錬金素体はうらやましい?
「ねえ、軍師」
午後の執務室。
ひと仕事終えた女王は、ソファに腰掛けたまま、壁際の席で書類を整理している軍師をじっと見つめていた。
「ひとつ聞いてもいい?」
「何でございましょうか」
軍師は澄ました顔で書類に目を通している。
落ち着いた所作や隅々まで整った造形には、月並みだが、
「美しい」
という言葉がよく似合う。
だが、その体は人間のものではない。
土や鉱物、植物の繊維などを素材に、錬金術師イヴがゴーレムの技法を応用して作り上げた人形。
——彼女はそれに、錬金素体と名前をつけた。
見た目こそ普通の人間と何ら変わりはないが、酸素と大気中のエーテルを燃料にして動いている。
食事は必要ない。
老化もしない。
病気にもかからない。
人間以上の力が出せる。
聞けば聞くほど、なんだかすごい機構である。
「あなた、その錬金素体になってから随分経つでしょう?」
「はい」
「どう、もう慣れた?」
「そうですな」
軍師は作業の手を止め、自らの手をまじまじと見つめた。
「今のところは、何不自由なく動いております」
「ふぅん……」
「じゃあ、錬金素体になって、一番よかったことって何?」
軍師の手が止まった。
どうやら、すぐには答えが出ないらしい。
女王は少し意外に思った。
老いないことだろうか。
病にかからないことだろうか。
——あるいは、再び女王の傍に立てたことだろうか。
女王が少しだけ期待しながら待っていると、軍師は静かに答えた。
「運動や食事をしなくて済むことでしょうか」
「……は?」
あまりに予想外の答えだった。
「運動と食事をしなくて済むこと、です」
「いや、ちゃんと聞こえてるわよ」
「では、なぜ聞き返されたのですか?」
「もっとこう……あるでしょう!?」
「何がでしょうか」
「ほら、もう一度この世界を見られた感激とか、若返ったこととか!」
軍師は少し考えた。
「それらも有意義ですが」
「ですが?」
それ以上の喜びがあるというのだろうか。
女王は息を詰めて、軍師を見つめた。
「運動と食事が不要になった利便性は、非常に大きゅうございます」
軍師は当然のように頷く。
「生前は健康維持のため、定期的に身体を動かす必要がありました。
年齢を重ねれば、筋力の維持にも気を配らなければなりません」
その声には、実にうんざりとでもいうような重苦しさが込められていた。
「正直、煩わしかったのです」
「運動が?」
「はい」
軍師は、不意に遠い目になった。
脳裏には、かつての自分の姿が浮かんでいた——。
朝。
まだ薄暗い時間に起き、彼は無表情で走っていた。
そして、汗をかきながら腕立て伏せや、スクワット。
体力維持のために決められたメニューをこなす。
そして時計を見る。
——42分。
その顔には、国家予算の無駄遣いを発見した時のような不満げな表情が浮かんでいた。
「42分あれば、本が何頁読めたことか」
「そんなこと考えながら運動してたの!?」
「運動中は常に、早く終わらないかと考えておりました」
「運動が嫌いなのね?」
「嫌いなのではありません。
ただ、定期的に時間が必要で、少しでも怠ればすぐに衰えようとする」
「……」
熱弁を振るう軍師を前に、女王は言葉を失った。
「実に効率が悪い」
さらに彼は、食事の時間に想いを馳せた。
机の上には豪華な料理が並んでいるが、若き日の軍師は無表情でパンを頬張りながら、左手に持った報告書を読んでいる。
「食事も同様です」
「まさか……」
「1日3回」
軍師の眉間にわずかに皺が寄る。
「しかも毎日です」
「当たり前でしょう!?」
「年間約1095回……仮に1食30分なら、年間547時間半」
「計算はやっ!!」
「約22.8日です」
軍師は淡々と語り続ける。
「つまり我々は、1年のうち約23日を食事に費やしているのです」
「いやいや、普通はそんな計算しないのよ」
「その時間があれば、相当数の本が読めます」
女王は呆れてものが言えなかった。
究極の合理主義者とでもいうべきか。
なんとも……なんとも軍師らしい。
「ですから、今の体は非常に効率的です」
軍師は満足そうに本棚へ視線を向けた。
「運動も不要。食事も不要。その分、仕事や読書に時間を使えます」
「……待って」
女王の目が、きらりと光った。
「運動しなくていいの?」
「ええ」
「毎日エクササイズしなくても?」
「必要ありません」
「太らない?」
「そもそも何かを蓄える構造ではありません」
女王が立ち上がった。
「しかも歳も取らないのよね!?」
「人間のような老化現象はありませんな」
「なによそれ、……最高じゃない!」
先ほどまで気の抜けた顔をしていた女王の瞳が、一気に輝き始める。
「ダイエットしなくていい♡
エクササイズしなくていい♡
体型も変わらない♡
しかも歳も取らない!!」
「そこだけ切り取ると、随分魅力的に聞こえますな」
「いいなあ……」
女王は心底羨ましそうに軍師を見つめた。
「私も錬金素体になろうかしら」
「…………」
軍師は数秒ほど女王を見つめたあと、静かに口を開く。
「食事もできませんぞ」
「……え」
女王の動きが止まった。
「アフタヌーンティーも」
「…………」
「晩餐会の料理も」
「…………」
「パティシエが腕によりをかけたデザートも」
「……食べられないの?」
「はい」
女王は目を潤ませながら頭を抱えた。
「そんなのはいやーっ!!」
ぶんぶんぶん、と勢いよく首を横に振る。
軍師は黙ってそれを眺めていた。
「……やっぱり生身でいいわ」
「それがよろしいかと」
数秒前まで不老の身体を羨んでいた女王は、もう何事もなかったかのようにテーブルの上の焼き菓子へ手を伸ばしていた。
ひと口かじる。
「うん。絶対こっちがいい」
女王はフィナンシェをもうひと口かじって、にっこりと笑顔になった。
軍師は書類へ視線を戻す。
永遠の若さよりも、美味しいお菓子に頬を緩ませる女王を見て、軍師は軽く微笑んだ。




