダミアンの口からラフレモーサが出た時点で、これが貴女の描いた絵だとは分かりましたから。ただ、貴女が死んだと聞かされた時は、肝が冷えました」
「わたくしが負けたと思いましたか?」
「はい。人を巻き込んでおいて負けやがったな、あの野郎、と絶望しました」
もの凄く冷めた目でみてくる。視線が痛い!
「必要なことだったのですよ?」
「分かります。ですから謝って戴かなくて結構だと申し上げております。まあ、何故私にまで秘密にする必要があったのかは疑問ですが」
「……やっぱり怒ってるじゃないですか」
「嫌味くらい言っても良い立場かと」
―――くぅ。ごもっともです!
「わたくしの故郷の言葉にあるのですよ。――敵を欺くなら味方から、と」
「……」
「……」
―――ううう。沈黙が痛い。
「……コンラーディン様はどこまでご存知のだったのですか?」
矛先がコンラーディンに向いた。
「骨組みだけは聞いていたよ。森での首尾が上手くいかなかった時の代替案が私の担当だった」
「……そのお姿。いったいいつから治っていたのですか?」
「ライラティーヌ?」
言ってもいいかい、と視線で確認して来た。
「いいですよ。どうせマニュエル様にも使ってしまいましたから」
「使う? 先程の薬ですか?」
「万能薬、アンブロシアです」
クレメンスはしばし黙った。
瞳を閉じて、考えをまとめる様に。
アンブロシアの効果を疑っている訳ではなく、それが齎した結果や、これまでライラティーヌが画策してきた事なんかを、整理しているようだった。
暫くの熟考の後、全てを納得した様に顔を上げた。
「貴女は間違えていらっしゃいます」
「はぇ?」
「私は、人の命を捨て石に利用するな、と言われたと記憶しております。今回貴女が利用した命は、私のものではなくご自身の命でしょう」
ライラティーヌの惨憺たる有り様の服を視線で指した。
だって、ライラティーヌにはアンブロシアがあるから。
死ぬ事はないだろうとタカを括っていただけだ。
別に命を賭けた訳でもないのだが、クレメンスは良い様に解釈したみたいだ。ラッキーなのでそのままにしておく事にする。
クレメンスは眩しいものを見るように目を細めると、やけに恭しく腰を折った。
「私はコンラーディン様の為にあります。それは今後も変わらない。ですが許されるなら、ライラティーヌ様にも同等の忠誠を」
「え?」
散々利用させて貰ったのに、まさかの高評価。
何が彼の心を打ったのかは分からない。よもやクレメンスから、こんな言葉を貰う日が来るとは思わなかった。予想外過ぎてあわあわしてしまう。
「え、えっと」
助けを求めて隣を見ると、コンラーディンが優しく頷いていた。
その笑顔に力を貰って、ライラティーヌも頷き返す。
「そんな浮気症の男、願い下げです」
「はぁ?!」
想定外の答えに度肝を抜かれたように、クレメンスは顎を落とした。その間抜け面に思わずガッツポーズをしてしまう。
今さらこの関係を変える必要はないと思った。
強がり抜きで、ライラティーヌはこの関係を気に入っているのだ。
「ぷっ、あはは」
そんな様子を見ていたコンラーディンが声を出して笑った。コンラーディンのこんな笑顔を見るのは初めてだ。
コンラーディンの笑い声で我に返ったクレメンスは、咳払いを一つすると、表情を引き締めた。
「これで許して戴けたのでしょうか?」
「え?」
「借りは返し終えたのでしょう?」
真剣な、けれどどこか晴れやかな瞳だ。
ライラティーヌも晴れ晴れと笑う。
「はい。仇は打てました」
言葉にすると、じわじわと実感が湧いて来た。
―――終わった。
クレメンスの処刑を回避し、アーレントを潰した。コンラーディンの病も治したし、飢饉の危険は伝えてある。
あの本に書かれていた暗い未来は、全て潰した。
終わったのだ。本当に。
そう考えると、やけに胸に迫る物があった。
「ライラティーヌ」
コンラーディンが優しく微笑みながら、両手を広げていた。
―――え? なにそのポーズ。これってアレだよね。いいの?
「おいで」
―――やっぱりアレだった!
言われるままに、その胸に飛び込んだ。
ぎゅううっと抱きつくと、頭を優しく撫でる手があった。
「終わったね」
「はい」
「頑張ったね」
「はい」
「……ありがとう」
「……はい」
達成感は、まるで体育祭の夜の様。
このまま目を閉じて眠ってしまいたい。
それほどの心地良い満足感に身を任せていると―――
ドォンンンン!
空気を震わせる様な雷鳴が轟いた。
気がつけば、空が荒れ狂っていた。
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