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アンブロシア

「クレメンス、アンヌ。席を外してください」

「なっ」


 クレメンスがくわっと目を見開いた。


「今の貴方とコンラーディン様を二人きりに出来ません」

「今の、とはなんですか。わたくしは今でも貴方の主(あるじ)ですよ」


 いや、こんな得体の知れない奴と大切な主人を二人きりに出来ない気持ちもわかるけどね。


 正直アンヌは同席して構わないのだけど、折角クレメンスと二人きりになるチャンスなんだから、気を遣ってあげるのも主の役目だ。


「クレメンス、ライラティーヌは妹だ。たまには水入らずで話したい。


 コンラーディンに言われては、クレメンスも引くしかない。

 苦虫を噛み潰したような顔で出て行った。



――――――――――



 ライラティーヌはコンラーディンの手を取って小瓶を握らせた。

 中身はもちろん全回復ポーションだ。

 奥の手だけど、今が使う時だと決めた。


 いつ使うの? 今だよねー。


「何も聞かずに、これを飲んでくれませんか?」


 怪しいことこの上ないとは思うが、仕方がない。

 いくらなんでも流石に無理かなと見守る前で、コンラーディンは躊躇いもせずに小瓶を飲み干した。


「これでいいのかな」

「お兄様。いくらなんでも無防備すぎます。毒だったらどうするのですか」

「毒であればお茶に入れれば済む。私には見えないのだから」


―――その手があったかあああ!


「それで、この後はどうすればいいんだい」

「えっと」


 目を閉じたままのコンラーディンの傍に立ち、そっと手を取る。


「お兄様、立って下さい」

「え?」


 反射的に瞼を持ち上げたコンラーディンの瞳が、光を感じて困惑に揺れた。

 精霊に揶揄(から)かわれたような戸惑いの表情が、視界が焦点を結ぶにつれ、徐々に驚愕へと変わった。


「これは……」


 ゆっくりと手を引いて、椅子から引き離す。


 向かい合って両手を繋いだまま、呆然と立ち尽くし、辺りを見回しているコンラーディンに微笑みかける。


「見えますか?」


 問いかけると、視線があった。


「ライラティーヌかい?」

「はい。ライラティーヌです。コンラーディン兄様」


 震える指が、ライラティーヌの髪を梳き、頬に触れた。


 感極まったような声が漏れた。


「こんなに、大きくなったのだね」


 少しよろけたコンラーディンを慌てて抱き止める。


「座ってください。いきなり歩き回ると疲れちゃいます」

「いや、今はこの感覚を愉しみたい」

「無理はしないでくださいね。……ちゃんと効いて良かった」


 途端、いきなり抱きすくめられた。

 思いの他、力強い腕に驚く。


「コ、コンラーディン兄様?!」

「静かに。しばらくこのままでいさせておくれ」

「……はい」


―――いやいやいや、異性に抱き締められるなんて経験ないんだから。心臓が持ちませんて。


 とはいえ、二人の身長差は四十センチほどある。男女が抱き合っている姿とは、大きな開きがあるのだが。


 何度も何度も、大きな手に頭を撫でられる感触が心地よい。

 なんだが、この姿になってから、頭を撫でられる頻度が爆上がりだ。


―――ま、いっか。気持ちいいし。


「あれは、なんだったんだい」

「アンブロシアです。先日神々に拝謁したときに頂いたのです」


 アンブロシア。神の食物。

 奇跡的な薬だから、少しはカッコつけた名前が欲しい。全回復ポーションじゃ味気ないもんね。


「そんな貴重なものを」


 いくらでも作れることは内緒だ。


 ライラティーヌは少し身体を離し、見上げて微笑んだ。


「これでカロリングは、お兄様にお任せしても大丈夫ですね?」


 コンラーディンは面食らったように瞬いた。


「どう考えても、ライラティーヌが治めるべきだよ。神に愛されている」


 ライラティーヌは手のひらを突き出して、憎々しい黒の指輪を見せつけた。

 広げた指の隙間から、コンラーディンを静かに見据えた。


「沙夜は碁打ちでした。碁打ちとは囲碁というゲルドゥヴォルに似た競技に人生を捧げた者のことです。わたくしは、どうしてもゲルドゥヴォルが打ちたい」


 駄々っ子のようで申し訳ないが。


「ライラティーヌの心残りであるカロリングは、お兄様にお任せすれば解決します。後は沙夜の心残りを解決したいのです」

「であれば、尚のこと領主にならなければ」

「それ何年後ですか」


 鼻の付け根に皺を寄せる。


「そんなに待てません。人は簡単に死んでしまうとわたくし身に染みているのです。この指輪の効果が及ばない場所へ、行きたいと思います」

「領地を出る気かい?」

「はい。近年中には」


 コンラーディンはもう一度、ライラティーヌを抱きしめた。


「行かせたくないな」

「……そのような甘い言葉、妹であってもトキメキます」

「男として意識してくれるのかい? 光栄だな」

「もう、お兄様ったら」


 身体を引き離すと、思いがけない強さを湛えた笑顔があった。

 コンラーディンの瞳は、こんなにも深い緑色だったのか。


 その深い緑の瞳が、静かに約束してくれた。


「任されたよ」


 これで歴史は変わった筈だ。

 コンラーディンに任せておけばカロリングは大丈夫だろう。


 後顧の憂いがなくなった。

誤字脱字報告、ありがとうございます。

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