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ポンコツ女王の1ページ漫画集  作者: 未知(いまだ・とも)


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9/10

新しい服と人生

午後の紅茶の時間。

女王は、王城のテラスで優雅にフィナンシェを頬張っていた。


「んー、おいし♡」


焼きたてのバターの香りが、紅茶の湯気に混じってふわりと鼻をくすぐる。


ちなみにフィナンシェは、フィナンツェ王都の名物である。

金の延べ棒に似たその形は、マネーリテラシーの高いフィナンツェ国民に広く愛されている。


「ね、そういえば」


二つ目のフィナンシェへ手を伸ばしながら、女王は隣に立つ軍師を見上げた。


「軍師の趣味ってなに?」


「趣味ですか?」


不意を突かれたように、軍師が瞬きをする。


「ええ。いつも仕事ばっかりしてるじゃない。休みの日は何してるの?」


「特には……」


軍師はしばし考え込んだ。


「強いて挙げるのであれば、読書やチェスでしょうか」


「読書とチェス……」


女王は紅茶のカップを持ったまま、じっと軍師を見る。


「なんか渋いわね」


「そうでしょうか」


「もっとこう……スポーツとか、アウトドアとか、若者らしいことに興味はないの?」


「さあ、特には」


軍師は意味が分からない、とでも言いたげに首を傾げた。


女王は小さく笑う。


「まあいいわ。それより、今日の午後は予定空いてる?」


「はい。特に急ぎの案件はございませんが」


「じゃあ、お買い物に行きたいわ」


「はあ」


「軍師も一緒に来てちょうだい」


「……なぜ、私も?」


あまりにも素朴な疑問だった。


「次の外交用のスーツを仕立てるのよ。あなたにも生地を一緒に選んでほしいの」


「ああ、そういうことでしたらご一緒いたしましょう」


軍師は素直に頷いた。


「よろしくね」


 * * *


そして約束の時間。

女王は自室で、街へ出る支度を整えていた。


せっかく街へ出るのだからと、彼女は普段より少しだけおめかしをしている。

淡い水色のワンピースに、薄手のカーディガン。


それでもトレードマークの王冠は外さない。


鏡の前で最後に前髪を整えていると、扉がノックされた。


「陛下、軍師殿がお迎えにいらっしゃいました」


侍女の声に、女王はぱっと顔を上げた。


「はーい。今行くわ」


扉を開ける。


「お待たせ、軍師——」


と、言いかけて女王は止まった。


「ん?」


軍師を見る。


「ん〜??」


つま先から頭のてっぺんまで、もう一度見る。


「えーっと……」


「陛下、どうかなさいましたか?」


「軍師……私服それ?」


「はい?」


軍師は自分の服装を見下ろした。


「これが何か?」


「うーん……」


似合っていないわけではない。

それどころか、上質で仕立てのいい服を一部の隙もなく着こなしている。


濃い茶色のクラシカルな上着。

茶色のベスト。

落ち着いた薄茶色のシャツ。

上着とお揃いの細身のスラックス。


靴もよく磨かれた革靴で、どこを見ても品がある。


——ただし。


若い男性が好む服装かと言われれば、かなり怪しかった。


どう見ても、『由緒正しい家柄の、品の良い老貴族』

……そんな装いである。


銀縁のモノクルも相まって、妙にクラシカルな感じが漂っている。


「あの、何か問題がございますか?」


「問題っていうか……」


女王は軍師の周囲を一周した。


軍師は黙ってそれを目で追う。


「なんていうか、お父さま……」


少し考える。


「……いや、お祖父さまみたいなセンスじゃない?」


「そうでございますか?」


軍師は軽く口角を下げた。


女王は激しく頷く。


「そうよ、なんか……おじいちゃんの服を借りてきた人みたいなのよ!!」


「はあ……?」


軍師は本気で分かっていないようで、女王は額を押さえた。


「あなた、もうちょっと今時の服とか着たいと思わないの?」


「今時の服……」


軍師は困ったように小首を傾げた。


「そうは申されましても」


少し言いにくそうに間を置いて、彼は言った。


「私、享年六十四歳ですから……」


女王の動きが止まった。


「…………」


軍師も黙って、二人は顔を見合わせた。


「…………六十四?」


「はい」


「つまり……」


女王は震える指で軍師を指した。


「軍師って、おじいちゃんだった〜!?」


王城に女王の絶叫が響いた。


挿絵(By みてみん)


