大きすぎる損失
フォルクハルトは、部屋までライラティーヌを送り届けたとき、アンヌと軽く言葉をかわす。
単なる挨拶の時もあれば、業務連絡のようなときもある。
「待黎祭の夜、ライラティーヌ様が抜け出す可能性が高い。十分気を付けておいてくれ」
「かしこまりました。そもそもライラティーヌ様は月夜に妙な執着をお持ちなのです」
「! それは人には言わないようにした方が良い」
「心得ています。無駄な好奇心を邪な信仰心だと勘違いされては困りますから」
本人を前に真顔で行われるやり取りに、ぷうっとなる。
「無駄とは何ですか。現実的なだけです。わたくしに言わせれば、夜を恐れる事こそ無駄の極みですよ」
「誰かに聞かれたら命とりですよ。闇の狂信者と思われたらどうするのですか」
「それほどの事ですか? まあ、文明が発達するうえで必ず通る道だなぁとは思いますが」
「文明ですか?」
「暗闇を恐れるのは当然の心理でしょうが、いずれ必ず人の知は暗闇を制します。そうなってしまえば今度は逆に満天の星空や冴え冴えと輝く月を愛でたくなるものなのです」
ピンと指を立てて高説ぶってみたが、二人ともきょとん顔だった。
まあ、理解はされないだろうね、と説得を諦めたとき、ドアをノックする音が響いた。
アンヌが迎えにでる。
「きゃっ」
アンヌの驚きの声に、思わずフォルクハルトと顔を見合わせ首を傾げる。
二人とものんびりしているのは、アンヌの『きゃっ』が、危険を察知した『ぎゃあ』よりの『きゃっ』ではなく、アイドルを前にした『きゃああ』よりだったからだ。
ドアをすり抜けて、涼しい顔で入ってきたのはクレメンスだった。
アンヌは真っ赤な顔をしていて、心なしか夢見心地なうるんだ眼をしている。
―――なに? なんなの、そのカワイイ顔は!? そうなのか? そういう事なのかいアンヌ。マジか!
そう言えば恩人だと言っていたし、年齢的にも丁度良いのかもしれない。
見上げれば、フォルクハルトも同意見らしく、微笑ましいものをみる目で眺めていた。
当のクレメンスは、部屋の真ん中にいるフォルクハルトに気付くと目礼をした。
「来客中でしたか。とんだ失礼をしてしまったな」
「いや、丁度退散する頃合いだったのだ。それではライラティーヌ様、今日はこれで失礼いたします」
手短に挨拶を済ますと、フォルクハルトはさっさと騎士寮へと帰っていった。
正直なトコロ、フォルクハルトとクレメンスに挟まれては、なんだか三者面談みたいで落ち着かなかったので、ほっとした。
テーブルを整えてるアンヌをこっそり盗み見てみたが、すっかり通常運転に戻ってしまっていた。
―――もう少し乙女モードでいてくれても良かったのに。
席に着くと、さっそくクレメンスが切り出してきた。
「先日アンヌから、ライラティーヌ様の予算から少なくない金額の要請がありました」
「わたくしの予算ですか? そんなものがあるのですね」
「私が側近として管理しております。何か入り用な場合は、アンヌに必要額を渡しております」
「そうだったのですね。私の知らないところで色々としてくれているのですね」
アンヌにねぎらいの言葉をかける。
「それで?」
「大きな金額だったため、何に使うのかと問いただしたところ、魔術具だと答えました」
「あー……」
これはお説教だな、と身を縮めると、眼鏡を正すクレメンスの呆れかえった視線とぶち当たった。
「クーシュリングを要求されたとか。あれが一ついくらするか、ご存知ですか?」
「い、いえ。いくらくらいするのですの?」
「品質によりますが、小金貨三枚から五枚が相場です」
小金貨と言われても、全然ピンとこない。
金貨というくらいだから、結構な金額なのだろう。
よく分かっていない様子が伝わったのだろう。クレメンスが大きく溜息をついた。
「アンヌが半年で稼ぐ金額に相当します」
―――前世のお給料で考えて月二十万としても、百二十万! 中古の車買えるじゃん!
