【幕間】健気なお嬢様〜ゲルルフ視点
俺はゲルルフ。言葉遣いはこんなだが、これでも一応カロリング領で騎士団長を拝命している。
俺は今、騎士寮の食堂をジールを片手に歩いている。
この時間の食堂は混んでいる。一日の業務や訓練を終えた騎士たちが、ジールを飲みながらあちらこちらで談笑していて、食堂中が賑やかな笑い声に包まれている。
独身の騎士は皆寮に住み、既婚者は自分の屋敷で生活をする。俺もいつもなら自宅に戻るところだが、今日は思うところがあって寮に泊まることにした。
決して嫁が怖いからではない。断じてない。
―――お、いたな。案の定疲れた顔をしてやがる。
俺は食堂の隅で疲れた顔をして食事を口に運んでいる、若き騎士見習いを見つけた。
「ここいいか?」
「ゲルルフ団長! どうぞ」
俺に気づいて、慌てて姿勢を正す騎士見習いに、軽く手を振って、楽にしろと伝える。
フォルクハルト・レームクール。
有能だが、堅実すぎるところがある男で、何となく放っておけないタイプのせいか、俺は何かと目をかけている。
普段は穏やかな風情だが、ここぞという時の集中力はなかなかのものだ。護衛騎士にうってつけの男だと思うのだが、いかんせん感情の隠し方がお粗末すぎる。
こいつに必要なのは精神修行だ。そう考えて、今日は少しばかり気の使う任務を言い渡したのだが。
「今日は夜勤ですか?」
「何、ちょっと労いに来ただけだ」
二杯持ってきたジールの一つをフォルクハルトの前に押し出し、もう一杯を煽る。
騎士寮は食事は無料だが、ジールなどの飲み物は自腹なのだ。
「ありがたく受け取ります」
美味そうに喉を鳴らしてはいるが、肩が落ちている。ちょっと荒療治が過ぎたかもな。
ことの発端は昨日の午後。稽古中に突然ライラティーヌ様が見学に来られたところから始まる。
俺は職務上、護衛のために領主の一族と顔を合わせる機会が多い。だがライラティーヌ様との接触はあまりない。身体が弱いらしく、庭の花壇に行く以外は殆ど出歩かないと聞いている。病弱で大人しいお嬢様、程度の認識だった。
ライラティーヌ様の不調は、魔力が原因らしい。たびたび暴走を起こしては、寝込まれていた。健康だけは自信のある俺から見れば、とても可哀想だと同情している。
先日も死にかけている。いや心の臓は止まっていたから、死んだと言ってもいい。心の臓が止まっても、まだ魔力の動きがあったため死亡認定ができず、そのまま寝かせていたら生き返ったのだそうだ。
そのライラティーヌ様がいきなり訓練所に現れたから驚いた。しかも観客席からの大声援ときた。
まともに話したのは初めてだったが、ライラティーヌ様は今まで抱いていた印象とはまるで違った。
真っ直ぐに目を見てハキハキ話し、コロコロと表情を変える。意思の篭った眼差しに、ヴィートのようなよく通る声。生命力に満ちた、実に可愛らしいお嬢様だった。
雲行きが怪しくなったのは、身体強化の話が出てからだ。あろうことか、自分もやってみたいと言い出したのだ! 暴走させるほどに魔力の扱いが不得手な娘がだ!
