消えたライラティーヌ様~アンヌ目線
何が起こったのか分かりません。
ライラティーヌ様の我儘に付き合って、クレメンス様から教えてもらった魔術具屋に来たまでは予定通りだったのに。
ライラティーヌ様はいきなり自分で引いた術式を出してあれこれとヴォルデマールと話し込みだしました。
お屋敷にある術式を書き写しているだけかと思っていたら、まさかご自分で新しい術式を引いていたとは、昨夜初めて知りました。
まったく、予想外の主君です。隣にいたフォルクハルト様も目を丸くしてました。
そこまでは、まあいいです。
ライラティーヌ様がジオルレイドという綺麗な球体をさわさわしていると思ったら、いきなり消えてしまったのです。
その瞬間フォルクハルト様が動きました。
私がライラティーヌ様が消えたと認識した直後には、もうフォルクハルトの剣はヴォルデマールの首筋にあてられていました。
「貴様、ライラティーヌ様に何をした」
フォルクハルト様の声が震えています。
全身から魔力が漏れ出す勢いで怒っているみたいです。温厚な方だと思っていたけれど、意外です。
「こちらが訊きたい。あの娘は何者だ。よもやジオルレイドを機能させるとは」
「まさかジオルレイドに入られたのか?」
「どう考えてもそうであろう。勝手に魔力を注ぎだしたと思ったら消えたのだからな。ほら魔石が青くなっている。間違いなく中にいるな」
あの球体の中に、ですか?
驚いて目を凝らしてみましたが、球体の中は最初と変わらぬおもちゃのような屋敷があるだけで、ライラティーヌ様の姿は見えません。どうやら中に人が入っても、見た目は変わらないようです。
「早く解放しろ」
「無理だ。ジオルレイドだぞ。失われた魔術だとされるものに私が入れるわけなかろう。いや、今なら入れるのか?」
ヴォルデマールが手を動かした瞬間、フォルクハルト様が「動くな」と恫喝しました。
「何をする気だ」
「入れるか試す。貴殿が試してみても良いが、自分が入っているジオルレイドの外に私がいる状態は看過できぬであろう」
私はジオルレイドを知りません。だけど今あのジオルレイドが割られたら、中にいるライラティーヌ様はどうなるのだろうと考えると怖くなりました。
「お前が入ったらすぐに後を追う。何もせずに待っていろ。決してライラティーヌ様に近づくな」
フォルクハルト様も外にヴォルデマールを残していく危険を考慮したようで、剣を構えたまま顎でヴォルデマールを促しました。
もし私が騎士だったら、フォルクハルト様は躊躇わずにご自身でジオルレイドに入ったのでしょう。こんな時に役立たずな自分が不甲斐ないです。いくら気持ちは騎士だと言っても、実際にはただのデクの棒です。
ヴォルデマールは魔石に手を当て魔力を注いでいるみたいでしたが、すぐに手を離すと首を振りました。
「入れぬ」
とても残念そうです。
フォルクハルト様の蟀谷に汗が流れています。余裕のない青ざめた横顔は初めて見るものです。本当に、心の底からライラティーヌ様を心配している気持ちが伝わってきます。
私も怖い。主君を失う恐怖がこれほどとは思いませんでした。一人だけ涼しい顔をして考え込んでいるヴォルデマールが鼻につきます。
「ライラティーヌか。カロリングの娘と同じ名だな」
「……」
「で、あろうな。中で泣き喚いていると思うか」
フォルクハルト様は答えません。
私は今頃ライラティーヌ様はどうしているだろうと考えました。別荘と言っていたくらいだから、中に入るとあのお屋敷があるのでしょう。
……はしゃいでますね。間違いなく。人の気も知らないで。
「なんですかこれ? 不思議現象です。大興奮です!……と走り回っていると思います」
ライラティーヌ様が言っていそうな事を口に出してみました。
フォルクハルト様が辛そうに眉間に皺を刻みました。多分失いかけているものを実感してしまったのだと思います。
私も同じです。言っている側から怖くなりました。あの、考えようによっては美徳ともいえる無邪気さと無鉄砲さが、ライラティーヌ様を窮地に追い込むなんて。
他の人が中に入れないのなら、どうやってライラティーヌ様を助け出せばいいのでしょう。
失われた魔術だと言っていました。何故ライラティーヌ様が起動できたのかは分かりませんが、それでは誰も手出しできないということじゃないですか。
中に食料はあるんでしょうか。このままでは三日と経たずに飢え死んでしまうじゃないですか。
「ふむ。肝が据わっている娘であれば早々に何とかかるかもしれんな。ジオルレイドが完全に機能していれば、中と交信ができる。試してみようと思うがいいか?」
ヴォルデマールは態度は不遜ですが、大人しくフォルクハルト様に従っています。
今もわざわざ動く許可を求めました。悪い人ではなさそうです。
「……やれ。おかしな動きをすれば斬る」
ヴォルデマールがジオルレイドの基盤に触れました。
「おい。聞こえるか」
中からは返答がありません。
