【幕間】壁ドン~クレメンス視点
ライラティーヌ様の中に、もう一人分の記憶があると発覚してから数日が経った。
あの日お二人で何を話されていたのか、いくらお訊きしてもコンラーディン様は教えてはくださらなかった。
ただ満足げに微笑まれ「今後もライラティーヌを私の妹として扱うように」とだけ指示された。
その後も一度、トルティをご一緒されたが、実に和やかなものだった。
むしろ、お二人の間には信頼と呼べるような空気が出来ていた。あの日、いったい何があったのか。気にはなるが、コンラーディン様が秘すると決められたのだ。私はその決断に従うのみだ。
私とて、ライラティーヌ様を害ある者だとは思っていない。むしろ子供が苦手な私にとって、前のライラティーヌ様よりも、今の方が付き合いやすい。
だが、やはり気になる!
往生際悪く、アンヌが何が聞き及んでいないかと尋ねてみたが「それ、知る必要ありますか?」と首を捻られた。
「知っておかなければ、対応できないこともあるだろう」
「うーん。私は知っていても多分役立たずですからね。ライラティーヌ様もそんな機転を私に求めてないと思いますし」
そして、さらっと
「そんな細かいこと気にしていたら、ライラティーヌ様にお仕えできません。理解不能なことは気にしないのが、コツですよ」
と、先輩ヅラをされた。
アンヌと話していると、とても疲れる。
何の深みもないことを、恐ろしいほど胸を張って断言するので、一瞬納得しそうになってしまうのだ。そしてすぐに気づく。
―――いや、頭空っぽじゃねーか!
と。
先日のアンヌとのやり取りを思い返し、眩暈を覚えながらも廊下を歩く。
今日は珍しくライラティーヌ様から呼び出されているのだ。
ドアをノックして中に入ると、ライラティーヌ様がお一人で寛がれていた。
「時間をとらせてしまってごめんなさい」
「構いません、仕事ですから」
ライラティーヌ様は目元だけで微笑むと、席に着くように促してきた。
―――随分と、大人びた表情をなさるようになった。これももう一つの記憶の影響か。
席に着くと、ライラティーヌ様が手ずからお茶を淹れ始めた。
「代わります」
「実はこの茶葉、わたくしが作ったのです。お茶を淹れるところまで、自分でさせてください」
「また練習台ですか」
「味は保証します。フレッシュで爽やかな気分になれますよ。クレメンスに足りないものでしょう?」
嫌味に嫌味で返してくるところも、以前のライラティーヌ様にはなかった気質だ。
そんなつもりはないのだが、私はどうも口が下手らしい。気がつけば嫌味ととれる言葉を選択している。
特にライラティーヌ様には言葉がキツくなっていたとは思う。
そんな時、以前のライラティーヌ様は、悲しそうに微笑まれた後、ぬいぐるみを抱きしめておられた。
そう言えば、あのぬいぐるみは何処にいったのだろう。
「今日は、今のカロリングの情勢を教えて欲しくて呼んだのです」
「情勢とは次期領主争いのことですか」
「ええ。それに派閥のことも」
領主にならないと言い続けておられたのに、どういう風の吹き回しだろうか。
ご自分の置かれている立場を知ることは、側近としては歓迎すべきことではあるが。
「カロリングには二大派閥がございます。一つはアーレント家。ヘルマン様のお母上のご実家を中心としています。家長はオットマー・アーレント。財務の長を担っております。息子のダミアンをヘルマン様の側近につけております」
「財務か、なるほどね。もう一つは?」
何やら納得がいった風に頷いておられる。
長いまつ毛が、聡明そうな紫の瞳に陰を落とす。
「サイフォン家です。クラウディア様のご実家も、こちらの派閥に入ります」
「サイフォンの者は、わたくしとコンラーディン兄様、どちらが領主になっても良い、ということですか」
「そうなりますね」
私の本心は違うが、派閥の総意はそんなところだろう。
自分の派閥から領主が立てば、それで満足する筈だ。
「クレメンスはお兄様一択みたいですね」
「そんなことはありません」
「ふふ。いいのですよ。わたくしも同じ気持ちですから」
―――なんだこの、手のひらで転がされているような感覚は。
相手は八歳だぞ!
