怒髪、天をつく
アンヌは血だまりの中に倒れ伏していた。腹部を中心に朱に染まり、愛らしいピンクの髪も埃と血糊に濡れている。
瞬間、床を蹴り、拳に魔力を集める。
飛びかかろうとする腕が、強く後ろに引かれた。
「離しなさい! フォルクハルト!」
「落ち着いてください、アンヌは既に癒しを受けています」
アンヌの腹部の出血は、床に広がる量を見ても肉を抉るほどのものだと分かる。だが破れた服の下から覗く肌には、浅い傷しか見当たらなかった。
フェーベも拘束を解かれ、激しく咳き込みながらも自分の足で立っていた。フェーベを拘束していたのは騎士だ。その騎士はライラティーヌを見つけ、安堵の表情をしている。
大きく息を吸う。
目を閉じて荒れ狂う感情を抑える。
訪れた闇は、逆巻く怒りのままに、ぐるぐると回転しているように思えた。
騎士がアンヌを傷付けた。まだ十四の少女に、騎士の力で、だ。
落ち着け。落ち着け。落ち着け。
騎士は任務を遂行しただけだ。だが騎士であれば、傷一つ付けずにアンヌを無力化できたんじゃないのか。
何度も深呼吸をし、瞬間現れた凪を捕まえ握り込む。
「……何が起こったのか説明して下さい」
ライラティーヌの固い声に、フェーベを手にかけていた長髪の美丈夫が居住まいを正した。
名はタンストン。隊長だと名乗った。
「店の様子に不信を感じ店内に入ると、メイドの姿しかなく、ライラティーヌ様の所在を尋ねても、実に怪しげな答えしか返ってきませんでした」
タンストンは警戒を解かぬまま、説明を続ける。剣はまだ鞘に収まっていない。剣先はヴォルデマールの方を向いていた。
「奥へ続く扉に近づこうとすれば、身体を張って止めてくる始末。メイドの奇行に加え、ドアの外でこれ程の騒ぎが起こっているのにも関わらず何の反応もない事から、非常事態と判断致しました」
ジオルレイドに入っていたのだ。聞こえるはずもない。
「ドアを破ろうと魔術を放ったところ、メイドが立ち塞がり、魔術を受けて傷を負いました。メイドを尋問しようとしたのをフェーベが止めに入り、やむ無くこれを制圧致しました」
フェーベは「このメイドがライラティーヌ様の為にならぬことをするはずが無い」と身を呈してアンヌを庇ったのだという。
どれほどの修羅場だったのかが分かる。
分かるのだが、理性と感情は時として逆を向く。
ーーーアンヌはジオルレイドのことを喋らなかったんだ。だからこんな目に……。
ライラティーヌは握り込んだ凪を、逃がさないように抱え込み、大きく深呼吸を繰り返した。
こちらも説明をしなければと思うのだが、口を開けば抑えている感情が爆発しそうだ。
よくもアンヌを、と叫びそうになる。
「その娘が勝手に店の魔術具に魔力を流し、魔力が登録されてしまったのだ。その為、奥で登録を外す作業をしていただけのことだ」
代わりにヴォルデマールが言い訳を作ってくれた。
「何故態々奥へ?」
「外す設備は奥にあるからに決まっておろう。研究室になっている為、魔術で封じてある。こちらの騒ぎが届かなかったのはその為だ」
タンストンの相手をヴォルデマールに任せ、ライラティーヌは、ゆっくりと倒れ伏すアンヌに近づき、側に座り込んだ。
「う……ライラティーヌ様? 戻られたのですね。……良かった」
アンヌの額が赤く腫れている。腹部の傷は治っていても、顔や腕などにいくつもの痣が刻まれていた。
複数の傷は、受けた攻撃が魔術の一回だけじゃないという事を示していた。ここまでやる必要があったのか。
怒りで髪が逆立ちそうだ。
アンヌも、自分さえいなければこんな目にはあわずに済んだはずだ。そう考えて、思い直す。
ーーー違うか。私がいなければアンヌはもう処刑されてるんだ。
「喋らないで。これを飲んで」
「これは?」
「回復薬です」
「……また貴方は、いったい誰から……」
ボロボロのまま睨みあげてくるアンヌを遮る。
「お小言は後で聞きますから、今は飲んでください。お願い」
「分かりましたよ」
躊躇いなくぐびっといったアンヌがキョトンとして、「……治りました」と完治を宣言した。
「良かったです」
ライラティーヌはアンヌの手から空瓶を受け取ると、深々と頭を下げた。
