夜のルーティン
「私は貴族学院には行きませんけどね」
打ちひしがれていると、アンヌの神の声が降り注いできた。
「え? 行かなくていいのですか?」
「はい。もう卒業に必要な科目は取り終わりましたから」
ドヤァ。
「そうなんですの? それは……とても優秀、なのですね?」
なんとなく疑問形になってしまった。
何故ならアンヌがドヤ顔をしているからだ。胸を張るアンヌが優秀だったことはない。
案の定、クレメンスが咳ばらいを一つして、溜息交じりに否定してきた。
「誤解されてはいけません。卒業に必要な科目は二年あれば誰でも取り終わります。基礎十科と言いまして、一年で五科、二年で五科が必須科目となっています。普通は基礎十科を終わらせた後、専門の科目をとったり、社交に励んだり致します。基礎十科が終わってからが本当の貴族学院なのです」
「でも基礎十科さえ取ってしまえば卒業は出来ますから、もう行く必要はありません」
「え……えっと、本当に行かなくて大丈夫なのですか?」
アンヌに聞いても碌な答えが返ってきそうにないので、クレメンスに聞く。
いくらなんでもマズイ気がする。
アンヌが側にいてくれるのは助かるが、その為にアンヌが学ぶ機会を逃したり、貴族社会から浮いたりして欲しくはないのだ。
「問題ないでしょう。すでに職を得ている亜貴族の中には、たまに本当に基礎十科だけで卒業する者もおりますから」
「そうなのですか。でもアンヌが心配です。勉強するしかない環境に放り込まなければ、決して自ら学びそうにありませんから。わたくしのせいでアンヌの可能性を狭めてしまうのは嫌です」
ふるふると首を振ると、アンヌも真似したようにふるふる首を振った。
「必要のない勉強をするのは嫌です」
ふるふる。
―――うーん。
ふるふる合戦をしていると、クレメンスが珍しくふっと笑って眼鏡を正した。
「ライラティーヌ様、ご心配には及ばないかと。アンヌは優秀ですから」
「優秀……ですか?」
「飛び抜けて。だからこそ、この年齢でライラティーヌ様に付いているのですから」
飛び抜けて優秀。
そうだっけ、とアンヌを見やると、当の本人も首をひねっていた。
クレメンスは今度は、アンヌに視線をあてて続けた。
「時機を見てにはなるが、薬草学と香学は身につけて来るように。卒業まであと二年ある。どこかで学院に戻れるように調整しておく」
「……それはメイドに必要ですか?」
アンヌは上目遣いで、少し下唇を突き出している。要するに不満顔だ。
「ライラティーヌ様を支えるためには必要な知識だ。アンヌなら苦労なく取れるだろう」
「分かりました。頑張ります」
―――クレメンスの中のアンヌって、何者?
アンヌは少しやる気になったようだ。『ライラティーヌの為』というのはアンヌにとってキラーワードらしい。
時期をずらせば、ちゃんと講義を受ける事が出来るのであれば、反対する必要はない。
もとよりライラティーヌはアンヌにいなくなられると非常に困るのだ。安全面でも精神面でも。
「では今後もアンヌは側にいてくれるのですね」
「はい。学院なんかには行きません」
ひしっと抱き合う勢いで手を握り合う。
「わたくし、今ほどアンヌがアンヌで良かったと思ったことはありません。とても心強いです」
―――アンヌが勉強嫌いの残念な子で本当に良かった。
――――――――――
夕食後はアンヌとおしゃべりをしたり、書き溜めた術式を自分なりに読み解いたり、集めた素材の情報を素材辞典の仕様に清書したりしながら過ごす。
顔を洗い夜着に着替えると、アンヌが香を焚き、お茶を淹れてくれる。部屋の明かりは消され、掃き出しの窓から月光が差し込んで部屋を照らす。
芳醇な香りに包まれながらライラティーヌは窓辺にある椅子で寛ぐ。
アンヌもこの時は声をかけてこない。
ライラティーヌが無言で月を眺めている間に、そっと出ていく。
月の光を浴びながら目を閉じると、頭の中にパチリ、パチリと石が盤を打つ、乾いた音が聞こえ始める。
脳裏に浮かぶ景色は、いつも祖父と囲碁を打っていた縁側だ。
頭の中で棋譜を並べる。手合いでの凛と冴えた空気さえ感じる事ができた。
頭の中で囲碁を打っている内に、自分の中に『沙夜』が戻ってくるのを感じる。
一日張りつめて無理をした心を、月を見ることでリセットする。
この窓辺での時間は、ライラティーヌが唯一沙夜に戻れる大切な時間。
ナイトルーティンだった。
テーブルの上に置きっぱなしになっている、アーレント派閥のリストを横目に入れる。
なんとなく、前世の出来事を思い出した。
中二のある日、家に帰るとテーブルにとある高校の学校案内が置かれていた。母が置いたのだろう。
この学校に行けという意味だと思い、その通りに進学した。地域で一番の進学校だったが、数少ない親からの指示だと思えば、従うしかなかった。
大学も同じように決めた。
