クラウディアへのおねだり
儀式が始まるまでの控室となっている部屋に入ると、コンラーディンとクラウディアがそれぞれの側近とともに、すでに寛いでいた。
軽く挨拶を済ますと、ライラティーヌはこてんと首を傾げた。
「本当に皆真っ白なのですね」
部屋にいる全員が、領主一族だけでなく側近やメイドまでみんな真っ白な服に身を包んでいた。白すぎて目がチカチカするくらいだ。
「待黎祭ですからね。ライラティーヌ、こちらへ来て見せてちょうだい」
促されるままに前に進み、くるんと回って見せる。
今日のライラティーヌは膝下ほどの純白のドレスを着て、同じ布で出来たリボンを頭に付けている。
待黎祭の日は白い衣装以外は着てはいけない決まりらしく、毎年専用のドレスを誂える必要があるのだそうだ。おかげで靴から髪飾りまで真っ白で、ここまで徹底されると死装束を連想するな、と思った。
「とても良く似合っていますよ」
「ありがとう存じます。お母様は飾りに色が入っているのですね。クレメンスも」
クレメンスの胸飾りにある大きな緑色の宝石を指し示しながら羨ましそうに言う。正直白すぎて寒々しいのだ。クラウディアなどは髪の色が鮮やかなのでまだ華やかさがあるが、ライラティーヌの髪は銀に近い明るい青緑なので、華やかというよりは寒い印象だ。
「装飾品であれば、輝くものは色があっても許されるのです。貴方たちも成人すれば身につけることになりますよ」
クラウディアが窓際に座るコンラーディンに向けて笑顔を投げた。
コンラーディンも柔らかく笑顔で応じている。
常に聡明で温和な雰囲気をまとう二人だが、今日は普段より表情が柔らかい気がした。
考えてみれば、今はヘルマン親子がいないので、本当の意味での親子水入らずなのだと気づいた。
―――おおっと。ライラティーヌになってから初めての親子の時間だわ。親子の会話。親子の会話。うーん。どんな話題がいいのかな?
実は沙夜も、親子の会話はあまり記憶にない。
母はあまり子供に興味を持つタイプではなかった。仕事に付き合いにと、忙しく家を空ける人だった。代わりに沙夜の面倒を見てくれたのは祖父だった。囲碁にハマったのは祖父の影響だ。
少し考えて、丁度おねだりがあったことを思い出した。
刺繍の話をアンヌにしたら「それならばクラウディア様に教えていただくのが一番です」と太鼓判をおされたのだ。クラウディアは刺繍がとても上手と評判なのだそうだ。
ちなみに最初はアンヌに教えを乞うたのだが、あっさり断れた。「私にあんな細かい作業ができると思いますか?」とまじめ顔で質問されてしまった。
「お母様、わたくしお願いがあるのですが」
切り出した途端、クラウディアが緩んでいた笑顔をひっこめた。
「……クレメンスから打診はありましたけど、確か待黎祭が終わってからという話ではありませんでしたか?」
クレメンス?
