ガゼルジャン
白い壁、赤褐色の屋根、青い海に真綿のような雲。
ガゼルジャンは絵に描いたような欧州チックな海辺の街だ。
ライラティーヌはフルーツジュースを飲みながら思いっきり伸びをした。
「完璧です! 海辺の街度百パーセントです!」
岬の上に建つ屋敷のバルコニーだ。
広いバルコニーにはテーブルセットと日避けがあり、護衛騎士とみんなでの寛ぎタイムだ。
「ここは貴族街と平民街が分かれていないのですね」
眼下に見える街並みを見下ろす。
「小さな街ですからね。街に降りてみますか?」
「良いのですか!?」
前回の事があるので、流石のライラティーヌも貴族のテリトリーから出ることは躊躇ってしまう。
「こんな田舎街で騎士を三人も連れていれば、滅多な事は起こりませんよ」
「そうですよ。私も久々の故郷ですから街に降りたいです」
思えば転生してからほぼ初めての平民との触れ合いだ。
領民に対する心象が悪すぎる為、関わりを持ちたいと思わずに今まで来た。
正直なところ、今でも思うところはある。
だがガゼルジャンは例外だ。
晩年、ヘルマンによって滅ばされる最初の村。
それはガゼルジャンにあるのだ。
―――ここはライラティーヌを裏切ってない領民なんだよね。
――――――――――
四人でガゼルジャンの街を散策する。
ライラティーヌはいつもより簡素な若草色のワンピースに身を包んでいる。そのせいか、身も心も軽い気がした。
「色んな匂いがします」
弾むように歩きながら、辺りを見回す。
潮の匂いに混ざって、パンの焼ける香ばしい匂いもする。
「あそこですね。平民が経営している庶民向けのパン屋です。安いのに美味しいですよ」
店内にはハード系のパンを中心に沢山並んでいた。
まだ午前中なので、トルティ用のパンが焼きたての匂いをさせている。
「何か買って行かれますか?」
「そうねぇ」
フェーベがオススメを教えてくれたが、正直全部食べてみたい。
「このお店のパン全て、と言ったら街の人達が困るかしら」
「ぜ、全部ですか?」
甘いもの好きのハムが青ざめた。
明日からのトルティが、全部堅パンになる恐怖で震えているようだ。
「この辺りの住民が、今日のトルティなしになっちゃいますよ」
「ですねぇ。では夕方もう一度参ります。その時売れ残っているものを全て買い取ります。いいかしら?」
尋ねると、店主は脂汗をかきながら、フェーベに視線をちらちら送った。
「勿論、ウチは大歓迎です。ですが、お口にあいますでしょうか?」
「大丈夫だよ、おじさん。ここのパン美味しいもの」
フェーベのお墨付きを貰って、店主がほっとした顔つきになる。
「顔見知りですか?」
「常連でした」
「まあ! ではフェーベの子供の頃もご存知なのですか?」
「知っておりますよ。とんだ悪ガキでした」
「ちょっ! おじさん!」
フェーベが慌てて店主に飛びついて口を塞ぐ。
和やかな笑い声が店内に響いた。
こんなに親しげに、貴族と平民が触れ合っているのを、新鮮な気持ちで眺めた。
夕方もう一度来る事を約束して、店を出だ。
「同じカロリング領でも、随分と雰囲気が違うものですね」
「漁業と製塩業に頼りきりの街ですから、貴族は殆どする事がないんですよ。おかげで伸び伸びとした子供時代でした」
「農業はしてないのですか?」
「野菜なんかはやってますが、穀物は殆どないですね」
「ふうん」
それでは、飢饉がくれば食うに困る。
「穀物を育てた方が良いですよ」
割と真剣に忠告してみたが、フェーベはあっさりとしたものだった。
「土地が痩せてて、あまり育たないのです」
―――うーん。放っておいても良いけど。ここの住民を見捨てるのは寝覚が悪いなぁ。
どうしようかな、と迷いながら散策していると、民家の庭に見慣れない樹木を見つけた。
二メートルくらいの高さの木で、プラムのような真っ赤な果実がたわわに実っていた。
「あれは何という果物ですか? 初めて見ました」
フェーベがチラッと庭を覗き込んで
「ああ、プルシーですね」
「私も初めて見るな」
フォルクハルトも珍しそうにしている。
ハムとフェーベは食べたこともあるらしい。
「別名、貧者の果実と言います。国中何処でもありますよ。庶民には一番メジャーな果物ですね」
大した手入れもなく、放っておいても勝手に実をつけるらしい。痩せた土地でも、不作の年でも変わらず成り続ける。
金銭的に余裕がなくても、食べれることから貧者の果実と呼ばれているのだと、説明してくれた。
