クラウディアとの刺繍教室
翌日クラウディアの部屋へ行くと、針や指抜きに枠などの刺繍セットが一揃え用意されていた。この世界には教本のようなものはなく、親から子へと受け継がれていくものだという。
「今日は基本のステッチの練習をしましょうね」
娘に自分の高めてきた技術を教えるのだと張り切っているクラウディアを見ていると、少し心苦しくなってしまう。
「お母様、わたくし絵画のような壮大なものが作りたいわけではないのですよ」
申し訳ない気持ちで伝えると、クラウディアはにこやかに微笑んだ。
「術式を刺したいのでしょう。聞いていますよ。贈りたい方でもいるのですか?」
贈りたい相手といえば、フォルクハルトとアンヌだが、まずは自分の分が欲しい。
「フォルクハルトですか?」
「え、ええ。そうですね。とてもお世話になっているので」
まさかクラウディアからフォルクハルトの名前が出てくるとは思っていなかったので、ドキッとした。考えてみれば護衛騎士となることが内定しているのだから、当然と言えば当然なのだが。
「普通はこのようなものは、家族以外には贈らないのですよ。よからぬ誤解を招きかねませんからね。ハンカチくらいにしておきなさい」
「騎士がハンカチなんて使うのでしょうか」
「騎士を何だと思っているのですか」
クラウディアは呆れ顔だ。でも思いっきり驚かせる計画だから、ハンカチじゃ役者不足だ。
ライラティーヌの不満顔を見て、クラウディアは困ったわ、というポーズになった。
「それに下賜するなら、フェーベやハムドルトの分も作らなくてはいけませんよ。誤解を避けることも出来ますし、何より護衛騎士の中で寵が偏るのは良くありません。いくら何でも三人分刺繍するのは無理じゃなくて?」
「でもフォルクハルトが帰ってきた時にびっくりさせたいのです」
それに自分の分が欲しい。
クラウディアは、あらあら、と口元を隠してコロコロ笑った。どうも誤解されている気がする。
「……お母様、わたくし八歳ですのよ。家族や友人に向ける情愛と同類の感情しかまだ持ち合わせておりませんわ」
「はいはい。分かりましたよ」
絶対にわかってない気がする。こんな事でフォルクハルトのお嫁さん探しに支障が出ては申し訳ないにも程がある。
「レームクール家でしたら家柄も問題ありませんし、ライラティーヌが望むなら……」
「このお話が続くのならば、わたくしもう部屋に戻りますわ」
ぷうっと頬を膨らませて、そっぽを向くと、クラウディアが残念そうに、分かりましたよ、と苦笑いした。
「まずは小さな物から始めましょう。術式は、そうね。まずは自分の分を作って練習なさい。他人に贈るほどのものは、まだライラティーヌには無理ですよ」
「分かりました!」
クラウディアが折れてくれた。
というより、実際に刺繍をしてみて、現実を知れば諦めるだろうと思っているフシがある。
「それで? どのような術式にするかは決めているのですか?」
「今度ヴォルデマールさんから戴く予定です。素材の強化だけじゃなくて、着ているだけで暖かくなったり、涼しく感じたりする優れものなのですよ」
椅子に座って、届かない足をパタパタさせながら説明する。
「北の方の技術なのですって。寒さを凌ぐために作られた技術だけど、暑さ対策にも活用できるようです」
「そんな術式があるのですね。初耳ですわ。わたくしも刺そうかしら」
「そうしましょうよ。夏のドレスはとても蒸れるでしょう。騎士だけじゃなく、貴族はみんな欲しがるものだと思うのです。とくに女性は汗や匂いを気にしますから」
クラウディアは瞳に理知的な光を宿らせて、少し考え込んでから
「上手に出来たら、広めてみようかしら」と呟いた。
「広めるのですか?」
「ええ。ツァージェもご存知ない技術だと思うのよ。下着だから、おいそれと人に贈れるものではないけれど、うまく演出出来れば流行を作れるかもしれないわ」
―――流行か。流行を作って経済を回すのは貴族の大事なお仕事だね。うん。
「下着は話題としてタブーになりやすいから、この技術が広まっていないのかもしれませんね。話の持って行き方に工夫が必要ですね」
「ええ。一芝居打つつもりで参りましょう」
―――お母様。笑顔が黒いです。流石コンラーディン兄様の母上です。
「発案者はお母様と言うことにして下さいね。わたくしこんな事で目立ちたくありませんから」
「あら、ライラティーヌの能力を世間に示す機会ですよ」