「いえ、孫はおりませんでしたので、厳密には祖父ではありません」


「そういう意味じゃないわよ!」


軍師はなおも不思議そうな顔をしている。


「服の好みとしては、年相応かと思っておりましたが」


「見た目が年相応じゃないのよ!」


女王は頭を抱えた。


言われてみれば当然のことだった。


今の軍師は、錬金術によって若き日の容姿を取り戻してはいるが、中身まで若返ったわけではない。


インドアで落ち着いた趣味に、流行にはまったく関係のないファッション。

さらにいうなら、いつもの少々時代がかった口調。


——すべてが一本の線で繋がった。


「…………」


女王はしばらく俯いて何かを考えていたが、やがて、ばっと顔を上げた。


「予定変更!」


「はい?」


「今日は私のスーツは後にしましょう。

 ——あなたの服を買いに行くわ!」


「私の?」


「今後、あなたの服は私が選びます!!」


「なぜそのような話に……」


「いいから行くわよ!」


軍師の抗議を無視して、女王はその腕を掴んだ。


 * * *


そして数十分後。


王都の紳士服店で、試着室のカーテンが開いた。


「……いかが、でしょうか」


着慣れない服を着た軍師が、おそるおそる出てくる。


シンプルな白いシャツ。

身体の線を美しく見せる細身のパンツ。

現代風のすっきりとしたジャケット。


モノトーンの若々しく品のある装いだ。


銀青の長髪が肩を流れ、チャコールグレーのスーツを彩った。


決して派手ではない——それなのに。


女王は言葉を失った。


「……女王?」


「…………」


「お気に召しませんでしたか?」


「逆よ……」


女王は自分で見立てたファッションに満足したのか、感極まった声を上げた。


「これよ、これだわ!

 なんで今までその見た目で、おじいちゃんみたいな服着てたのよ!」


「……そこまで私の服にガッカリなさっていたのですか?」


「素材がいいんだから、もっと活かしなさいよ!!」


理不尽に怒られ、軍師はわずかに目を細めた。


「私としては、品位を損なわなければ何でも構わないのですが」


「何でもいいが一番困るのよ」


「左様でございますか……」


女王は満足げに軍師を眺めた。


けれど軍師は鏡の前に立ったまま、どこか落ち着かなそうに自分の姿を見つめていた。


「……軍師?」


呼びかけると、軍師はハッと我に返った。


「はい」


「どうかしたの?」


「……いえ」


軍師はもう一度、鏡の中の自分を見た。


「少々……妙な気分になりまして」


「妙?」


「ええ」


鏡の中には、若い男が立っている。


皺ひとつない白い肌。

まっすぐに伸びた背。

銀青の髪にも、かつて混じっていた白髪はない。


二十代の頃と、ほとんど変わらない姿。


それを見つめながら、軍師は静かに言った。


「私は生前、少しずつ自分の老いを受け入れていました」


女王は黙って軍師の話に耳を傾けた。


「年を経るたびに、次第に皺が増え、髪が白くなり……身体が以前のようには動かなくなる」


淡々とした声だった。


「それが、私にとっての自分の姿なのです」


軍師は、自分の手を見る。


細くしなやかな指は、もはや老人のものではない。


「ですから、こうして若い姿に戻ったところで……」


少しだけ笑った。


「気持ちまで若い頃に戻ったわけではないのです」


女王は、しばらく軍師の横顔を見つめていた。


「……そっか」


女王は、軍師の隣に立った。


鏡の中に、二人の姿が並んだ。

若い女王と、彼女より少し年上にしか見えない軍師。


けれど、男は女王よりもずっと長い時間を生き、そして一度その生涯を終えたのだ。


「じゃあ、さ」


女王は鏡越しに軍師を見る。


「無理して若者にならなくてもいいんじゃない?」


軍師が少し意外そうに目を向けた。


「さっきまで若い服を着ろと仰っていたように記憶しておりますが」


「服は別よ」


「別なのですか」


「別なの!」


きっぱり言い切ると、女王は少し笑った。


「でもね、中身まで無理に若返る必要なんてないわ」


「……」


「あなたは六十四年生きてきた。だけど——」


女王は鏡の中の彼を指差す。


「今のあなたには、今の時間があるのよ」


「今の……時間」


「そう」


女王は頷いた。


「昔の続きじゃなくて、新しく始まった時間」


軍師は何も言わなかった。


「だから、今まで着なかった服を着たっていいし、今までやらなかったことをやってもいいじゃない」


そこで女王は、いたずらっぽく笑う。


「読書とチェス以外にも、趣味を増やしてもいいし」


「……その話に戻りますか」


「だってあなた、人生二周目みたいなものでしょう?」


「人を転生アニメの主人公みたいに言わないでください」


「ま、重く考えたって仕方ないじゃない」


女王はくるりと彼の前へ回った。


「せっかくもう一度生きられるんだから」


そして、両手に持った新しい服を、次々と彼に当ててみた。


「ほら、このニットも似合う。カットソーも!」


どちらも若者が好みそうなファッションに、軍師は少し戸惑った。


それを見て、女王はにっこりと微笑んで見せた。


「前の人生でできなかったこと、いっぱいやりましょ!」


その一言に、軍師は少し目を見開いた。


「陛下——」


けれど、すぐには言葉が次いで出なかった。


彼は、もう一度鏡を見た。


そこには、自分がいる。

もう二度と見ることはないと思っていた、若い頃の自分が。


そしてその隣には、得意げな顔をした女王が立っている。


軍師は静かに息をついた。


「……そうですね」


そしてわずかに口元を緩めた。


「少しずつ、慣れていくことにいたしましょう」


「何に?」


軍師はしばらく考えて、答えた。


「新しい人生に」


女王は一瞬、目を丸くした。

それから柔らかい笑みを浮かべた。


「いいじゃない」


そしてすぐに、いつもの調子に戻った。


「じゃあ次、もう一軒いきましょう!」


「まだあるのですか?」


「当然でしょ、今度は靴よ!」


王都の仕立て屋に、得意げな女王の声が響いた。


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