押し入れの威力
キインッ
という硬質的な音が響いた。
フォルクハルトに届きそうだった爪は、見えない結界に弾き飛ばられた。
魔獣達が、突進してきては弾き飛ばされる。境界線が視認できない分、なかなかシュールな光景だ。肉がぶつかる鈍い音が、間断なく聞こえてくる。
―――良かった。ちゃんと機能してるね。
何が起こったか分からない、というようにフリーズしているフォルクハルトに、小瓶を手渡す。
「回復薬です」
肩を叩いて我に還らせる。
「……これは、ライラティーヌ様の仕業ですか? 先程何か唱えられていましたが」
「押し入れ、です。ヴォルデマールさんのおかげで完成した、わたくしだけの秘密の魔術なんです」
「オシイレ?」
ちょっと胸を張る。
「押し入れ。その中に逃げ込めば外界からの干渉を一切跳ね返す、完全領域です」
沙夜の過ごした家は純和風建築だった。というか単なる古い家だ。
魔獣達は懲りもせず、ひたすら突進している。少し不憫だ。
「わたくし達を中心に、大きな箱があると考えてください。箱の外からの攻撃は届きませんが」
と、弓を構えて矢を射る。
「中から外へは攻撃可能です」
―――どうだ! この反則的な魔術! ひれふせー!
「こんな魔術聞いたことがありません」
「ふふ。これは切り札ですから、内緒ですよ」
理解が追いつかない、という風に呆然としているフォルクハルトに向かって、唇に人差し指を立てて片目を瞑ってみせた。
「……言葉もありません」
「まあほとんど、ヴォルデマールさんの功績ですけどね」
賞賛を独り占めするのも気が引けたので、正直に話す。
「あの方は天才です。知識の量が凄まじいのですよ。参考にする術式や、考慮すべき法則をぽんぽん揃えてくれます。わたくしはただ、それらを組み上げるだけで良いのです」
実際のところ、ヴォルデマールとライラティーヌ、どちらが欠けてもこんな術式は完成しなかったのだが、互いに「あいつは反則級の天才だ」と思っている。
「そんな事より」
と、話を現場に引き戻し、周りを取り囲む魔獣達に目を転じる。
「騎獣で逃げれば追ってきますよね。城門まで引き連れて行っても大丈夫でしょうか?」
「一報入れたいところですね。城門に騎士を集める事が出来れば、纏めて殲滅出来ます」
確かに森に入って一頭ずつ探して駆除するより、ずっと効率的だ。問題はどうやって知らせるかだが。
「……ライラティーヌ様、オシイレはここに固定されてるんですか?」
「いえ、わたくしが動けば押し入れもついてきますよ。常にわたくしが中心であるようになっています。移動しますか?」
「ダノ爺の小屋まで行きましょう。あそこには信号弾があります」
ライラティーヌを騎獣の背に乗せ、フォルクハルトもふわりと馬上に飛び乗った。
騎獣が進み出すと、魔獣の群れも一緒に追ってきた。猫まっしぐら、という感じだ。脇目もふらずに、真っ直ぐ追いかけてくる。
涎を垂らしながら迫ってくる様は、押し入れがあると分かっていても、ちょっと怖い。
「ダノ爺は大丈夫でしょうか?」
ダノ爺の小屋までは少し距離があるが、心配だ。
フォルクハルトも同じ気持ちだったようで、手綱を握る手に、ぐっと力が入った。
「……回復薬はまだありますか?」
「お任せください!」
ダノ爺の広場が見えてきた。
数頭の魔獣も見える。
「フォルクハルト! あそこ!」
ダノ爺が魔獣と戦っていた。
小型の二頭と対峙している。衣服が裂けて血が流れているのが見てとれた。
ダノ爺の振り下ろした剣を、魔獣が噛み止めた。ダノ爺と魔獣が剣を引き合っている横に、もう一頭が距離をつめる。
「フォルクハルト! このまま突っ込んで下さい! 接触の直前で押し入れを解除しますから、秒であの二頭を屠ってくださいませ!」
「分かりました」
騎獣がスピードを上げた。
その間にも、ダノ爺は剣を失い、今また、噛み付いてきた魔獣を左の腕を犠牲に止めている。
―――間に合え!
