【幕間】ライラティーヌの正体~ヴォルデマール視点
夕食後の書斎で調べ物をしていると、一人の男が訪ねてきた。
鮮やかな青髪にヘイゼルの瞳。しなやかに引き締まった体躯を貴族の衣装で覆い隠した男だ。
纏う空気は穏やかで、騎士らしからぬ品がある。
出会った頃は、人の良さだけが目立っていたが、ここ数ヶ月で瞳に怜悧さが加わった。
覚悟を決めた騎士とは、こう言うものかもしれぬな。
この男をここまで変えたのは、まだ八歳の小娘なのだから驚きだ。
「お招きに預かり、光栄です」
フォルクハルトが貴族の礼をとって頭を下げた。
「適当に寛いでいろ」
私は一言投げると、調べ物の続きをするべく、書物に目を戻した。
ひと段落してから頭を上げると、フォルクハルトもソファに腰掛けて、小さな本を読んでいた。
普通の者なら、王族を前にすれば何時間でも立ったまま待つものなのだが。
この男の私に対する態度は、同僚へのそれと大差ない。
節度はあるが、必要以上に遜らない。
この距離感は悪くない。
フォルクハルトを馬鹿ではない、と私が認識する理由の一つだ。
「待たせたな」
「いえ。……調べ物でしたか」
「ああ、カリオンの事を少しな」
「カリオンだと比定出来る神はいましたか?」
「いや、絞り込む要素が少なすぎる」
五大属性神と、其々の眷属が十二柱ずつ。それだけでも六十を超える神が存在する。更には眷属の眷属や、陪神などもいる。存在を把握出来ていない神もいるだろう。
その中からカリオンを見つけるのは、困難だった。
「カルツォーリアでない事を祈ります」
「薬学の女神か。何故だ?」
「私の初恋の相手です」
「ふっ。アレが初恋の正体とあっては報われぬな」
幼い頃、物語の中の女神に恋心を抱く者は珍しくない。
実に純朴なフォルクハルトらしいエピソードだ。
―――それにしても、カルツォーリアか。随分と理知的な女神を選んだものだ。
文官として働く女性が憧れる事の多い女神だ。
面倒見の良いフォルクハルトは、淑やかで控えめな女性と似合いだと思うが、どうやら本人の好みは違うらしい。
―――ライラティーヌを主君と仰いでいる事といい、女性に振り回される人生を選びそうだ。
目の前の純朴な青年の、苦労の多そうな人生に同情しつつ、既にテーブルに並べられている酒に手を伸ばす。
酒瓶を傾けると、フォルクハルトは恐縮したように、グラスを手にした。
「流石の私も、今日の一件は刺激が強すぎた。多少の愚痴でも言わんとおさまらん。付き合え」
フォルクハルトは意外そうに目を丸くしたが、すぐに柔らかな笑顔になった。
「確かに。この愚痴に付き合えるのは、私しかいませんね」
「まさか神のお出ましとは。生きて戻れたのは僥倖だった」
「そうですね。彼女がその気なら、指先一つで殺されていたでしょう。タコヤキに感謝ですね」
「ふむ。タコヤキか。先程ついでに調べたが、オーサカという土地は、この国には存在しなかった」
「そうですか……」
微妙な沈黙が落ちた。
フォルクハルトも、オーサカが存在しない事は予想していたのだろう。
それが指し示すモノを考え、フォルクハルトも私と同じ結論に至ったのだと確信した。
私はフォルクハルトが昼間、ライラティーヌに告げた言葉を口にした。
「この先何があっても、貴方が何処に行こうと、貴方が何者であっても、か」
「……」
ふむ。顔色一つ変えぬか。
私が自身と同じ結論に至っている事は予想済み、と言うことか。
伏せ目がちに静かにグラスを口に運ぶフォルクハルトに、決定的な言葉を投げる。
「私も同意見だ。アレはライラティーヌ・カロリングではない」
開けっ放しの窓で、夏の夜の風がカーテンを揺らした。
少しの静寂の後、フォルクハルトは軽く溜息を吐いた。
「証明は不可能です」
「だが私は確信している。其方もであろう。確信した上で、アレの味方である事を望んだ。違うか?」
私は尚も、仮説の説明を続けた。
「あの頭脳。あの知識。およそ八歳とは思えぬ思考、態度。全く別の、成熟した魂に入れ替わっているとすれば、合点がいく。神々であれば、死者の身体に別の魂を入れ込む事も可能であろう。ルイとは、輪廻を司るドゥルボケーティアかもしれぬ」
ドゥルボケーティアはアンゲスリュートの妹神だ。