いや、違うのか、十九だと言っていたな。それでも年下ではないか!
「それで、サイフォン家の家長はどのような方ですか」
「マニュエル・サイフォン。法務と行政を担当しています。私の父です」
「両派閥とも、長男を領主一族の側近に当てがっているわけですね。ガチンコ勝負じゃないですか」
面倒臭そうに眉を顰めると、ライラティーヌ様は記憶を探すように斜め上を見上げた。
「マニュエルというと、たまにお食事の時、お父様の後ろに控えている方かしら」
「その通りです」
「あの方、いつも顔色が悪いのよね。きっと気苦労が多いんだわ。お可哀想に」
聖女のように、憂い顔で、さして話したこともない筈の父を本気で心配している。
「ご心配をいただきお礼を申し上げます。父も喜ぶでしょう」
「クレメンスに兄弟は? お父様の身体を気遣う方はちゃんといらっしゃるのかしら」
「姉がおりますが、既に嫁いでいます。母も早くに他界しております。父の事は家令が見ておりますので」
ふうん、とライラティーヌ様は何やら考え込みだした。
そこまで父のことを心配してくれるのは、有り難くはある。この辺りの、底抜けに優しい心根は、以前のライラティーヌ様そのものだ。
「良くわかったわ。本題に入りましょう。次期領主は今のところ、誰が優勢だと思われているのでしょう」
直球の質問に、私は少し考え込む。
「横並び、でしょうか」
「何故?」
「何故とは?」
誤魔化しは許さない、という目で見つめてくる。
「だって領主は魔力量で決まるのでしょう。それならわたくしで決まりじゃないですか」
「……貴方は病を抱えておられる。それに魔力量もはっきりしておりません。皆が様子見をしている段階です」
「それは、以前のわたくしの話ではないのかしら」
この方は、どこまで理解しているのか。
確かに、これは以前のライラティーヌ様の話だ。
今は少し状況が違う。
カロリングには第三の派閥と言われるものがある。
騎士団だ。
勿論、個々を見ればどこかの派閥に属しているのだろう。だが騎士は正貴族の割合が低く、職務の性質上、上官に対する信頼が厚い。時として領主よりも上官の命令を優先する。
その騎士団に、ライラティーヌ様は近づいた。
魔力が規格外であることを見せつけた。
加えて昨今の勉学の飛躍的な伸びも見過ごせない。教師陣に、最早教えるものはないとまで言わしめた。音楽と礼儀作法を除いては。
「ですが今の貴方は、領主にならないと明言されています。それがなければ、時風は貴方に向いたでしょう」
私の言葉を聞いた途端、ライラティーヌ様の口が弓なりに曲がった。まるで罠に嵌った獲物を見るように。
「わたくしは辞退しても、やっとお兄様たちと横並びってことね」
「それ程までに、今の貴方への期待値は上がっています」
ふーん、とつまらなさそうに椅子に背を預けると、妖艶、とも言える凄みのある微笑みで、ちょいちょいと手の平を振って、手招きをされた。
―――なんだ?