フォルクハルトの間合い直前で、押し入れを解除した。
「今です!」
瞬間放たれたナイフが、ダノ爺の腕に噛み付いていた魔獣の瞳を抉った。騎獣から舞い降りたフォルクハルトの一閃が一頭の首を裂き、返す刃がもう一頭の止めをさした。
「押し入れ!」
ドオオオン……。
術の再発動を告げる声と、魔獣が血飛沫を上げながら倒れ込む音が同時に響いた。
迫っていた魔獣達が、また見えない壁にぶつかって雪崩を起こしている。
無事に押し入れにダノ爺を収納出来て、ほっと一息をつく。
「ライラティーヌ様! ご無事で!」
「わたくしのことよりも、自分の心配をなさって下さいくださいませ!」
左腕から盛大に血を流しているくせに!
ライラティーヌは急いで回復薬を手渡す。
―――ううう。肉が食いちぎられてるよ。痛い痛い!
「フォルクハルト。傷が深いです。癒しを掛けて下さい」
フォルクハルトは、ブンッと剣を振って血糊を払った。剣が鞘に戻されるチンッという音を聞いて、ダノ爺は初めて自分の置かれている異常な事態に気付いたようだった。
「……これは、どういうことじゃ。魔獣の攻撃が……」
「ライラティーヌ様の術だ。他言無用で頼む。それよりもダノ爺」
フォルクハルトは癒しの魔術をかけながら、問いかけた。
「信号弾はどこですか」
「ここじゃ」
懐から小さな筒を取り出した。
「上げようとしたところを襲われたのじゃよ」
「警戒弾だな。借ります」
筒から、紫色と赤の煙が、滝を登る竜のように立ち上がっていく。
「これで城門を護る騎士が増えますね。体制が整うまでどれくらい時間がかかりますか?」
「訓練所にいる騎士はすぐに集まれますから、十五分もあれば」
「城門までどうやってこいつらを引き連れて行きましょうか」
百を越える魔獣に、うんざりした気持ちになる。
魔獣は突進を諦めたようで、少しの距離をとってライラティーヌ達を取り囲んでいた。
上空から見れば、魔獣のドーナツのように見えるだろう。
「オシイレを騎士団に見せるわけにはいきませんね」
「はい。押し入れなしで逃げ切れるでしょうか?」
騎獣に乗れば、いけるだろう。
だが三人は乗れそうにない。足が悪いダノ爺は走る事すら怪しい。
ライラティーヌは自分の持ち駒を天秤にかけた。
押し入れ、騎獣、身体強化。
みんなにバレて、どれが一番マシかと言われれば、身体強化だ。
「ダノ爺と騎獣に乗ってください。わたくしは走ります」
「そんな訳にはいかん! わしが走る!」
「大丈夫です。わたくし足は早いのです。ね、フォルクハルト?」
フォルクハルトはしばらく考え込んだが
「そうですね」
と同意してくれた。
「ですが騎獣は無しです。私もダノ爺を背負って併走します。ライラティーヌ様は全力で走ってください、後ろは護りますから」
「フォルクハルト! お主正気か!」
ダノ爺が目を剥くが、フォルクハルトは冷静に首を振った。
「全員が生き残るには、それが一番の策です。誰の命も捨てて考えないようにと、ライラティーヌ様からキツく命令を受けていますから」
そうですよね、と言うような流し目を受けて、ライラティーヌは満足して頷く。
「ここから走り出して」
と、城門の方面を指さす
「城門から見えるギリギリで、押し入れを解除します。後はひたすら走りましょう。解除のタイミングは、フォルクハルトが指示してください」
「分かりました」
フォルクハルトはその後、いくつか注意点を指折り挙げた。
振り返らずに、前だけ見て走る事。
本当に危ないと思ったら、オシイレを発動する事。一瞬ならば、皆何が起こったか分からない筈だと。
「背後から何が聞こえても、振り返ってはいけません。私達は大丈夫ですから」
「約束できませんから、絶対に無事に逃げ切りましょう」
何度か屈伸運動をして、腕捲りをする。
大きく深呼吸。
「参りましょう」




