身体強化
「本当に無理ですよ」
準備運動をしていているとフォルクハルトが真剣な表情で止めにかかってきた。
「身体強化はただ魔力を流せばよいというものではありません。知識もなく行えば、大怪我をしてしまいます」
「自分の中にある魔力を扱うだけなのに、どうして怪我をするのですか」
「……まず身体の構造を知ることが肝要なのです。間違えば負荷に耐え切れず身体が壊れます」
フォルクハルトはここまでなら話しても大丈夫だろう、というラインを見極めて慎重に言葉を選んでいるようだった。
「身体の構造ですか」
「これ以上は何も言えません。痛い目を見る前に諦めてください」
身体の構造、だけでは分からないだろうとタカを括っているようだ。
―――だがしかし! 現代人なら分かっちゃうんだな~。
「分かりました。筋肉の収縮を魔力で行うのですね。確かに負荷が強すぎると腱が切れますね」
「! お止め下さい! 生半な知識など何の意味もありません!」
―――確かに、専攻科目は生物だったからそこそこ知っているけど。そもそもこっちの人達の身体って、現代人と同じなのかしら。
考え出すと不安になってきた。
「……知識の擦り合わせでもしてみますか?」
「しません!」
―――ですよね。むーん。考えても仕方ない。とりあえずやってみよう。
まず、何もせずに歩いてみた。
歩きながらどこの筋肉を使っているかを考える。
「えっと、足をあげるときに太ももの前の筋肉だから大腿四頭筋でしょ。後お腹の筋肉も使ってるわね。それから脛の筋肉もかな? 足を移動させるのにお尻の大臀筋やふくらはぎのヒラメ筋」
ブツブツ呟きながら歩き回る様を、フォルクハルトが青ざめながら見ていた。だが徐々に気味の悪いものを見るような目つきに変わってきた。
「うん。案じるより産むがやすしっていうし、行ってみよう」
もう一度屈伸運動をしてから、身体の中の魔力を自分の足、先ほど考えた筋肉に集中させる。
「で、魔力で筋肉を収縮させる、と」
ブチっ
魔力で筋肉の収縮をさせようと考えた瞬間、鈍い断裂音が響いて左足を傷みが襲った。
「いったーい!」
「どうしたのですか!」
フォルクハルトが駆け寄ってくる。
―――どうしたって、これはどう考えても……
「アキレス腱が切れました」
「言わんこっちゃない! 馬鹿ですかあなたは!」
「ううう、だって考えただけで魔力が勝手に反応してしまったのですよ。わたくしだってもう少し慎重に行うつもりでした」
「言い訳は後でクラウディア様にして下さい」
フォルクハルトが余裕のなさそうな表情で何か唱えたかと思うと、足を緑色の光が包み込んだ。
「あれ? 痛くない」
「癒しの魔術です。完治したわけではありませんから無理はなさらずに。……大丈夫ですか?」
「ありがとう存じます。優しいのですね」
「……寿命が縮みました。もう勘弁してください」
フォルクハルトは半泣きだ。
―――そうだ! 少し安心させてあげよう。
「私の鞄を取ってくださる? 中に小瓶が入っていますから」
―――怪我が治るポーション。鞄の中においで!
色々試してみて分かったことだが、ライラティーヌが生み出す液体は、液体のまま出すことも、容器に入って出すことも出来た。容器は定型が決まっているようで、少量であればコルク栓をした試験管のような容器で出てくる。
手渡されたポーションを一気飲みして立ち上がる。
「回復薬ですか?」
「はい。簡単な怪我なら治ります。貴重な魔力を私に使ってくださってありがとう存じます。ですが今後は回復薬を飲みますので」
「今後なんてありませんよ! もうお戻りください」
「後二度ほど試してみて、コツが掴めなかったら帰ります」
フォルクハルトは口をパクパクさせていたが、やがて諦めたように深い溜息をついた。
「二度ですね。約束ですよ」
「……コツが掴めなかったら、ですわよ」
ライラティーヌはもう一度魔力を足に集めると、負荷に耐えれるように腱や骨を補強した。
大腿四頭筋を収縮させ、反対側の筋肉を弛緩させるように意識ながら一歩踏み出していた。
フォルクハルトは慌てて駆け寄ると、ライラティーヌの片手を取った。
エスコートされているような体制だ。
―――うん。切れない。
もう一歩進める。ぎこちない動きでロボットみたいだけれど、確かに魔力で動かしている感覚がした。
「出来てます! フォルクハルト見てください! 私魔力で歩いています」
フォルクハルトの手が汗ばんでいる。何かあればすぐに抱きかかえるつもりでいるようだ。
「分かりましたから、集中してください! また切れますよ」
「大丈夫です。補強は完璧です」
それからしばらくウロウロ歩いてみたが、どうもロボット感が取れない。
「フォルクハルト、私の歩き方カッコ悪いですよね」
「……カッコ悪いというより、普通に歩くより遅いですし、身体に悪そうな歩き方です」
「ですわよね」
意識して動かしているのがたった二つの筋肉だからだ。でも。
―――全部の筋肉の動きを、考えて制御するなんて無理じゃない?