「そんな有名な果実、どうしてわたくし食べた事がないのかしら?」
「貴族が好き好んで食べるものじゃないですから」
「素材博士としては、大失態ですわ!」
ライラティーヌは、何でもポケットからスケッチブックを取り出した。
「すみませーん。誰かいませんかー」
民家に向かって大声で呼びかける。
「またライラティーヌ様は……。何をなさるおつもりですか?」
「何って、一つ分けて頂こうと思って。それにスケッチもしたいです」
何度か呼びかけていると、家のドアから十歳くらいの少年が出てきた。
「……何ですか?」
暗い顔をした少年だった。
代表してフォルクハルトが口を開く。
「失礼。お父上かお母上はいるかい?」
「……おじさんたち、誰?」
「騎士団の者だ」
少年は胡散臭げに、四人に目を這わせると、正気の篭らない目で言った。
「……とーちゃんはもともといない。かーちゃんも先月死んだ」
「それは……。悪い事を聞いた。母上は病気か何かか? 君は一人で住んでいるのかい」
「メルルーイ病」
「……大変だったな。君は無事か?」
「何ともないよ。それより、何か用?」
病名を聞いた時、フォルクハルトが息を呑んだ気がした。
「メルルーイ病って?」
小声でフェーベに聞いてみる。
「奇病です。死亡率百パーセントの」
「伝染病ですか?」
「いえ、栄養失調が原因ではないかと言われていますが、未だに原因不明です」
フォルクハルトが少年から許可を貰ってきたので、遠慮なくスケッチをして、果実を少しポケットに入れた。
プルシーを食べながらも、ライラティーヌは考え込んでいた。
―――栄養失調か。
最近の不作の影響なのだろうか。
そうなれば、今後あの少年のような子供がもっと増えるかもしれない。
―――やっぱり、寝覚が悪いよね。
「フェーベ、穀物を栽培しない理由は、土地が痩せているからだけですか?」
「主な理由はそうです。後は農業に頼らなくてもやっていけてるから、でしょうか」
魚と塩が自給出来ていれば、飢饉が来ても飢え死ぬことはなさそうに思える。
だけど結局のところ、腹を満たすのは炭水化物だ。そう思ってしまうのは、米の国出身だからだろうか。
「働き手はどうですか? 農業に割く人手はありますか?」
「大丈夫と思いますが……。ライラティーヌ様には、ガゼルジャンが危なげに見えるのですか?」
突っ込んだ質問に、フェーベが不安そうな表情になった。
「いえ。ごめんなさい、つい老婆心で」
素人考えで上手く回っている領地を引っ掻き回す訳にもいかない。
ライラティーヌに分かっているのは、飢饉が来るという事だけなのだ。
自分にもう少し知識があれば良かったのに。
と、社会の授業に真剣に向き合ってこなかったことを、少し後悔した。
「フェーベ。私は一考すべきだと思う」
それまで黙っていたフォルクハルトが説得に回った。
「このような場合のライラティーヌ様の言葉は、精霊の言葉だと受け止めるべきではないか」
「! 確かに。そうなのですか? ライラティーヌ様」
「あ、えーっと」
―――精霊の言葉ね。うん。精霊も神の眷属なんだから、神くくり良いよね。ルイから聞いた、イコール精霊の言葉。うん。イケる。
いや、全然イケないけど、そんな感じにしておく。
「ガゼルジャンに限った話じゃないんです。カロリング全体に感じる危うさなのですよ」
フェーベを安心させるように、一度クッションを入れてから続ける。
「むしろガゼルジャンは良い方だと思います。ですがカロリングを飢饉が襲った時、主食の全てを交易に頼っているのは、少し危うく感じます」
「飢饉が、来るのですか?」
三人が生唾を呑む音がした。
ライラティーヌは一人一人の目をゆっくりと見つめてから、静かに頷いた。
「来ます。このままでは確実に」
飢饉の最終打は災害だった。
それがどのようなものか、見当がつかない。
地震なのか、日照りなのか、津波なのか。
いずれにせよ、自給率を上げておけば済む話とは限らない。
やはり確実な備えは備蓄だ。
「ただ、わたくしに分かる事はそれだけなのです。対策を立てれるほど、領地経営に明るくありません。皆はどうですか?」
三人が顔を見合わせた。
「一番頭が良いのはフォルクハルトだろう」
「食べ物のことならハムドルトが専門ではないか」
「食い意地と領地経営は全く関係ないだろう」
ダメだこりゃ。
「余っている土地はありますか?」
「それはまあ、放置された農地ならありますが」
「後日見に参りましょう」