私は招かれるまま、ライラティーヌ様の傍らに立つ。
ライラティーヌ様は立ち上がり、さらに耳を寄せるように要求してくる。
身をかがめ、口元に耳を近づける。
一体なんの話だろう。防音の魔術具を使えば済むだろうに。
と思った瞬間、胸ぐらを掴まれた。
「なっ?!」
そのまま、壁にドンッと叩きつけらる。
「な、何を?!」
バランスを崩して尻餅をついた私の足の間に、ライラティーヌ様が身体を滑り込ませてきた。私は訳が分からないままに、胸ぐらを捻じ上げられ、壁に押し当てられた。
眩暈のする視界に、笑い凄むライラティーヌ様の顔が映った。
「何って、壁ドンですよ」
声から、身体から、怒りが立ち上がっている。
額と額が触れ合うほどの距離にある、ライラティーヌ様の燃えるような瞳に射竦められた。
何が起ったのかと目が回る。思わぬ迫力に息を呑む私の耳に、地を這うような声が届いた。
「貴方『ライラティーヌ』を利用しましたね」
「利用? 何のことです」
「お黙りなさい!」
ぴしゃり、と叱責が叩きつけらる。
「少なくとも五年は明言するな、と貴方はライラティーヌに言いました。五年とはコンラーディン兄様が貴族学院を卒業するまで、ということですね」
「!」
「あの頃は、コンラーディン兄様はリハビリをされていましたね。もしわたくしがあの時領主にならないと明言していれば、風はヘルマンに流れたのではないですか」
確かに口止めをした。
領主になんかなりたく無いと言い出したライラティーヌ様を、人前で口にするなと嗜めた。
コンラーディン様が、貴族学院で力をつける、と仰ったからだ。障害を上回るほどの利点を学院で作ってくる、と。
現に今、コンラーディン様が学院で築かれている人脈は、今までのカロリングにはなかった強みとなるだろう。
私は時間が稼ぎたかったのだ。
コンラーディン様が力を付けられるその時まで、他の二人に流れが傾くことを阻止したかった。
あの時の、涙を溜めた目でぬいぐるみに顔を埋める小さなお姿が瞼に蘇ってきた。
「貴方が止めなければ『ライラティーヌ』は死なずに済んだのではないのですか!」
そうだ。
領主争いから降りてしまえば、前のライラティーヌ様が命を狙われる理由はない。
「……ですからアンヌを側におきました」
「結果、死んだではありませんか! アンヌも処刑されるところだったのですよ!」
今、目の前で生きておられるではないか。
確かに一度心の臓は止まった。だが、ライラティーヌ様として戻ってきたではないか。
いや、違う。
ライラティーヌを利用した、と仰った。
私を、ではなく、ライラティーヌを、と。
―――記憶があるだけで、本当に別人なのか。ではあのライラティーヌ様は、もう何処にもいないのか。
やっと、事態を把握できた。
目の前のこの方は、ライラティーヌ様ではない。
本物は、私が死地に誘ったのだ。
自分の犯した罪が重い。
領主一族の命を奪ってしまった。
コンラーディン様にもあわせる顔がない。
「……職を辞します」
「馬鹿ですか貴方は」
胸ぐらから手を離し、パンパンと手を払う。
「死ぬ気で働きなさい。一生をかけてお兄様を全力で支えるのです。でもこれだけは約束して」
許すというのか、この私を。
自分の半身を死に追いやった私を。
「もう二度と人の命を捨て石に使わないで」
ライラティーヌ様は、何故か泣きそうな顔をしている。それなのに、こうも威厳に満ち、神々しい。
私は精霊に導かれるように、畏怖に押されるように、気がつけば額をライラティーヌ様の靴に押し付けていた。
「誓います」
「あわわっ」
気の抜けた、間抜けな声がしたと思ったら、足を引かれた。
「普通に誓ってくれればいいのですよ。あの……、そういうのは、やめてください」
真っ赤になって照れている。
先程の威厳は霧散して、いつもの騒がしいライラティーヌ様に戻ってしまった。
「早く立ってください! わたくし人を見下ろす景色は慣れてないのですよ」
―――本当に、同一人物なのか? 纏う雰囲気がまるで別人だ。
「言っておきますけど、貸し一つですからね! 返し終わった時に許してあげます!」
パタパタと、手で顔を煽ぐ横顔を見ながら、私は暫く呆然と座り続けることしかできなかった。