「下手な名声は、今後領主となるお兄様の邪魔になるかもしれないでしょう。なんならコンラーディン兄様の発案にしておいてくださいな」
「……領主になっても、フォルクハルトと結婚できますよ?」
「だから! 全然、違います!」
クラウディアは賢いけれど、どうも頭に花が咲いているタイプっぽい。
「でもまあ、作ってみて品質を確かめてからの話ですね。もし本当に広めるとなれば、ヴォルデマール殿の許可も必要ですしね」
乗り気になったクラウディアが、ベースとなる下着を買い付けるために、後日仕立て屋を呼んでくれることになった。
クラウディアのものはオーダーメイドだが、育ち盛りのライラティーヌや、正確なサイズの分からない護衛騎士の分は既製品を買うことにする。
魔撚糸に使う繭も合わせて購入できるのだそうだ。
実際に術式を刺繍するまでには、まだまだかなりの時間が必要ということが分かった。
「糸が出来上がるまでに、出来るだけライラティーヌの刺繍の腕をあげましょうね」
「何だか気が遠くなってきました」
「フォルクハルトが戻るまでに仕上げることが、どれ程無謀なことか分かったかしら」
「はい。根をつめても仕方ないと分かりました。のんびり頑張ることにします」
「そうなさい。でも暑くなる前には完成させたいですね」
そこから始まった刺繍教室は、とにかく肩と目を酷使するものだった。直線を描くだけでも、数種類のステッチを使い分ける必要があるらしく、ひたすらチクチクと刺繍糸と向き合ううちに時間が過ぎた。
―――――――――――
「お疲れですね」
夕食後、部屋でぐったりしていると、アンヌが労いの暖かいフレモンティーを淹れてくれた。
「同じ姿勢でい続けることが、こんなに疲れるとは思いませんでした」
前世では囲碁の対局中もずっと座ったままだったが、ここまでの疲労は蓄積されなかった。
首をコキコキ回すと、鈍い痛みが走って痛気持ちいい。なんとも情けない八歳の姿だ。出来ることなら湯船に浸かって、固まった筋肉を解したい。この世界に入浴の習慣がないことを、恨めしく思った。
「根本的に刺繍という作業が不向きなようです。お母様の根気強さは尊敬します」
部屋に飾られた、見事なタペストリーを眺めてため息をつく。命の神が光の女神を守るように杖を掲げている宗教画だ。よくもまあ、こんな壮大なものを刺繍でやろうと思ったものだと感心しかない。自分には絶対無理だ。
「マッサージしましょうか?」
「魅力的な提案だけど……、今夜はやめておきます。ヴォルデマールさんからの宿題が全然終わっていないのです。本を持ってきてくれますか」
「そうですか。……随分と忙しくなりましたね」
「大人しくしておく二ヶ月だった筈なのにね」
言われてみれば、今までよりもずっと忙しい。
これまでは自分のペースでスケジュールを決めていたが、ヴォルデマールとクラウディアという第三者が関わっている為、そっちを優先して動かなければならない。その上、ヴォルデマールは鬼教師だ。
「一人は気楽だったけど、身になったことは少ないわ。知識を持った大人が関わってくれるのだから、相手に合わせるのは当然だし。一人でやるより数倍早くカタチになるのだから、喜ばしいことだと思わなくてはね」
「それはそうですが……」
アンヌは不満顔だ。
「明日は素材調査に行かれるんですよね」
「そのつもりだったけど……、宿題が終わりそうにないからやめておこうかしら。フェーベ達とはきちんとお約束しているわけでもないし」
「そうですね、それが良いです!」
アンヌが食い気味に賛同した。うんうん、と何度も頷いている。
「わたくしが森に行くと、何かマズイのですか?」
「いいえ? なんでですか?」
「自覚なしですか。とっても嬉しそうにしていますよ」
「そんなことありません。いつもと同じです」
真顔だが、明らかに嬉しそうだ。涙袋がぷくっと上がっているのがその証拠だ。
―――なんでかな? 森に行くのがまずいんじゃなくて、疲れを溜めないように心配してるのかな。
アンヌの上機嫌な訳を考える。
昨日今日と午後は用事を入れていたので、あまりアンヌと顔を合わせていない。というか、しばらくは予定が詰まっているので、じっくり話を聞く時間も持てそうにない。不満をため込んでいるのなら、早めに対応しておいてあげたい。
―――トルティもヴォルデマールさんのところでとってるしなぁ。考えたらアンヌとしばらくゆっくりできないな。……ん?