―――ああ、ツェツィの訓練か。クレメンスちゃんと話を通しておいてくれたんだ。
「あ、いえ。それはそうなのですが、今日のお願いは別の事だったのです」
「あら、そう? まあいいわ。そっちの方は許可します。ちゃんとクレメンスの言う事を守って行うのですよ」
「え、いいのですか?」
いきなり魔術の許可がでて、なんだか肩透かしを食らったような気になった。許可を得るには、条件を突き付けられたり、何かと苦労すると思っていたのだ。
「ええ。もとより貴方の身体を考えれば、魔力操作は出来るに越したことはないのです。魔力が大きな分苦労も大きいでしょうから、子供の不安定な精神では難しいと思っていたのですよ。ですが貴方はここ最近で急に大人になったようです」
―――だって大人だもんね。っていうかそんな大人びた行動全然とってないと思うけど。むしろわがまま放題だったような……。
「認めて下さるのは嬉しいのですが、最近のわたくしはなんとういうか、その……大人とは逆の行動が多いと思うのですが……」
「あら、自覚はあるのですね?」
クラウディアがコロコロと笑いだした。
「訓練所に押しかけたり、森へこっそり抜け出して木の実を摘んできたり、とても貴族の振舞とは思えません。それにヴィートがとても苦手になってしまったそうね?」
「うっ」
ヴィートとは弓を使わずに奏でるタイプの弦楽器だ。前世のリュートに似ている。
音楽を嗜むことは貴族の常識とされ、複数の楽器を弾きこなさないと社交界では恥をかくのだそうだ。
ヴィートは主旋律を奏でやすくサイズ感も手ごろなため、最初に覚える楽器として人気が高く、貴族ならほとんどの人が弾けるのだそうだ。
座学なら、本物のライラティーヌの記憶が役に立ってくれるのだが、残念ながらヴィートに関しては「ここがド、ここがレ」みたいな知識は受け継いでいるものの、指が全く動かなかった。
―――ピアノさえあれば、そこそこ皆を驚かせる演奏が出来ると思うんだけど。残念ながらこちらにピアノはないのよね。
「先生が首を捻っておられたわ。いきなり弾けなくなってしまったって。どういうことかしら?」
―――いきなりギターを弾けって言われているようなものだもん。無理だよ。
「ううう。精一杯頑張ります」
「そうしてちょうだい」
クラウディアがティーカップを片手に、にっこりと笑った。
―――ううう。美女の笑顔は威圧感があるよ。
「逆に座学は飛躍的に伸びたと褒めていらしたわよ。特に算術や語学はもう教えることはないレベルだと」
―――だって、八歳の問題を十九歳が解いてるんだもん。間違う方が難しいよ。
「わたくしも最近の貴方は、倒れる前と比べて変わったなとは感じているのですが、報告を受ける内容は頭が痛くなるようなものばかりで」
クラウディアが頬へ掌を当て、困ったわというポーズをとる。
「でもコンラーディンが、それは全て貴方の精神が成長したせいだというのですよ」
「コンラーディン兄様がですか?」
またコンラーディンだ。
何故コンラーディンがそのような評価をしてくれたのか、皆目見当がつかない。
理解され過ぎていてちょっと怖い。しかも『ライラティーヌ』への理解ではなく『沙夜』を理解しているように感じてしまう。もちろん考え過ぎなのだろうけど。
コンラーディンは飲みかけのティーカップをソーサーへ戻すと、物静かな笑いを口元だけに浮かべ
「私は目が見えない分、他の人よりは多くの事を感じ取れるからね」と答えにならない根拠を示した。
怖いです。
視線をクラウディアへ戻すと、クラウディアは人差し指をピッと立てた。
「なので許可します。でも忘れてはいけませんよ。本来子供に魔術を教えないのは、子供ではマスターできないという実質的な問題よりも、未成熟な精神のものに魔術という強大な力を手に入れさせない為です。神から与えられた力を、決して他者を傷つけるものとして扱わないように」
「肝に銘じますわ」
居住まいを正して誓うと、クラウディアがふふっと笑って「でもね」と続けた。
「貴方は手のかからない娘だったから、体調を心配するくらいしかしてあげられなかったでしょう? こんな風に叱ることが出来て少し母親らしいことが出来たと嬉しくもあるのですよ」と頭をなでてくれた。
「あの……わたくしこれからもっと、色々迷惑かけちゃいそうなんですけど」
「ほどほどにして頂戴ね。コンラーディンもですよ。少しはわたくしに甘えて頂戴」
「十分甘えさせていただいていますよ」
「コンラーディン兄様が誰かに甘える姿なんて、あまり想像がつきませんわ」