命の危機に直面して、ライラティーヌ様なりに、なんとか魔力を操れるようになりたいと考えられてのことだろう。そう考えると、何ともいじらしく、力になってやりたいとは思ったが、身体強化は下手をすれば自分自身を傷つける。
心を鬼にしてお帰り願った翌日。つまり今日だが、また現れたのだ。やる気を出した出立ちでだ。
「で、どうだったんだ。初めての護衛任務は」
「……あれは護衛なんでしょうか」
フォルクハルトが遠い目をした。まあ、裏の森の入り口には賊も入り込めないし、魔獣も出ない。護衛というより御守りだな。
「随分疲れてるみたいだが、何をしてたんだ」
「えーと、……散歩ですね」
「散歩、か」
フォルクハルトが目を合わせてこない。
「ライラティーヌ様はことの他、草花がお好きなのだそうだ。今までは庭の花で我慢していたが、本当は森にも行きたかったはずだ。だから許可したのだが……」
「草花ですか」
……こいつ、初耳だというような顔をしたな。正直は美点だが、やはり貴族としてもう少し感情を隠せるようにならないと使えないな。
草花じゃないとしたら、森でいったい何をやってたのか。答えは一つだ。昼間から気になっていた事をぶつけてみる。
「俺は耳がいいんだ。今日観覧席でお前とライラティーヌ様が話しているところを、身体強化で聴覚を上げて聞いていた。……顔色が変わったな。少しは嘘の吐き方を覚えろ。いや、俺に吐く必要はないが、それじゃあ任務で使えないぞ。護衛騎士ってのは、口にしてはならない話を耳にしてしまう仕事だからな」
実際にフォルクハルトが護衛騎士となるのは、まだしばらく先のことだが、経験は積ませておきたい。フォルクハルトは良い護衛騎士になると、俺は確信しているのだ。
「……はぁ。それで、何が聞こえたんですか」
「何も」
つまみを口に放り込む。
「口元は動いているのに、何も聞こえなかった。……防音の魔術具を使っていたな」
フォルクハルトが慌てて周囲に目を走らせた。
「安心しろ。誰も聞いちゃいないよ。使ってたのはお前じゃないな」
「勿論です」
「じゃああのメイドか。何を話していた。俺にも言えない内容か?」
「……そうですね。聞かないで下さると有難いです」
「まあそれでもいいが……、当ててみせようか」
意地悪く笑うと、フォルクハルトが狼狽した。
「やめてくださいよ。すぐ顔に出るってさっき言われたばかりですよ」
「身体強化だろ」
「違いますよ」
拒絶するように両手を振っているのを無視して、推論をぶつけてみれば、フォルクハルトは両手で頭を抱えて、テーブルに顔をうずめた。どうやら顔色を隠しているつもりらしい。そんなことをしている時点で、自白しているのと同じなのだが。
「お前なぁ、いくらなんでもその恰好はみっともないぞ」
「じゃあこの話は終わりにして下さい」
「そうはいかないさ。……まあ一度挑戦してみりゃ、諦めがつくだろうし、大した問題じゃない。咎めるつもりもないから、安心して吐け」
フォルクハルトはまだ突っ伏したままだ。そんなに強情を張るほどの事でもないんだが、こいつは頭が硬いからな。
どれくらいで観念するだろうかと待っていると、フォルクハルトが心を決めたような声を投げてきた。
「団長」
「話す気になったか?」
「場所を変えさせてください」
やっと顔を上げたと思ったら、なんだ?
周りをみるが、聞き耳を立てているやつはいない。それでもここでは話せないのか。
「訓練所でいいか。この時間なら誰もいないだろう」
人気のない夜の訓練所は、灯りも付いておらず真っ暗だ。冷え込むので、ジールを持ったまま移動した。ジール片手に聞く話でも無さそうだが、せっかくの夜勤なしの外泊なんだ。今飲まなくていつ飲むんだ。
「おい。そろそろ話せ。何なんだ?」
水を向けると、フォルクハルトは決心したような固い顔で真っ直ぐに問いかけてきた。
「ライラティーヌ様には敵がいるのでしょうか?」
おいおい。いきなり物騒な言葉が飛び出してきたな。
「何故そう思う」
「ご本人が、そう感じられている気がしました」
「敵ねぇ」
フォルクハルトの声は真剣そのものだ。
顎をさすりながら考えるが、思いつくことはない。いずれは領主の座を争われることになるだろうが、今はまだどこの派閥も様子見の段階のはずだ。
なにせ、三人のお子様はそれぞれ優秀だが、それぞれ難点もあるからだ。