「私の考えなしな行動で、アンヌを大変な目に合わせてしまいました。本当にごめんなさい」
アンヌの傍に座ったままだった為、土下座のようなポーズになった。
「ライラティーヌ様!? おやめください。メイドに頭を下げるなど!」
タンストンが驚きの声で静止した。
その言葉が、またライラティーヌの心を泡立たせる。高ぶる感情を堰き止めていた防波堤が、ビシッとひび割れた。
「……褒賞や便宜を図る事で謝意を表せるお父様ならまだしも、わたくしは何の力も持たない小娘ですよ。そんなわたくしが謝意を伝えようとした時、頭を垂れる他ないではありませんか」
「ですから、メイドに謝意を示す必要がないと言っているのです」
「わたくしの行動は人として間違っていますか?」
「しかし」
「お黙りなさい!」
決壊した。
ライラティーヌはゆっくりと立ち上がった。振り向き、真正面からタンストンを見据える。
「それが貴方達が望む領主の姿なのですか」
地を這うような声に、タンストンが息を呑んだ。
何も騎士たちに、アンヌへの謝罪を求めたわけじゃない。そんなことは自分の我儘だと分かっている。だが自然と下がる頭を止める権利はないはずだ。
「そもそも貴方が今すべきことは、貴方がたの業務を乱したわたくしを叱ることではないのですか」
「……それは」
「それを、自らの過ちに頭を下げるわたくしを諌めるなど笑止千万!」
「!」
「そのような教えを受けて育った子供がどんな人間になると思いますか。目下の者には何をしても許されると信じてやまない人間が領主になれば、カロリングの民はどうなりますか」
言葉を叩きつける。
「今後カロリングに暗愚な暴君が誕生したならば、その責任の一端は自分達にあると心得なさい!」
指差す先で、タンストンが身震いした。
ライラティーヌの頭に浮かんでいたのはヘルマンの姿だった。ヘルマンだって生まれながらに悪人ではなかった筈だ。曲がった教育を受け、情を持たない怪物へと成長しただけなのではないか。
ライラティーヌは一旦言葉を切り、押し黙る店内の騎士の顔を順に見つめた。
「……本当ならば貴方がたにも頭を下げるつもりでした。任務とはいえ弱者を手にかけるなど、どれほど辛かっただろう。心に不要な重荷を負わせてしまったと心苦しく思っていましたが……どうやら無用の心配だったようですね」
弱者に対し力を振るうことに何の躊躇いも持てない騎士など、危険な兵器でしかない。これが貴族というのならば、貴族なんて糞くらえだ。ライラティーヌは数歩、足を進め、首に痣を作るフェーベの前で止まった。腰を下り、深く頭を下げる。
「アンヌを守ってくれてありがとう存じます。仲間に楯突くなど、どれ程の勇気が必要だったでしょう。そして、そんな傷を負わせてしまって本当に申し訳ないです。ごめんなさい」
「あー……、いやぁ」
静まり返った店内で、そっと回復薬を差し出した。もし止められたら今度こそ殴ってやると思いながら。
フェーベは面食らったように、恐縮したように、チビチビと回復薬を飲み干した。そして周囲を見渡し、ポリポリと頬をかく。
「あー、ライラティーヌ様」
「はい」
フェーベが言いにくそうに、肩をすくめた。
「謝るところがズレてます。私は騎士ですから傷なんて平気です。アンヌもきっと同じですよ。……まずは城を抜け出すという勝手な振る舞いをしたところから、謝りましょう」
「あ!」
「さらに勝手に魔術具に魔力を流すなんて危険行為に及んだ暴挙も、謝りましょう」
「……」
いきなり我に返って、脂汗がダラダラ流れ落ちてきた。
そうだ。そもそも勝手な事をしてごめんなさいと、全員に土下座しなくちゃいけない立場なのだ。
それを、ぜーんぶまるっと棚に打ち上げて、重箱の隅を突く様な文句を垂れ流してしまった。
途中から自分に対する怒りが、他人に向いていた。逆ギレからの論点すり替えという、意味不明なコンボを炸裂させてしまった。
―――穴があったら入りたいっ! 汗が止まらない! 自分の汗で溺死できそう!
「……」
そろーり、とビクビクしながら肩越しにタンストンを見上げる。
無表情だ。
―――やめて! 無表情はやめてー! どんな感情?!