「聞こえていれるのであれば屋敷の正面へ行け。中ではなく屋敷の外だ。扉の近くに魔石があるはずだ、探せ。魔石は大きく色は青だ。見つけたら魔力を流せ」
何も聞こえてきません。交信というくらいだから、ライラティーヌ様の声が聞こえてくるかと期待したのに。ヴォルデマールは何度か同じセリフを繰り返しました。それでも何の反応もないのです。
「ふむ。機能していないのかもしれんな」
「他に手はないのか」
「ない。そもそもジオルレイドとは外界からの干渉を受けずに済むところが利点なのだ。術者が自力でどうにかするしかない」
「そんな……」
顔色一つ変えずに飄々としている姿が憎らしいです。
噛みつきたい。
ヴォルデマールに非がないことは知ってますが、それと感情は別です。
睨んでいると、ヴォルデマールと目があいました。少し眉根を寄せて首を竦めやがりました。本当に噛みつきたいです。
「……そう悲観する必要もあるまい。あの娘は聡いのであろう。持ってきた術式を見れば分かる」
賢いですよ。確かに。貴方に言われなくても分かってますよ。まあ褒めれると嬉しいですが。
「あの娘であれば、見慣れぬ魔術具を見つければ魔力を通してみたくなるのではないか? 大した広さではない。その内見つけるであろう。まあジオルレイドが壊れていなければの話ではあるが」
『……かな? わ、光った!』
突然ジオルレイドから間の抜けた声が響いてきました。ライラティーヌ様の声です。
「ライラティーヌ様!」
『ほえ? アンヌの声がします』
「ライラティーヌ様! 聞こえますか?」
『今度はフォルクハルトだ。こっちの声聞こえてるのかな』
「聞こえています。無事ですか?」
『あ、聞こえてるんだ。何してるんですか。早く来てくださいよ。すごいですよ。本当に家があります。芝生も木も本物ですよ!』
緊張感の欠片もありません。
がっくり肩を落とすと同時に、身体の中に急に血が流れ出した気がしました。足の力が抜けて、気が付けば床に座り込んでいました。良かったです。
「ヴォルデマールだ。聞き終わるまで勝手に動くなよ。今お前の触れている魔石の下に、小さな魔石が並んでいるのが分かるか」
『えーっと。……はいこれですね』
「まだ触るな。今触っている青い魔石が転移石だ。下の小さな石は赤と黄色の筈だが間違いないか」
『あ、はいそうですね』
「いったん転移石から手を離し、赤の魔石に魔力を通すと青が赤に変わる。色が変わったことを確認してからまた転移石に魔力を注げ」
『分かりました。もうやっていいですか?』
「少し待て」
ヴォルデマールは魔術具から手を離しました。
それにしても、ライラティーヌ様を領主の娘と認識しながらも言葉遣いを改めないのはどういうつもりでしょうか。
「貴殿名前は?」
「……フォルクハルト・レームクールだ」
「よし、フォルクハルト。今から中に迎えに行くが、一緒に来るであろう?」
「当たり前だ」
ヴォルデマールは一つ頷くと、カウンターから出て戸締りを始めました。そしてカウンターに戻ると、店の奥へ通じるドアを開きました。
「ジオルレイドに入るのはこちらの部屋で行う。来い」
「何故だ」
「我々が中にいる間ジオルレイドを守る者がいない。この扉には魔術を施してあり、閉めている間は何人たりとも立ち入れん。ジオルレイドはフォルクハルトが持て。その方が安心であろう。言う必要もないだろうが、落とすなよ」
フォルクハルト様は剣を収めると、卵をもつような慎重な手つきでジオルレイドを抱えました。
ジオルレイドを運ぶくらいなら私でも出来ます。私が手伝おうと手を伸ばした時、ヴォルデマールに止められました。
「娘、お前は残れ」
「?! 嫌です」
「店を閉めたからな。そろそろ外の連中が動き出すであろう。お前が説明するんだ。ただしジオルレイドのことは漏らしてはならない。あの娘のためだ。これが失われた魔術だという事を忘れるな」
「外の連中って」
「騎士だ。私のほかにも数人後ろから付いてきていた」
フォルクハルト様が苦虫を噛みつぶしたような顔で答えました。
なんだかフォルクハルト様はライラティーヌ様と関わることで秘密を沢山抱えることになって気の毒です。正直と誠実を絵にかいたような方なのに。
「いいか娘。絶対に部屋には誰も近づけるな。いくら魔術をかけているとはいえ、店ごと壊す勢いで来られると耐え切れん。出来るな」
「―――命に代えましても」
胸に拳を充てて答えました。気分は騎士です。
するとずっと不遜な態度だったヴォルデマールがすっと視線を下げて口の端をあげました。
「あの娘は臣下の心をつかむ才があるようだな」
一言いい残して、足早に奥へと消えていきました。
また褒められました。
奥への扉が閉まった直後、今度は表の扉を叩く音が聞こえてきました。騎士のお出ましのようです。
さて、どのような言い訳をすればよいのでしょう。
無い知恵を絞りながら、私は騎士たちを招き入れるため、ドアへと足を踏み出しました。