「ねえアンヌ。メイドって主がいないときは何をしているのですか?」
「午前中は洗濯や掃除、お部屋のお茶やお菓子の手配なんかをしますね」
「午後は?」
アンヌは少し口をへの字にした。どうやらあまり言いたくないようだ。
「主のお世話や言いつけがないときは、……メイド同士でお喋りしてます」
「お喋りですか?」
「情報収集も大事な仕事らしいです」
毛虫を見るような顔をしている。女同士のお喋りなんて、愛想の無いアンヌには地獄の時間だろうな、と想像がついた。絶対に参加してないに決まっている。
「アンヌ、もしかして暇ですか?」
ビシッと音がするくらいの勢いで、アンヌが固まった。
「わたくしが午後部屋で過ごさないせいで、時間を持て余してますか?」
「……」
「……」
アンヌはしばらく押し黙ったあと、眉根を寄せた。
「私、暇なんですか?」
「聞かれても困りますよ!」
「たぶん暇です」
―――恥じらえない不器用さ! かわいい!
笑い出しそうになるのを必死で堪える。
「ではメイドの仕事とは外れるけれど、空いた時間に写本しますか? ヴォルデマールさんからお借りした本を写したいなと思っていたのです。時間がなくて諦めていましたが、アンヌがしてくれると嬉しいわ」
「やっぱり暇じゃないです」
「おいこら」
―――暇は嫌だけど、写本はしたくないなんて、この困ったさんめ!
「まあ……、アンヌの業務外ですから無理は言いません。でも困ったわね。しばらくは午後を部屋で過ごすことはなさそうなのよね」
ヴォルデマールの屋敷にはアンヌは連れて行けない。刺繍はアンヌが最も苦手な分野だろうからクラウディアの部屋も無理だ。何とか出来そうなのは森への素材調査くらいだ。
「森、一緒に行きますか? 騎士の方々と触れ合うのはアンヌも嫌いじゃないでしょう」
「行きます!」
アンヌが食い気味に、ビシッと挙手をして賛同した。
本当に暇で仕方がなかったようだ。気付かなくて申し訳なかったなと思うと同時に、アンヌの機嫌が良くなってほっとした。
「では次に森に行くときは、一緒に行きましょう。アンヌの分のトルティも用意してくださいね」
「明日ではないのですか?」
「明日は宿題をするとさっき決めませんでしたっけ?」
「まだ決めていませんよ」
―――いや、さっきめっちゃ賛同してたじゃん!
確かに明日を逃すとまた三日、間があく。アンヌも限界みたいだし、何より珍しいアンヌからのおねだりなので、叶えてあげたい。
―――宿題は、夜頑張ればいいか。
「宿題があるので、早めに切り上げますが、明日は当初の予定通り森への行きましょう」
今日と明日は睡眠時間をかなり削らなきゃいけないが、アンヌの嬉しそうな顔が見れたから良しとすることにした。