「ちょっと考え方を変えてみます」
無理そうな案にはさっさと見切りをつけるのが正解だ。
蟀谷をトントンと叩きながら、昔の記憶を探した。
運動の仕組みは確か、脳から送られる電気信号だったはずだ。
司令塔は中枢神経、脳や脊髄にあったと記憶している。
―――中枢神経が出す指令を邪魔しないように、魔力で筋肉を強化できればいいのよね。電気信号を通すと言えば、やっぱり液体よね。
ライラティーヌはいったん、筋肉を補強していた魔力たちを全部解除すると、今度は液体のイメージで魔力を全身に広めていった。先ほどのようにガチガチに補強するのではなく、筋繊維が液体に浸されているイメージだ。さらに液体に筋繊維と同じ方向に指向性を持たせた。
「腱と骨も同じように補強して……、さあリベンジよ!」
ライラティーヌは一歩踏み出してみた。今回は筋肉の収縮など考えず、ただ歩こう、と思っただけだ。なんとなく動きが軽く、ふわふわと宙を歩いているような感覚がした。
「どうですか? スムーズに歩けていると思うのですが」
「……驚きました。本当に身体の構造をご存じだったのですね」
「少しスピードを上げてみたいのですが」
首を傾げると、フォルクハルトはちょっと考えてから「少しだけですよ」と許可してくれた。
歩行に成功したことで、少し態度が緩和されたようだ。
「では参ります」
ほんの少し足の動きを大きくすると、するするとスピードが上がった。
身体のどこにも負荷が掛かっていないことを確認しながら、少しづつスピードをあげていく。
最初ぽてぽて、と歩いていたものが、ととととと、になり、どどどどど、になった。上がったスピードはなかなか止められない。ひゅんひゅん、になりかけたところで身体が宙に浮いた。
「ひゃあ!」
「ライラティーヌ様! 少しと申し上げたはずです!」
気がつけばフォルクハルトにお姫様抱っこされていた。
強制終了されたらしい。
「ううう。ごめんなさい。止まらなくて」
「早く動くには早く止まる訓練も必要です。止まる方が負荷は高いのですよ」
「おっしゃる通りですわ。……あのそろそろ下ろしてください」
八歳児とはいえ心は十九歳なのだ。
お姫様抱っこは辛い。
「駄目です。今日はこのままお部屋まで強制連行させていただきます」
言うやいなや、スタスタと森を歩き始めた。
「せっかくコツが掴めてきたところなのに」
「身体強化は根を詰めてやるものではありません。いきなり飛ばし過ぎです」
「そうなのですか?」
「明日になれば嫌でも分かりますよ」
「もしかして?」
「はい。今夜はしっかりマッサージしてもらってください」
―――おおう。インドア派がイヤイヤ運動した後にやってくるアレかぁ。
明日来る苦しみを想像して、がっくり気を落としながら、木漏れ日の中を、フォルクハルトに抱っこされて進む。
「初日にしては、結構上手に出来たと思いませんか?」
「はい。驚きました。魔力操作にとても長けていらっしゃる。身体強化は魔力操作の粋を集めたものですから」
「……たぶん魔力量で押し切っているだけなのです。長時間保つのは無理でしょう。でもわたくしは長く戦うような場面にはそうそう出くわさないと思うのです。危険が迫ったとき、逃げ切れるだけの力があれば良いと考えています」
フォルクハルトが押し黙った。
余計なことを聞いてしまったと思っているのかもしれない。
「……また練習したい時は、一緒に来てくれますか?」
ダメもとで聞いてみたが、やはりフォルクハルトは返事をしなかった。
踏みしめる落ち葉の音だけがカサカサとなった。
「……言ってみただけです。忘れてください」
フォルクハルトは無言だ。
沈黙を肯定の意味だととらえて、ライラティーヌはフォルクハルトの胸に体重を預けた。
歩く振動にあわせてゆらゆら揺れられて心地よい。
目を閉じていると、ふっとフォルクハルトが笑う音がした。
「フォルクハルト?」
「不思議な方ですね貴方は。年相応の子供に見えるときもあれば、大人のように感じるときもあります」
―――中身は十九だからね。
「想像してみたのです。明日貴方が訓練所に現れ、とことこと扉を通って森を抜けていくところを」
「明日はきっと、筋肉痛で寝ていますわ」
ふふっとフォルクハルトが笑う。
「騎士団のみんなは、また貴方の奇行が始まった、という風な目で誰がついていくのか押し付けあうでしょう」
「……奇行に見えても、私は本気なのですよ」
「分かっております」
思いがけない真摯な声で肯定されて、少し面食らう。
フォルクハルトはいったん言葉を切ってから先を続けた。
「誰が護衛についたとしても、貴方が一人で出ていかれたとしても、私はきっと気が気じゃないでしょう。また腱を切ってはいないか、勢い余って崖から落ちてはいないか、気になって訓練に身が入らないと思います」
フォルクハルトが足を止める、優しい目で見降ろしてきた。
「また『散歩』に行きたくなったときは、お声がけください。業務の許す範囲にはなりますが、お伴致します」
ライラティーヌは、この世界に来て初めて心からの安心感を感じた。
何も考えずに信頼して良い存在がいることに、どうしようもないほど満たされる。
フォルクハルトという、無二の騎士を得た安心感に浸ったライラティーヌだったが、次の日の朝、地獄の激痛により寝込むことになるのだった。




