世界と比して重いもの
フォルクハルトはコートを脱ぐと芝生に広げた。
「寝転がるならこちらでどうぞ」
「……女たらしが顔を出しました」
「……ですから、そんな状況じゃないですって。いいですか」
フォルクハルトは状況を説明し始めた。
「騎士なのですから、別に一緒に入ってくれば良かったのではないですか?」
「失われた魔術と言ったであろう」
ヴォルデマールが術式を調べながら、横顔で口を挟んできた。
「ジオルレイドを皮切りに、転移門、輸送箱と重要な魔術具が次々と機能を失っている。この異常事態に国家は危機感を抱いている。世界が亡ぶ前触れではないかと騒ぐ者もいる。多くの学者が何年も原因の究明に心血を注いでいるが何の糸口も見つかっていないのだ。そんな中、其方がジオルレイドを機能させた。この意味が分かるか」
「え? 分かりません」
魔術具が機能しなくなっていると言われてもピンとこない。クーシュリングなどの魔術は問題なく稼働しているから、使えなくなったのは特定の魔術具だけなんだろう。
転移門は初耳だけど、移動手段だと思う。ジオルレイドも瞬間移動もアイテムボックスも、どれも前世には無かったけど、ちゃんと生活できてた。
「ようは別荘と荷物運びと移動手段ですよね。どれも魔術具に頼らなくても別の方法があるじゃないですか。大騒ぎする程のことですか?」
思った事をそのまま口にしたら、ヴォルデマールがフリーズした。信じられない、という顔をしている。何がそんなに驚愕を誘ったのか、全然分からない。
「其方は当たり前にあった物がなくなっていくことに、疑問を感じないのか? 多くの者は恐怖を覚える」
そんな事を言われても、ライラティーヌにとっては魔術があること自体が珍しいのだから仕方がない。
「喪失を惜しめるほどに、わたくし魔術具に親しめていませんもの。使えなくなっているのは贅沢品ばかりじゃないですか」
もちろん、使えるものなら使ってみたかった。特にアイテムボックスは今後のライラティーヌの旅や素材集めにとって重要なアイテムではあったけれど。
―――あれ? もしかしたら私は使えるのかな? ジオルレイドも起動できたし。じゃあ本当になんの問題もないな。
ヴォルデマールは何度か瞬いた後、考えを追い払うように首を振った。
「……言い方を変えよう。喪失を惜しむ贅沢者とはつまり上級貴族だ。その際たるものが王族だな。……さて、一つ質問だ。其方が先程私に見せた空間創出の術式。なんでも入るポケットと言ったか? 其方はあれが売ってあったらどうする。しかも驚くほどの安値だ」
道端で、ふらっと立ち寄った店に素っ気なく売ってある様子を想像してみる。
「買いますね」
「そうだ。今、其方は店に並べられている商品だと言うとこだ。しかも『ジオルレイド起動可能! 大特価!』と札まで貼られている。王族は躊躇わず買うぞ。領主の娘など、奴らにとっては安い買い物だ」
「わたくし身売りした覚えないんですけど?!」
「売ってないものでも買い取れる。それが王族だ」
なんてことだ!
「人身売買だ! 違法ですよ! 外道ですよ!」
「やっと立場を理解したか、愚か者め。しかもこの先全ての魔術具が使えなくなる可能性すらあるのだ。これは贅沢だどうのという問題ではないのだ」
「全ての魔術具が? 大変じゃないですか」
「あくまで可能性の話だ」
こちらに来てまだ一月ほどだが、どれほど人々の生活に魔術具が浸透しているかは分かっているつもりだ。掃除に料理、生活の基盤に魔術具は入り込んでいる。もし魔術具が全て使えなくなれば、暮らしは崩壊するだろう。
もっと大変なこともある。
貴族が納めている土地を支える魔力。その魔力を大地に行き渡らせるのにも、確か魔術具が使われていたはずだ。土地が魔力を失えば、それは即ち実りが減るということだ。
―――本に書いてあった。不作が長引き、最後に災害に襲われたって。あれって魔術具が機能しなくなったせい?
さあ、と血の気が引いた。
先ほどの少女の言葉が蘇ってくる。
―――え? この世界、滅ぶの?