普段自由にしているのとは対照的に、人生における重要な決断を自分で下した経験は殆どない。というか一度だけだ。
それは囲碁のプロ試験を受けたことだけだった。
「初めての反抗だったんだけどな」
中途半端に終わってしまった。
あの日踏み込んだアクセルは、空ぶかしのままだ。
「もっと自由に生きたいなぁ」
ライラティーヌになっても、事態は変わっていない。
領主になるか、カロリングの為に他家に嫁ぐか。
将来の道は明確に指示されている。
「今回こそ、ちゃんと逃げ切ってやるんだから」
ライラティーヌはガウンを羽織るとベランダに出た。
今は冬。息が白く凍る。
「そのためにも、早く布石を完成させなくちゃ」
現状を囲碁の一局だと考えると、完全に負け試合だ。
相手は布石を完成させているのに、こちらは無計画に石が散らばっているだけ。今攻められたら確実に殺される。
「こっちに来て一月。この一か月で手に入れたものは、中途半端な身体強化だけ、か」
気を張って頑張ってきたつもりだが、実際はまだ何も手に入れてない。
「結局、最初に神様から貰った騎獣とポーションしか使える駒がないのよね。情けない」
ライラティーヌは頭の中の盤上に散らばっている石を眺める。
クレメンスは時間的な猶予は一年はほどだと言っていた。それまでに何としても守りを固めなければならない。
「とりあえず要石は魔術だわ。早く布石を完成させなくちゃ」
ふと眼下を見ると、見回りの騎士の姿があった。
夜を愉しんでいるのを知られてはいけないと、アンヌに口酸っぱく言われていたので、慌ててしゃがみ込む。手すりに身を隠して騎士が立ち去るのを待っていると、その騎士はキョロキョロとあたりを伺い始めた。
―――明らかに怪しい。まさかもう仕掛けてきた? あ、あれ、フォルクハルトだ……。
夜陰に潜むように佇んでいた騎士は、フォルクハルトだった。
目が合うとフォルクハルトは騎獣を出して、ふわりとベランダに上がってきた。
「いったいどうしたの?」
「しっ」
フォルクハルトのひとさし指が、ライラティーヌの口を押えた。
「誰かに見られたら首が飛びます」
いたずらっぽく笑う。
慌てて手を引っ張って部屋の中に招き入れると、カーテンを閉めた。
「何を考えてるの。本当に首が飛ぶわよ!」
小声で窘めると、フォルクハルトは少し戸惑ったように
「アンヌが月夜に執着があると言っていたので、気になってきてしまいました」と肩を竦めた。
「自分でも少し驚いています」と笑う。
「……ただ、月を見ているだけよ。危険なんてないわ」
「ありますよ。現に私はここにいます。騎獣があればすぐに押し入れるのです。窓には魔術がかかっていますから閉めていれば安全ですが、外に出ては危険です。それに」
フォルクハルトは、繋いだままになっていたライラティーヌの手を両手で包み込んだ。
「こんなに冷えています」
慌てて手を振りほどく。
「フォルクハルトもじゃない。いつからいたの。今お茶を入れるから」
「結構です。灯をつけると怪しまれますから」
「……それもそうね。じゃあせめてこれ被ってて」
乱暴にブランケットを渡すと、フォルクハルトがクスリと笑った気配がした。
「言葉が乱れていますね。驚かせることには成功したようです。少しはいつもの仕返しができました」
ブランケットを口元に充てて、流し目だ。
―――無駄に色っぽいんですけど! 夜補正!
いつもはライラティーヌが無茶ばかり言うせいで、アタフタする顔ばかり見慣れていたが、今のフォルクハルトの笑顔には余裕と落ち着きがある。こっちが本来のフォルクハルトの姿なんだろうな、とぼんやりと思った。
―――まいったな。まだ『沙夜』が抜けてない。
「夜はこんなものよ。お嬢様な私に会いたかったら太陽が昇っている時間にしてちょうだい」
睨み上げるとフォルクハルトはくすくすと笑って「次はそうします」とブランケットを羽織った。
「それで? 危険を教えるためだけに来たの?」
「それだけ、というわけでもありませんが。貴方は口で言っても分からないでしょう」
―――ナイトルーティンを止めさせるために、実力行使に出たってことか。うーん。
「……ねえ、フォルクハルト。今私をその窓から連れ去ることは出来る?」
「容易に出来ます。騎士であれば誰でも可能ですよ。貴方の身体強化ではまだ騎士には通じません」
「いきなり殴るのはどうかな?」
「殺気を殺せれば有効でしょうね」
「なるほどね」
どうやら、本当に危険な行為だったらしい。
フォルクハルトが危険を犯してまで忠告に来たくなるはずだ。
「ありがとう。考えなしだったわ。これから気を付ける」
「分かっていただけたのなら、来た甲斐がありました」
フォルクハルトは朗らかに笑うと、ライラティーヌの頭を優しくぽんぽんとした。
「……子供扱いね」
「いえ、今のは女扱いです」
「からかってる?」
「どんな年齢の方でもレディーとして扱うようにと教わって育ちましたから」