「そ……それは、ごめんなさい。全然知りませんでした」
謝るしかない。
「ライラティーヌ様のご予算の内では微々たるものですが、決して少ない金額ではありません。子供が欲しがるおもちゃの範疇を超えています」
「返す言葉もございません」
―――微々たるものなんだ。さすが領主一族。逃亡資金に全部下さい。
「まったく。騎士団とも隠れて何かしているようですし、最近の貴方は何をしでかすか分かりません」
「単なる自助努力です」
「それは分かっています。ですから、魔術具が欲しいのであればご自分でお引き下さい」
クレメンスがことり、とテーブルに木箱を置いた。
豪華な彫刻が施された木製の箱で、中には高級メロンみたいに、つやつやの布に埋まった一本の杖が入っていた。
長さは二十センチくらいで、先端が針のように鋭利だ。
「杖ですか?」
「ツェツィです。コンラーディン様からのお誕生日の祝いです」
「はあ、随分時期がずれている気がしますが」
「先日の食事の時、ライラティーヌ様が魔術の本を欲しがっていらしたのを聞いてすぐに手配いたしました。オーダーメイドですので多少時間がかかりましたが」
「そうなのですね。それで、ツェツィとは何ですか? 魔術に関係があるのでしょう?」
「術式を引くときに使うものです」
「まあ!」
飛びついて手に取ろうとした。が、手が届くよりも早く、クレメンスが木箱ごとさっと取り上げてしまった。
思わずジト目にねめつける。
「なんですの?」
「魔術を覚えることは、もう反対致しません。ですがいくつかの約束を護っていただければです」
「……内容によります」
ただでさえ、指に忌まわしい黒い指輪が嵌められているのだ。これ以上しがらみを受けたくない。
「一つはクラウディア様の許可を得る事です。私からも口添えをしますので問題ないかと」
「分かりました。他には?」
「あと一つ。魔術の訓練を始めるのは、待黎祭が終わるまでお待ちください」
意外なワードが飛び出した。
「待黎祭ですか? あと七日程ですね。それくらいなら我慢してもいいですが、いったい何故です?」
「待黎祭が終われば、ヘルマン様が貴族学院へお戻りになりますから」
―――おお。ヘルマンがいなくなるのか。それは朗報だわ。言い方からして全寮制っぽいし、しばらく顔を見なくて済むのね。いやっほう!
「ヘルマン様は一年生ですから、待黎祭の翌日には出立されます。私もコンラーディン様に同行いたしますが、出立は待黎祭の三日後です。次に戻るのは春です。二カ月ほどは、比較的穏やかにお過ごしになれると思いますよ」
「嬉しい知らせです」
「ですが」とくぎを刺すのも忘れない。
「ですが逆に言えば貴方を護る手も減るということです。ヘルマン様の後ろにはアーレント家がついています。アーレントの者にはご注意ください」
「派閥ですか」
「はい。こちらにアーレントの派閥に属する者のリストがあります。覚えておいてください」
―――めんどくさっ
「危険な時期は過ぎましたので、直接何か仕掛けてくることはないと思いますが、アーレントとの接触はお控えください」
「危険な時期ですか?」
「目覚めた直後が一番危険でした。突然亡くなられても、やはりまだ完治されていなかったのだと認識されますから。逆に、乗り切った今は一番安全とも言えます。今何かあれば、流石に不自然ですから。向こうもしばらくは手を出せないでしょう」
「しばらくとはどのくらいでしょう」
「一年くらいでしょうか。ただ、今回はゲルドゥヴォルの一件がございます。何か絡め手を仕掛けてくる可能性もあります」
「わたくしを犯罪者に仕立てようとするとか、ですか」
クレメンスが無言で首肯した。確かにゲルドゥヴォルを餌に散らつかされれば、ホイホイと付いていってしまいそうだ。この忌まわしい指輪さえなければ。
