ラフレモーサの咲く夜
月明かりは郷愁を誘う。
前世の記憶、それだけじゃない。
多分脈々と受け継がれてきた太古からの記憶だ。
この世界では人々は夜を嫌うけど、きっと昔の人々はもっと夜に親しんでいたと思う。
だって夜はこんなにも綺麗で、吸い込まれそうなほどだ。
一つになりたくなる感覚。
ライラティーヌは両手を夜空に伸ばした。
「ライラティーヌ様?」
振り向くとフォルクハルトが静かな目を向けていた。
「あ、すみません。あまりにも夜が綺麗で、つい」
「綺麗ですか?」
「ええ、とても。そうは思いませんか?」
今宵は満月。
ラフレモーサの咲く夜だ。
ライラティーヌは、二人で城を抜け出して森に来ていた。
「夜がというよりも、夜はライラティーヌ様に似合っていると思います。深い藍に翠銀の髪がなびく様は、愁いを帯びていてとても美しいです」
「……昼のわたくしは?」
「騒がしいです」
「でしょうね!」
快活に笑いながら、さりげなく手を取ってエスコートしてくれる。
「美しいと思うのは本心です。ですが怖くもあります。夜の貴女はあまりに儚げで、消えてしまうのではないかと錯覚してしまいます」
フォルクハルトが常にない事ばかり言う。これも夜の仕業だろう。
夜は人を素直にしてしまう。
「……わたくし領主になるか、ツァージェの第三夫人になるかの二つに一つなのだそうです」
「……魔力が多すぎるというのも、息苦しいものですね」
「まったくです」
フォルクハルトは否定しない。
つまりこれが、貴族の常識という事だろう。
「そのような話を聞くと、わたくし……逃げたく、なるのです」
ライラティーヌも、つい本心を口にしてしまう。
ここが好きだ。
ここにいる人々も好きだ。
でもここにいては、きっと望む未来はやってこない。
「先の事を考えても仕方ありません。今は目の前の楽しみを考えましょう。折角の夜のお散歩なのですから」
「はっ! そうね! ラフレモーサがわたくしを待っています」
本来の目的を思い出し、大きく一歩踏み出した時、フォルクハルトが優しく手を取った。エスコートをしてくれるのかと思ったが、そこに立ち止まったままだ。
「?」
フォルクハルトはそのまま片膝をつくと、手の甲に静かに唇を落とした。深い青の前髪の向こうに、ひたむきな瞳があった。
「貴女が何処にいても味方だと言ったこと、忘れないで下さい」
「フォルクハルト……」
その時、月明かりの森の中、遠くの茂みの奥に白い物が動いた。
見知ったシルエットが、眼鏡の位置を正した。
「隠れて下さい!」
フォルクハルトの袖を引っ張り、木の影に隠れる。
「あれはクレメンス殿。もう追っ手が来ましたか」
「いいえ。アレはわたくしを探しているのではありません。手元を見てください」
手に持つガラス瓶の中に、美しい藤色の花が入っていた。
クレメンスは、真っ直ぐに正面を見据え、足早に城の方角へ歩いている。
「あれはラフレモーサでしょうか」
「ですね」
無事に噂からラフレモーサに辿り着けたようだ。
思わず口元が綻んだ。
「マニュエル様の為でしょうね」
「おそらくは。うふふ。先を越されてしまいました」
「嬉しそうですね」
「ええ。満足です。さあ、わたくし達も急ぎましょう」
「そうですね。一雨来そうです」
空には月は出ているが、奥の方に分厚い黒い雲の塊が見える。
クレメンスの姿が完全に見えなくなってから、念の為少し時間を置いて騎獣に乗り込んだ。
――――――――――
ラフレモーサの泉の前に降り立つ。
「わあ! フォルクハルト見てください!」
木の虚は、ぼんやりと発光して見えた。
ラフレモーサが淡い光を放っているのだ。
星の形状に開いた大きな五つの花弁。どことなく桔梗に似ている花が、ひと夜の栄華を誇っていた。
「ちゃんと残っていましたね」
「ええ。噂に踊ったのはクレメンスだけのようですね」
この後誰かが採りに来ないとも限らない。
クレメンスもそれを考慮して、一輪だけを持ち帰ったのだろう。
―――よし。じゃあ私も一輪頂いちゃいましょう!
一輪摘み取り、何でもポケットのリスト画面を呼び出す。
リストに書き込む為に、いつものように鑑定を行う。
「……」
「どうしましたか?」
突然動きを止めたライラティーヌの顔をフォルクハルトが覗き込む。
「……毒化しています」
ラフレモーサは毒化していた。
誰かが咲く前に手を加えたのだ。
数日前に確認した時は問題なかったのに。
「噂を聞いた者でラフレモーサの扱いを知らない者がいたのでしょうか」
「そうかもしれません」
ラフレモーサが手に入らなかったのは悔しいが、今はそんな場合ではない。
「大変です。クレメンスは気付いていません」
「! 早く止めないとマニュエル様が!」
未来を記した本によると、クレメンスは親族殺しで処刑される。
クレメンスが処方した薬でマニュエルが死ねば、未来は本の通りになってしまう。
「急ぎましょう!」
フォルクハルトが騎獣を出す間に、ライラティーヌはもう一度虚に向かった。
毒化したラフレモーサを回収する為だ。
この後誰がが気付かずに摘み取ってしまっては大変だ。
手を伸ばした時、いきなり手首を誰かに掴まれた。
そのまま引き寄せられる。
「はぇ?」
回転する視界にフォルクハルトの驚愕した顔が映った。
乱暴に動きを封じられ、気が付けば首元に剣が当てられていた。
―――襲撃だ!
「ライラティーヌ様!」
フォルクハルトが剣を抜きながら大地を蹴ろうとした瞬間、背後の男が叫んだ。
「ライラティーヌ様の命が惜しければ、う、動かないでくれ!」
木々の間から、フォルクハルトを囲むように人が現れた。
総勢で八名。全員既に剣を抜いていた。
「おっと、動くなよ色男。お嬢さんの死ぬところを見たくはないだろう」
「……何が目的だ」
「単なる足止めだ。クレメンス殿が無事に調薬を終えるまでのな」
「まさか、貴様らが」
「毒化させたのかって? その通りさ」
返事をしているのは正面にいる赤髪の男だ。
―――あいつがリーダーか。
人を食ったような態度。手首にルーンブラーを付けているところを見ると貴族なのだろうが、態度は街のゴロツキだ。
対して、ライラティーヌを拘束している背後の男は、小心者のようで小刻みに震えている。
捕まる前、一瞬だけ顔が見えた。
見知った顔だった。