コンラーディン様は障害を抱えておいでだし、ライラティーヌ様は病弱だ。今のところはヘルマン様が一番次期領主に近いようにも思えるが、それは異母兄妹のお二人が問題を抱えているからであり、純粋な能力で比べると、頭脳はコンラーディン様に劣り、魔力はライラティーヌ様に劣るだろう。つまり、パッとしないのだ。
誰が選ばれるにせよ、満場一致ということはないだろう。それだけに、後継者争いが本格化すると荒れるだろうというのが、大方の予想だ。
本格化するとは、つまりライラティーヌ様の魔力量が判明する時。今から四年後だ。
「ないな。今後は出てくるだろうが、今どこかが動いているという気配は掴んでいない。何かそう思われる切っ掛けがあったのか」
「分かりません。ですがライラティーヌ様はそう考え、ご自身を守るために行動されているように思えました」
「それで身体強化か」
「……」
「いい加減そこを認めてくれねば話が続かん。少なくとも俺はライラティーヌ様の敵じゃない。訓練所を出た後は忘れてやるから、話せ」
流石にイライラする。頭がガチガチなのにも限度があるぞ。声に怒気を含ませると、フォルクハルトは観念したように頷いた。
「……そうです。興味本位ではない切実さでした。傷を負う覚悟で、回復薬まで持参されていたのです」
「回復薬なんて、どこで手に入れたんだ、全く。だがまあ、それなら分からんでもない。……ライラティーヌ様は先日倒れられたのは知っているな」
「はい。確かまた魔力の暴走が起きたとか」
「あまり知られていないが、その時に一度、ライラティーヌ様はアンゲスリュートにお会いされている」
領主一族の生死は政治に関わる問題のため、死亡が確定するまでは病状は秘匿される。その為、ライラティーヌ様の心の臓が止まったことを知る者は限られた。
「ライラティーヌ様の不調は、魔力操作が出来るようになれば解消される可能性もあるのだ。早く魔力操作を覚えたいという気持ちが、切実なものとして身体強化へと向かったのだろう」
普通、生まれたばかりの赤子でさえ、無意識に自分の魔力を体内で循環させている。潜在操作と言われるものだ。十歳を超え、精神が発達すれば、今度は流れている魔力を自分の意思で動かす訓練を始める。これは顕在操作と言われる。
正確にはどちらも魔力操作だが、単に魔力操作と言う場合は、顕在操作を指すのが慣例だ。
ライラティーヌ様は潜在操作が上手く出来ていないのではないか、と言われている。どこかで魔力が淀み、それが暴走を引き起こしているのではないかとの見立てがある。
成長に従って、魔力はどんどん増えていく。このままの状態では、大人になる前に魔力が命を刈り取ってしまうだろう。だが魔力操作を覚え、ご自身で魔力を動かせるようになれば、問題は解決する可能性も残っている。
……もしそうなれば、次期領主の椅子はライラティーヌ様に一気に傾くかもしれんな。敵か……。少し情報を集めてみるか。
「純粋に生きるために魔力操作を身につけたいのだろう。必死になるのも頷ける。敵だなんだというのは、お前の考えすぎだろう。今後は分からんがな」
「今後とは?」
「ライラティーヌ様が魔力操作を身につけるとこで、無事に病を克服されればという話だ」
「魔力操作が出来れば、ライラティーヌ様のお身体は健康になるのですか?」
「分からん。逆に言えば、魔力操作が唯一の希望なのだ」
「それでも治らなければ、ライラティーヌ様はどうなりますか」
「……成人なさる姿を見ることは難しいだろうな」
「そんな……」
フォルクハルトが悲壮な声を出してうつむいた。
たった一日で随分と肩入れしてしまったようだ。
「そんなに深刻になるなよ。暴走が起こったばかりだから、今のライラティーヌ様の魔力は落ち着いている。次の暴走まで暫く時間があるだろう。それまでに少しでも操作できるようになっていればいい」
「……違うんですよ」
フォルクハルトが力なく反論してきた。俺の話のどの部分を否定しているのか分からずに、首を捻る。
「ライラティーヌ様は、……もう出来るのです。防音の魔術具を展開していたのはメイドじゃありません」
「まさか?」
「はい。魔力操作が出来ていることは、口外しないでくれと言われました。口止めの理由がよく分からなかったのですが、きっとご家族を悲しませたくなかったのでしょうね」