「肝に銘じます。でもこれがある限り、わたくし自制するしかないのです」
手のひらを突き出して、指輪を見せる。
「では魔力操作ですが、ヘルマン様が発たれてからクラウディア様の許可を取ってください。そこから私たちが出立するまでの二日で、ツェツィの使い方の基礎をお教えいたします。ツェツィは魔力操作の練習に使われる道具でもあります。私がいない二カ月の間は魔力操作を練習していてください。戻ったとき出来るようになっていれば、術式の引き方をお教えします」
「……二カ月も待てる気がしません」
「術式を引けるほど魔術操作を使いこなすのに、普通は二年かかります」
それでもクレメンスは、ライラティーヌなら二カ月で出来てしまうだろうと思っているようだ。
「随分と過大評価してませんか?」
問うと、クレメンスは少し無言になってライラティーヌを検分するように見つめた。
「……正直、貴方の能力を測りかねています。コンラーディン様にツェツィを準備するように言われた時も、ずいぶん気が早いものだと思ったのですが、本当に必要になってしましました」
「コンラーディン兄様が……」
コンラーディンには大した印象がない。穏やかで何を考えているか分からない人、というくらいだ。
魔術を習いたいと言い出したライラティーヌを窘めたのはコンラーディンだった。いったい何を思ってコンラーディンはツェツィを用意してくれていたのだろう。
「……アンヌの命をお救いになったことが、影響しているようです。おそらく見直すきっかけになったのかと」
「見直されるような事じゃないですけどね。まあ、プラスに働いたのなら良かったです」
―――それにしても、アンヌを助けたお礼と来ましたか。
「アンヌは何かコンラーディン兄様と関係があるの?」
「特には。私はクレメンス様との業務連絡があるので、必然的にコンラーディン様とも顔を合わせる事が多いですが」
アンヌが少し嬉しそうだ。ちょっと乙女の顔がのぞき出ている。
―――なるほどなるほど、業務連絡の時間はクレメンスとお喋りできるキュンタイムなわけね。
「コンラーディン兄様はどのような方ですか?」
「素晴らしい方です。お優しくて有能で。厭味ったらしいクレメンス様を笑顔一つで黙らせるという特技をお持ちです」
「おいアンヌ……」
目の前でこき下ろされたクレメンスが、項垂れながら眼鏡を正した。
―――おおお! 照れてる! 満更でもないのかい? クレメンス!
目の前で繰り広げられるニヤニヤもののやり取りに、全身をバタバタさせたい気持ちをぐっとこらえる。本当はひっくり返って地面をバンバンしたい。
コンラーディンについては生前のライラティーヌも、とても優しく頼りがいのある兄だと思っていたようだ。
この二人も信頼しきっているようだし、きっと悪い人ではないのだろう。
ライラティーヌは頬を両手でふにふにして、にやけてしまった顔を元に戻すと、話題を変えた。
「それにしても、貴族学院なんてあるのですね。いずれはわたくしも行くのかしら」
「もちろんです。十二歳から十六歳までの貴族は、亜貴族も含め全員行きます」
「十二からですか」
それではライラティーヌが行くことはない。十歳で貴族を捨てるのだから。
―――少し行きたかったな。こちらの世界を勉強するなんて楽しそうだけど。十二から十六か。ん?
とても嫌な考えが頭をよぎって、ライラティーヌは能面顔で突っ立っている愛しのメイドに視線を移した。
「アンヌは何歳ですか?」
「十四です。ちなみにフォルクハルト様は十六です」
―――はあああ! なるほどね! 癒しの二人がいなくなっちゃうのね! デカすぎる喪失!