フォルクハルトは諦めた様に、深く溜息を吐くと、勢いよく杯を煽った。音を立てて、グラスをテーブルに置くと
「私が出会ったのはあの方ですから」
と、開き直った様に、挑む様に、まっすぐに見つめてきた。
「言い切れるか? 其方が初めて会った時から、今のライラティーヌであったと」
「疑いようもありません。あの方は出会った最初から、あんな感じでした」
あんな感じ、か。
その一言で十分伝わる。
気品も威厳も高慢さもある。だが、貴族ではない。
そんな感じだ。
「入れ替わったのは、ルイに目見えた時、か。本物はその時に死んだのであろうな」
今のライラティーヌが何者なのか。
おそらくだが、貴族のいない世界から来た者のように感じる。そうなると、異世界からの訪問者と言う事か。
オーサカとは、異世界の地名であろう。
「全力で甘えろ、と貴方は仰った。その言葉に偽りはありませんか? 貴方も私と同じ考えだと信じても良いのでしょうか?」
否と言えば、即斬りかかってきそうな目だ。
「わたしが出会ったのも、今のライラティーヌだな」
むしろ、今のライラティーヌにしか興味はない。
実の娘だと信じているカロリングが憐れではあるが、他人の子を育てるなど、貴族なら何処にでも転がっている話だ。
「安心しました……。貴方とは敵対したくありませんから」
「それに関しても同意見だな。其方は敵に回すと鬱陶しそうだ」
「王族に引き渡さないという話も?」
「アレほどの変わり種。王家に渡せば消される可能性すらある。いかに王家から隠し通すかを考えるべきであろう」
王族がどれほど狭量で臆病であるかを、私は誰よりも知っているのだ。
そこまで聞いて、フォルクハルトはやっと安心した様にソファに深く身を沈め、心情を吐露し始めた。
「私はずっと、ライラティーヌ様を、周りに心配をかけぬ様に、お一人で病と闘っておられる健気な方だと信じてきました。ですが、あの方の孤独はそんなモノではなかった。あの方は、見知らぬ世界に放り込まれたのですね。たったお一人で」
成る程、あの時の、一人で良く頑張った、という言葉はこう言う意味であったか。
だが何故フォルクハルトは、こんなにも自分を責める様に語るのであろう。
気付いてやれなかった事への後悔か。
それは主君への忠誠心というには、些か度が過ぎてはいないか?
まるで、愛しい者へと向ける感情のようだ。
「ライラティーヌの孤独を思うと、胸が苦しいか?」
「そうですね……。どれほどに心細かっただろうと」
「アレは隠しておきたいのであろう。言わずとも、アレの助けとなる事は出来よう。差し当たっては、こちらの常識を教えてやることか」
気付かれたとなれば、出奔するに決まっている。
フォルクハルトとは、その認識も共有しておくべきだ。
「アレは近いうちにカロリングを出るであろう。私はその時、其方に同行して欲しいと考えている」
フォルクハルトは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに自重的に微笑んだ。
「ライラティーヌ様が望まれれば、喜んで。ですがおそらく、ご自身をライラティーヌ・カロリングだと知る者を連れて行きはなさらないでしょう」
「其方はそれで良いのか?」
「それでライラティーヌ様の御心が晴れるのであれば」
どうやら、惚れている自覚はないようだ。
さもありなん。いかに精神が成熟しているとは言え、見た目は八歳の幼な子でしかないのだ。
―――だが、あと数年もすれば。
知性、能力、美貌。
全てを兼ね備えた女に成長するであろう。
それこそ、王族の隣に並んでも見劣りしないような。
頭に浮かんできた映像を、私は酒をあおる事で振り払った。
「情けない。付いてきて欲しいと懇願されるほどの信用を勝ち取ろうとは思わぬか」
「そこまで自信は持てませんよ」
「其方がボサボサしている内に、別の者に奪われるやもしれぬぞ。その時後悔せずにいられるか」
「それでライラティーヌ様の孤独が癒されるのであれば、歓迎すべきことです」
「つまらぬ」
とんだ腰抜けだ。
フォルクハルトが当てにならぬなら、他の手を考えねばならぬ。
何処にいても、私に連絡が取れる魔術具を作るしかあるまい。
術式は、ライラティーヌに組ませれば、いずれ完成するであろう。




