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ガゼルジャンの夜明け

 小まめに通った甲斐があって、農地は最初の頃から比べると、見違えるほど生命力に満ちていた。


 まだ、何も栽培していないので殺風景ではあるが、乾燥してひび割れていた土は、黒く柔らかくなっている。

 畦道にまで艶やかな緑が芽吹き、水路には蝶や蜻蛉のような昆虫が飛んでいた。


 そして、余人には見えないが、昆虫に混ざって精霊もふわふわと飛び回っていた。


 最初にここで精霊を感じた時、まだ姿は見えず、精霊はとても疲れているように感じた。

 限界まで働かされたような、さながらブラック企業の社畜のような疲れっぷりだった。


 日を重ねる毎に、精霊の数は増えていき、徐々に活き活きとしだした。顕現できるほどに生命力を得たのは、ほんの数日前のことだ。


 ここまで来れば、今年の実りは問題ないだろう。


 ライラティーヌは歌い終わると、畦道で待っている子爵の元に戻った。


「海にも歌を奉納してあるので、過剰に魔力を注がなくても水揚げ量は上がるでしょう。なので海を満たしていた分の魔力を、こちらにも少し回せますか?」

「承知致しました。再度魔力量を算出し直してみましょう」


 ガゼルジャン子爵には、飢饉が来る事はまだ伝えていない。言うべきがどうか、子爵の人柄を見て決めようと思っていた。

 滞在中に観察した結果、伝える事に決めた。


「ガゼルジャンは今のところ、農業なしでも問題なく経営出来ているのですよね」

「お陰様で。海の賜物です」

「では財政が許す限り、ここで収穫した穀物は、備蓄に回すことをお勧めします。なんなら全部備蓄に回して欲しいくらいです」

「……」


 子爵は黙り込んでしまった。

 本心を探すような目で、じっと見つめてくる。

 その瞳は、寒気を感じるような鋭利なものに変わっていた。失望されたように感じる。


―――え? なんで?


「……過剰な備蓄が必要になる理由は、大きく二つかと。一つは飢饉。ですが飢饉を予測するのは神の技。ならば、もう一つの理由という事になります。つまり戦争です」


―――おおう。そうなるか!


 つまり子爵は、ライラティーヌが領主の座を争って兄達と戦を始めると考えたのだ。

 今回の訪問は、ガゼルジャンを抱き込み、物資の補給地とするための下準備だと。


「違いますよ! 飢饉です!」

「何故それがお分かりになる」


 むーん。


「父さん。この景色を見て尚、それを聞くかな? ライラティーヌ様は自然と語り合う事が出来るんだよ」


 子爵はフェーベの言葉に不安そうだ。娘がペテン師に騙されている、みたいに思っているのかもしれない。


 どう説明しようかと躊躇っていると、フォルクハルトが口を挟んできた。


「フェーベとハムドルトは、ライラティーヌ様に忠誠を捧げると申し出て、断られています。ご自分の為にガゼルジャンを抱き込みたいのであれば、受け取られた筈だとは思われませんか」

「忠誠を断る?! いったい何故?」


 子爵は信じられない、という風に頭を振った。

 忠誠を断るなど、聞いた事がない、というような顔だ。


「騎士の力を独占したくない、と仰られて引き下がっていました」

「なんと」


 その言い方だと、フォルクハルトは申し出ていなかったようだ。てっきり言い出したのはフォルクハルトだと思っていたので、意外な気がした。


 目が合うと、考えている事が伝わったようで、フォルクハルトは首を竦めた。


「私は、どうせ断られると分かっていましたので、申し出ませんでした。二人にも無駄だと忠告したのですけどね」

「だって、もしかしたら受けて貰えるかもしれないじゃない。戦う前から諦めるなんて、フォルクハルトは腰抜けですよ」

「戦況予測が出来ない騎士は早死にするぞ」

「ぐぬぬ」


 いや戦いじゃないからね、と軽口を叩き出した護衛騎士を軽く睨む。

 子爵は毒気を抜かれたように、そんなやり取りを呆れたような顔で眺めていた。


「これが証拠になるかは分かりませんが」


 ライラティーヌは子爵に向かって手を伸ばした。

 貴族の性なのか、子爵はすぐにその手をとった。


「あれは精霊です。見えますか?」


 水路の上を飛んでいる光を指さした。


「精霊? あれが?」


 子爵は暫く、精霊の舞う光景を眺めていた。

 が、やがて納得したように頷いた。


「なるほど。ライラティーヌ様は『知覚者(見える者)』なのですね」


 と、初めて聞く言葉を口にした。


「ごく稀に精霊の姿を見る事が出来る者がいるそうです。その方々を知覚者(見える者)と呼ぶそうです」

「他にもいるんですか!」


 だったら殊更隠す必要もない。

 大々的に、飢饉が来るよと宣言を出しても問題ないかもしれない。


―――というか、知覚者(見える者)ってもしかして転生者じゃないの?


「とても希少な存在です。現在所在が明らかなのは、王族におられるお一人だけかと」


 ダメらしい。

 もっといても可笑しくないが、囲い込まれるのを恐れて隠れているのかもしれない。


「残念です。では今見ている光景は、口外禁止でお願いします」

「畏まりました」


 子爵はすんなり了承してくれた。

 やはり、出来るだけ秘匿すべき事のようだ。


 だが他にも精霊と通じる者がいる事実は、心のメモに書き込んだ。


「備蓄の件ですが、了解いたしました。そのように取り計いましょう」


 疑念が消えたのだろう。子爵が深く頷いて、請け負ってくれた。


「ありがとう存じます!」

「こちらこそ。幾重にもお礼申し上げます。農地を復活させて戴いただけでなく、貴重な情報まで。必ず戴いた信用に足る働きを致します」

「ふふ。お任せしましたね」


 ライラティーヌが握手のつもりで差しだした手に、子爵は恭しく唇を落とした。


 あわわ。


 その後数年、各地の収穫量が減少していく中、ガゼルジャンは変わらぬ実りを得る事になる。そしてガゼルジャンは約束を守り、収穫された穀物の殆どを備蓄に回した。


 このガゼルジャンの働きが、カロリングの崩壊の速度を僅かに落とし、五年後の大災害にライラティーヌを間に合わせる事になるのだが、それはまだ先のお話。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  お付きの護衛三人が好きです。見ていて気持ちがいい人たちです。  ちょっとずつ主人公の世界が広がっていくのにワクワクします。お気に入りのシーンは主人公がタンストンとの対話で目から鱗が落ちた…
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