上手く言葉が出てこない。
つまり、わずか八歳でもう魔力操作を身につけたというのか。恐るべき精神力だ。しかもそれを誇るでもなく、周りを気遣って秘しているということか。
頼みの綱であった魔力操作でも体調は改善されず、自分の命運が尽きかけていると自覚しながらも、一縷の望みを身体強化にかけ、隠れて練習をしようとしたのか。
……なんていじらしく、なんて高潔な方だ。
悲壮感など微塵も感じさせなかった、明るい笑顔が脳裏に蘇った。
「……身体強化は無理でも、何か教えて差し上げる事があれば良いがな。まぁ、何かあれば力になって差し上げろ。報告はしろよ」
「では、今後も身体強化の練習に付き合うことを許可してください。実はもうお付き合いすると約束してしまったのです」
「は? 諦めてないのか? 危険すぎるぞ」
身体強化が出来ないうちは良い。だが今後、中途半端に動かせるようになってしまっては、危険なのだ。制御出来ない魔力が、身体を引き裂く事だってありえる。
「……足の腱が切れました」
「馬鹿野郎! お前方法を教えたのか!」
「教えていません! 私はただ、体の構造を知らずにやれば怪我をすると諌めただけです。ですがそれで全てを理解されたのです」
「はぁ?」
訳がわからない。普通身体強化は座学から始まる。体の構造を覚え、ぎこちなくでも動かせるようになるまで、相当の月日がかかるのだ。結局動かせないで終わる者すらいる。それなのに、八歳の、潜在操作も出来ない子供が?
「有り得ない」
「ですが事実です。私も目を疑いました」
フォルクハルトが嘘を吐く男でないと知っているだけに、混乱する。本当の話だとすれば危険極まりない。適当なやり方で行っていると、いつ体内の血管が被れてもおかしくないのだ。
「今すぐやめさせるべきだ」
「言って止まるお方ではないようです。禁止しても隠れて練習なさるでしょう。目の届かない場所で何かあればお助け出来ません」
「うーむ」
命がかかっているのだから、ライラティーヌ様も引かないだろう。だがこんな事をしていては、逆に身体強化で命を落としかねない。
「ライラティーヌ様の身体強化は、我々のものとは少し違うようです。魔力でゴリ押ししている、と言われていましたが、そんなものではないですよね?」
「魔力で押し切る? そんな乱暴なやり方では小指も動かせんぞ」
「ですが、走っておいででした」
「はああ?」
いったい何なんだ? まったく分からん。
「それは本当に身体強化か?」
「顕れる事象だけを見れば、身体強化です。理論は分かりません。……知識の擦り合わせをしても?」
「いやいやいや。それは駄目だろう。本来の方法を教えるわけにはいかん」
「ですよね……」
暗闇で、男二人で頭を抱える。八歳の子供に翻弄されている。なんとも情けない話だ。
本来なら、すぐにヨアヒム様にお知らせするべき案件だ。だがそれをライラティーヌ様は拒まれている。
拒む理由が、単なる我儘であれば良いのだが、家族を心配させまいとする健気な想いだということが、報告を躊躇わせる。
「もし本当に、新しい身体強化の方法を編み出されたのならば、すごい事だぞ」
「どうなのでしょう。私の一人の感想ですので、団長がご覧になればまた違った意見になるのかもしれません」
謙遜しているが、フォルクハルトの身体強化は洗練されている。この年齢でよくぞここまで、と感心するほどだ。そのフォルクハルトが言うのだから、本当に我々のものとは違う理論を組み立てられているのだろう。
「……一度、見てみるか。次の時は俺を呼べ。こっそり後を付けていく」
「こっそりですか?」
「ライラティーヌ様は、秘しておきたいのだろう。健気な心根を裏切りたくはないからな」
危険がないならば、続けさせれば良い。ライラティーヌ様の目的は、身体強化によって身体のどこかで澱んでいる魔力を押し流す事だ。もしそれが出来るのならば、カロリングにとっても歓迎すべき話だ。
ライラティーヌ様が病を克服されれば、きっと仕えがいのある領主となられるだろう。
言うと、フォルクハルトはやっと表情を和らげた。
「団長は優しい方ですね」
「お前に言われたら肩なしだ」
二人笑い合い、ジールのグラスを合わせた。
「ライラティーヌ様に」
「ライラティーヌ様に」
過酷な運命に、お一人で立ち向かっておられる、幼き少女へ祈りを捧げた。