「……タンストン」
「はい」
「……あの」
「はい」
ダメだ。無表情が怖すぎる。長髪美形の無表情。地獄だ。
「……八つ当たりでした。すみません」
「はい」
「あの……叱って下さいとは言いましたが、あの、その…………お手柔らかに頼みますぅ」
タンストンはそこで瞼を下ろし、長く息を吐いだ。片膝をつき、目線をライラティーヌに合わせる。
フェーベの影に隠れたい気持ちを抑えて、視線を受け止める。右手は往生際悪く、フェーベの裾を握りしめてはいたが。
「魔術具とは、攻撃に使われる物も多くあります。お怪我なく済んだのは運が良かったからです」
「……はい」
「一般人が絡んだ以上、今回の件は内々には済みません」
「……はい」
「望む望まないに関わらず、貴方の言動は人の人生を左右する力があるのだと自覚なさって下さい」
「はい。ごめんなさい」
「……」
タンストンが黙った。もうお小言は終わったのかな、と勇気を出してちらーっと見上げると、感情の読めない瞳とぶつかった。
「……謝る術を持たないからこそ、過ちを犯さないよう自分を律する。それが貴族です」
ぽろん、と目から鱗が落ちた。
ごめーん、また政策失敗しちゃった。許してね! なんて領主、考えただけで頭が痛い。
『簡単に頭を下げるな』という教えは、こういう意味だったのかと、すとんと胃に落ちてきた。
「……頭を下げれば許されるという考えこそ甘え、という事ですね」
「そんな領主もまた、民にとっては悲劇でしょう」
「とんだ考え違いをしていました。お恥ずかしい限りです」
「いえ……貴方の言葉で私もその基本を思い出すことができました」
「え?」
そこでふっと、美形が微笑んだ。
「ご無事で何よりでした」
「はい。ご迷惑をおかけしました」
タンストンとの話がひと段落したので振り向くと、フォルクハルトとヴォルデマールが、頭を抱える様な、笑いを堪える様な、なんとも言えないムカつく表情をしていた。
「メイド」
タンストンがアンヌに呼びかけた。
「もう大事ないか」
「服以外は」
「よろしい、では」
いや、よろしくはないだろう、と思うライラティーヌの目の前で、タンストンがヴォルデマールに剣先を向けた。
「申し訳ないが、其方は拘束させてもらう」
「!? 何故ですか! 先程の説明を聞いていたでしょう」
「ですかそれでは説明がつかない事があります」
ヴォルデマールに駆け寄ろうとするライラティーヌの腕を、フェーベが掴んだ。フェーベも剣を抜いていた。いつの間にかカウンターを挟んでヴォルデマールとフォルクハルト、それに対峙する騎士達という構図になっている。
「衣類に乱れがございます。登録を外すだけでそうはならない」
「これはっ」
―――暑かったからです。春でしたから!
「いっかいの魔術具屋に、これほどの魔術が施されているのも不自然です。何度か魔術を打ち込みましたが、ドアは傷一つつきませんでした」
「それは、研究室だからでしょう!」
ヴォルデマールが黙っているので、ライラティーヌが必死に言い訳する。
「だから申し上げたのです。貴方は人の人生を左右できる存在なのだと。ヴォルデマールの拘束は確定事項です。反省は馬車の中でなさってください」
「そんな! 当のわたくしが、何もなかったと言っているのですよ」
「貴方はまだ幼い。知らず悪事の片棒を肩がされる事だってあり得るのです」
「フォ、フォルクハルトも一緒でした」
「今は、フォルクハルトも嫌疑を受ける側です」
「そんな!」
なんとかタンストンの前に立ちはだかろうともがくが、掴むフェーベの手はびくともしない。
「ライラティーヌ様に一番近いフォルクハルトであれば、貴女をここに誘導することも可能です」
「穿ち過ぎです! フォルクハルトはそんな複雑な男じゃありません!」
血の気の引いたフォルクハルトに、タンストンが鋭い眼光を向けた。
「何故すぐに、我らを呼ばなかった」
「……」
フォルクハルトは答えない。説明する為にはジオルレイドに触れなければならなくなるからだ。
とんでもないことになった、と焦る。いきなり二人の人間の人生がかかってきた。自分がしたことはそんなに悪いことだったのだろうか。分からない。今までの森に行く感覚と大差はなかったのに。何故ここまで穿った考え方をするのか。
―――城外だからだ。
城の中にいる人たちは皆、いわば面接を通った社員で、身元も把握している。つまり身内だ。だが城外の者に対しては、基本姿勢が違う。疑うトコロからのスタートなのだ。森へのお散歩と違い、フォルクハルトの他に三人の騎士が尾行してきたのはその為だ。
さらに同じ貴族街でも、城に近いエリアと違って、ここは亜貴族が多く住む裏路地だ。当然周りの目も厳しくなる。
―――考えが甘かった。ジオルレイドのことが更に二人の立場を悪くしてる。
何とか上手い言い訳をと焦っていると、ヴォルデマールがよく通る声で言い放った。
「パーリィだ」
「!!」
「領主の裁定を求める。申し開きは領主に直接行う」