そつなく返すコンラーディンに話を向ける。少しでも会話を交わして、コンラーディンの人となりをもっと知りたい。
「そんなことはないよ。ライラティーヌにも一度助けてもらったことがあっただろう。確か庭の花壇で遊んでいた時だ」
そんなことあったっけ?とライラティーヌの記憶を検索する。
あった。
まだコンラーディンが視力を失う前の話だ。庭で本を読むコンラーディンのもとへ花壇で摘んだ花を届けたことがあった。
「ありましたわね。ふふっ。まさかお兄様が虫が苦手なんて意外でしたわ。初めてお兄様より得意なものを見つけて、わたくし嬉しかったのです」
くすくす笑いながらからかうと、コンラーディンは満足げに頷いた。
「ふふ。虫で勝ち誇られても少しも悔しくはないよ。ところで母上に何かおねだりがあったのだろう?」
―――そうだった。刺繍! 忘れるところだった。
「お母様、わたくし刺繍を教えていただきたいのです」
可愛くおねだりをしたところで、丁度ドアをノックする音が響きヘルマン親子が入ってきた。
「皆さんお早いお揃いですこと。何を話されていたのかしら?」
ヘルマン母が、真っ赤な唇を弓なりにしながら近づいてきた。ずかずかと部屋の中央を横切って近づいてくるので、ライラティーヌは場所を譲り、コンラーディンの隣へ移動した。
「些細な娘からのおねだりですわ。……今年のドレスも素敵ですわね。ヘルマンも」
「ありがとう存じます。クラウディア様も相変わらず清涼たる美しさですわね。それでおねだりってなんですの?」
扇で口元を隠しながら、ちらりと流し目で見てくる。
周囲の顔を伺うと、コンラーディンもクラウディアも頷いたので、おねだりを再開した。
「お母様に刺繍を教えていただきたくてお願いしていたのです」
「まあ! ライラティーヌは刺繍を覚えたいのですか?」
ヘルマン母が大げさに、だが何故かとても嬉しそうに眼を見開いた。
「ええ。お母様は刺繍がとてもお上手だと聞きましたの」
「そうね。クラウディア様はとてもお上手ですわ。刺繍を始めるには少し早い気もしますが、良いのではなくって? 本人のやる気が一番ですわ」
―――なんだか、すごい押してくるんだけど。どうしたの? ヘルマン母。
クラウディアも娘に強請られて満更でもなさそうだ。
ヴィートの練習もちゃんとすることを条件に、教えてくれることになった。
ヘルマン母の態度の謎は、儀式の時間となり、神殿へと移動するための馬車の中でのクレメンスの言葉で判明した。
馬車はコンラーディンとクレメンス、ライラティーヌとアンヌが乗っている。
「大変宜しいと存じます」
「何がですか?」
「あの場面で刺繍を持ち出されたことです。アンヌの助言ですか?」
「ええ、そうですね。でもどうして褒められるのか分かりません。わたくしはただ、術式を刺繍したいだけなのですが」
素直に聞き返すと、クレメンスは眉間を押さえて「そっちか……」と漏らした。
「なんとなく、馬鹿にされている事だけは分かりますよ」
ぷうっと頬を膨らませてみせると、コンラーディンが噴出した。
「結果良い方向へ誤解してくれたのだから良かっただろう」とクレメンスを諭し、ライラティーヌに説明してくれた。
「刺繍と音楽は、貴族女性の嗜みだということは知っているよね」
「はい」
「もしライラティーヌが領主を目指していれば、刺繍より先に経済や法律を学ぶだろう。その年から刺繍を習うということは、将来は他家に嫁ぐつもりだという意思表示にもとれるのだよ」
「まあ、そうなのですね。ではわたくしが領主になる気はないという意思は伝わったのですね」
―――今回は結果オーライだが。何気ない行動にいちいち理由が付いて回って、貴族ってほんと面倒だ。
「ライラティーヌは精神は成長したようだが、その辺りはまだ子供のままだね。自分の行動の余波を想像できるようになるまでは、周りの人の言葉に従うようにした方がいい」
「……とっても面倒で、窮屈ですわ」
「生きるという事は窮屈なことだよ。ライラティーヌは一度死線に立ったからこそ、余計にそう感じるのかもしれないね」
「……お兄様もそうだったのですか?」
両足の自由と視力を失う程の事故だ。しばらくは死線を彷徨ったことだろう。
恐る恐る聞いてみたが、コンラーディンは何の気負いもない声音で
「いや、私は私のままだったよ」
と微笑んだ。
視力を失った憤りも、下肢の自由を失ったもどかしさも感じさせない。「これは馬車だよ」というのと同じくらい、ありのままを言葉にしたような声色だった。