とフォルクハルトが心外そうに抗議する。
「もしかしてフォルクハルトって、女たらしなの?」
「な?! 違いますよ! 貴族のあり様の話です。どこでそんな言葉を覚えたのですか!」
全力で否定する姿に、いつものヘタレなフォルクハルトを見つけてほっとする。
「意外な一面を見つけたわ」
「だから、違いますよ」
「女たらしもそうだけど、意外と向こう見ずなのね」
「向こう見ずなんて言われたこともないですよ。堅実一番で生きてきたのに。自分でも今日の行動には驚いているんです。貴方に付き合うようになって調子が狂いっぱなしです」
そして女たらしでもありません、と恨みがましく呟く。
―――底抜けに人が良いんだ。だからきっとライラティーヌを見捨てられず、最期まで護ったんだろうな。
「いつも振り回してごめんね」
自然と謝罪の言葉がこぼれ出た。
フォルクハルトは一瞬きょとんとした後、微笑んでまた頭をぽんぽんとした。
「もう慣れました。今では目の届くところにいて欲しいと思っています。本当に一人にすると何を仕出かすか気が気じゃないので」
「でも、貴族学院に行くんでしょ? 目の届くところは無理よ」
「はい。正直勉強が手につかないのではと心配しています。それで」
と鞄から包みを取り出した。
「私がいない間、貴方を大人しくさせておく方法を色々考えました」
「それがこれ?」
自信なさげに手渡された包みを開くと、中には男物の洋服が入っていた。
伸縮性のある素材で作られていて、ラッシュガードのような感じだ。
「私の夏用のアンダーアーマーです。騎士見習いになったときに兄から貰った物なのです」
「鎧の下に着るもの?」
「鎧に限らず騎士が平素着こむものです。こんなものを女性に贈ったと知られれば、私の品位が傷つきますから他言はしないで下さいね」
要は下着だ。
「確かにちょっと、変態っぽいわよね……。どうしてこんなものを?」
「ここに強度を上げるための術式が施されています」
フォルクハルトが示した場所には、ベースの生地と同色で目立たないように刺繍で術式が施されていた。
「これは土、それに風の属性が入っているのね」
「その通りです。余程の攻撃を受けなければ切れることはありません。興味が湧きましたか?」
―――これは防弾チョッキならぬ、防刃ラッシュガードだわ!
「ものすごく。変態って言ったこと取り消すわ」
ライラティーヌが喜ぶと、フォルクハルトは安心したように肩の力を抜いた。
流石に、使用済みの下着を贈るのは本人も抵抗があったようだ。
―――フォルクハルトが変態じゃなくて良かった。ちょっと引いちゃってごめん!
「これは普通の糸で刺繍してあるの?」
「魔撚糸と言われる、糸を紡ぐときに魔力を練り込んで作った糸です。糸を紡ぐところからご自分でされるのも楽しいと思いますよ。どうせ魔力は余っているのでしょう?」
フォルクハルトがしてやったり、という顔で説明してくれた。
「糸を紡ぎ、術式を刺繍する。全て城内で出来ます。どちらも時間がかかるものですし、完成する頃には二カ月くらい経っていますよ、きっと」
「お部屋で大人しくチクチクしているうちに、貴族学院が終わるという寸法ね。まんまと策に乗せられそうだわ」
「乗ってください。私の平穏な学院生活のために」
フォルクハルトが諭すように笑いかけてくる。
言いなりというのが少し気に入らないが、防御力アップの装備は今すぐにでも欲しいところだ。
何よりも、ライラティーヌの為に考えを尽くしてくれたことが伝わってくる。悩みに悩んでいきついた先が、ちょっと変態っぽい行為だっただけだ。
「ふふ。完璧なものを作って、帰ってきたときにビックリさせてみせるわ」
「楽しみにしています。これはお貸しするだけですよ。切り抜いてご自分の服に張り付けたりしないで下さいね」
「そんなことしないわよ。まったく、フォルクハルトの中で私ってどんな風に映ってるのかしら」
魔力操作の訓練に、防刃ラッシュガード、なかなか充実した二カ月になりそうだ。
どうせなら刺繍する術式も、自分で考えたいな、などと考えていると少しづつ睡魔がやってきた。
目をこすると、脇に手を入れられて持ち上げられた。そのままお姫様抱っこされる。
「フォルクハルト?」
見上げると、すぐそこにあるフォルクハルトの優しい目があった。
フォルクハルトはベッドに移動すると、壁に背を預けてブランケットごとライラティーヌを包み込んだ。
―――おおお。バックハグだ! 見た目は八歳でも、心は十九歳なんだから、ときめくんだよ!
「子供は寝る時間です。このままお眠りください」
「……眠れそうにないんだけど」
「子供は寝る天才ですから、ご心配には及びませんよ」
「むう」
余裕たっぷりのフォルクハルトが恨めしい。
本当は十九歳なんだからこんな状態で寝れるわけないじゃない、と思っていたが、気がついたら朝で、フォルクハルトはもういなかった。