「王族に買取られたら、どんな生活が待っていると思いますか?」
「そうだな……」
ヴォルデマールは調べる手を止めて、斜め上に視線を上げた。
「魔術具の起動は当然として、まずは子が欲しいな。あとは血と魔力を絞れるだけ絞りとる。それから……」
「ちょ、ちょっと、子供ってわたくしまだ八つなのですか!」
「数年は待つしかないが、産めるだけ産ませるであろう」
「鬼畜! 奴隷と同じじゃないですか!」
ちょっと、とんでもないぞ。
「まあ、このことが世に広まれば、平穏な人生は歩めぬであろう。だからこそ、フォルクハルトは外にいる仲間を呼ばなかったのだ」
フォルクハルトが気まずそうに視線を反らした。
「そして今、フォルクハルトは私を斬るかどうかを迷っている。其方と世界を天秤にかけている。そのような臣下を持ったことを誇りに思え」
―――世界と私を? ちょっと待って。考えが追い付かない。
誰がどう考えても、魔術文明崩壊を救う鍵があれば使うだろう。その鍵にも人格もあり、夢もあるのだが、それを考慮して手を出さない人なんていないに決まっている。なのに。
「フォルクハルト、そうなのですか?」
「……世界など、そこまでは考えていませんでした。ただ、誰かに知られてはいけないという事だけです。ヴォルデマールを斬る選択肢も今はありません。おそらく彼は自分が研究し尽くすまでは口外することはないでしょう」
フォルクハルトの挑むような視線を受けて、ヴォルデマールがくすりと笑った。
「其方はいい男過ぎて鼻につくな」
今はない、と言った。今後は分からない。若しくは一度は考えたと言うことだ。
―――優しいフォルクハルトが、何の罪もない人間を斬ろうと考えるなんて。それも私のために。
「ちょっと待ってください。フォルクハルト、世界より私を選ぶということは、王族を敵に回すということになるんじゃないですか?」
「ですから、そこまで考えていませんでした」
フォルクハルトが憮然と答えた。
「今はどうですか? もう考えましたか?」
「……そうですね。ヴォルデマールの話を聞いて、尚更隠さなければと思いましたね」
「……世界ですよ?」
「うーん」
フォルクハルトが頭をかいた。
「ライラティーヌ様が失われた魔術を扱えるとしても、それが世界を救うことに繋がるのでしょうか。長年、欠片も理由を掴めていないような学者たちに貴方を渡しても、何も変わらないんじゃないですか?」
フォルクハルトに視線を向けられ、ヴォルデマールが苦笑した。
「ふ、言ってくれるな」
「ライラティーヌ様が神々に愛されていることは間違いないと思います。貴方が世界を救う存在であれば、きっと神々が道をお示しになるのではないでしょうか。それまでは、ご自身の心の赴くままに生きていただきたいと思っています」
フォルクハルトが曇りのない瞳で微笑んだ。包んでくれるような優しさに、一抹の恐怖を覚える。
本の中で、ライラティーヌを護って命を落としたフォルクハルト。
今までは、ライラティーヌが本通りの選択をしなければ、フォルクハルトが死ぬ運命は回避できると思っていた。
だかもしかしたらフォルクハルトは、ライラティーヌがどのように立ち回ろうとも、たとえヘルマンと対立しなくても、結局ライラティーヌの為に命を投げ捨てる運命なのではないか。ふとそんな恐ろしい考えが頭をよぎった。
―――私、フォルクハルトの側にいちゃ駄目なんじゃない?
「さて終わったぞ。戻るとしよう」
ヴォルデマールの調べが終わった。
黄色い魔石に触れてから転移石に魔力を注ぐことで、簡単に外に出られた。
出た場所は、先程の店内とは違い研究室のような場所だった。天井まで届く本棚が壁一面に並び、科学実験に使いそうな器具や、製図版のようなものまである。
「フォルクハルト」
ヴォルデマールが着込んだ上着の袖を整えながら言った。
「確かに私は問答無用で王に知らせるような真似はせん。だが、研究の結果その娘が世界にとって不可欠な存在と判明すれば、突き出すことに何の躊躇もないぞ」
フォルクハルトはヴォルデマールの言葉を拒否するように黙っている。
「世界に比して重いものなど、この世にはないのだ」
ヴォルデマールは、言うべきことは語り尽くしたという顔で、ドアを開けた。
―――研究材料になって生きながらえるなんて、絶対に嫌だ。
もし、この一件が明るみになるようなことになれぼ、すぐにカロリングを出ようと決めた。それはきっと、フォルクハルトの為にもなる。
沈む気持ちで店内に戻ったライラティーヌが見たものは。
血に塗れて倒れ伏すアンヌと、首を掴まれて宙に釣り上げられて苦悶する、フェーベの姿だった。




